« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月

ダライラマの言葉

いつのも様にうろ覚えだけど、確かダライラマの言葉で「誰かに何か意見する時は、その時起こったことだけにしなさい。過去のことは持ち出さないように。」というのが、あった気がする。笑。
調べたらこれが正しかった。→『好きな人と口論になったときに、現在の状況だけについて問いなさい、過去のことは持ち出さないように。』

昨日何気なくこの言葉を思い出して、それでふと思ったのだけど、この言葉のまま受け取るのももちろんありだと思う。でも、もっと意味を広げてとってもいいのじゃないかと。
誰かの行動を予測する時、いつもああだから、こうだからと、その人のこと決めてかかっている時が多いし、それと同じことで、私はいつも、こういう風になるんだ、とか、こういう扱いを受けるとか、何かが起こる前から、過去のことだけで判断しがち。

ダライラマの言葉からはかなり離れるかもしれないけれど、その思い込みこそが、自分やその人のこれから人生に起こる事柄を決めているんじゃないかな。
確かに経験は、先の人生に役立つけれど、人も物事も諸行無常。
過去のことだけで自分や人を判断するのは、あまりうまくない考えかもしれない。

人はなかなか変わらないというけれど、自分だって随分と変わった。
自分の思いひとつで、人も変わるかもしれない。
何事も決めつけず、起こった時にそこで初めて考えたり、判断するのがいいじゃないかなと思う。

妄想が現実を創るのだ。
過去にとらわれず、楽しく妄想しよう。自分のことも人のことも。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

初skype!

日曜の夜、遂に初skype!
相手は、ハンガリーはブタペストの方。
カメラの調子が悪くて、映像はなしだったけど、声を聞くのっていいね。
普段よくメッセージでやり取りしているけど、やっぱり違う。

2時間ぐらい話をしたけど(あ、しゃべりすぎ?だって、女の子どうしは、お話が尽きないの!)あ、っという間。なぜか、日本語のダジャレの話から、彼の話や、矢場とんの話まで(彼女は矢場とんの味噌カツが好きだからね。)。

で、初めて使って、気がついたんだけど、カメラなしでもよかったら、skypeをダウンロードするだけで(無料)、内蔵マイクとパソコンのスピーカーで、使えるってこと。通信費はかからないので、電話で話すより便利でお得。
お薦めですよ。

最近外国の人と話すようになって感じるのは、年齢を気にする人がとても少ないということ。
まず、歳は聞かれない。それに「実は・・・」といっても、それがどうした?という反応ばかり。
このハンガリーの人も「年齢は自分が決めるものよ。」と。
日本にもいい考えや、文化があるけど、他の国のいい考え方を取り入れるのもいいと思う。
いったん染み込んだ思い込みは、なかなか手放せないけど、でも、最近日本で一般的でない考えをも持っている人と話すたびに、自分がいい気分になってくることが多い。
この間のニュージランドの人は、よく仕事し、よく遊ぶ、の人だったし。(3カ月ぐらいホリデーだそうです。ああ、羨ましい。今はセブ島らしい。)あ、ちなみに30代後半。
私のように仕事の形が人と違うと時々不安になることもあるけれど、この間私の仕事の仕方について話した時も日本の人なら「貯金しているの?」とか、「大丈夫?」という反応だけど、「いいね!自分次第、最高!」で、終わった。笑。

歳をとるにつれて、自分の枠が随分と外れてきたけど、最近その速度、加速中です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生きているだけで丸儲け

この間から激しく思うのだけど、それは、みんな生きる意味を考え過ぎているじゃないのかな、ということ。
まあ、私もその一人なんだけどね。
でも本当に最近は、がんばって自分の存在価値を探したりすることは、やめた。
別にボーっと、一日を過ごしてもいいじゃん。
惰眠を貪ったっていいじゃん。
何か意味のあることをしていないと、自分の存在価値がないなんて、なんてことはない。
生まれてきたことが奇跡なんだから。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

感情が教えてくれるもの

よく、感情をコントロールする、とか言うけれど、そんなもん、私に言わせれば、感情をコントロールできたら、それはもう感情じゃないじゃん、自分の意志ではどうにもならんものが、感情というものだろうがーーーー。となるのだが、最近久しぶりに、このどうにもならない感情というものを経験した。
感情的になる、というと何やら、大人げなくて、子供っぽい行動を起こすようなことを連想するけれど、実はこの感情こそが、自分の本当の心を知るヒントになるんだなあ、と思う。

最近は激しく感情を揺さぶられることはなかったけれど、久しぶりに経験したことで、「ああ、私の心には、自分ではまだ気が付いていないところが、たくさんあるんだな。」と、思った。
意外だと人は思うかもしれないけど、実はコンプレックス(あ、これ英語では違う意味になりますからご注意を)の塊のようなところが私にはあって(ほんとーだよー。笑。)最近では、それを随分と克服していたと思ったのだけど、実は、まだしっかりと自分の中にあることが、わかった。その上、歳をとるということを実は結構気にしているんだな、ということも。

例えば、誰かを好きかしら?と思っても、「こんな年で何を舞い上がっているんだろう。バカみたい。」とか(あ、飽くまでも例えね、笑。)感じたとすると、自分の心よりも、人の目が気になっているんだな、とか、実は自分と同じような歳の人が誰かに恋をしているなんて知ったら実は私はその人のことを「ああ、いい歳をして、何舞い上がっているんだろう。」と、きっと思っているのだと思う。

後、自分に自信がないと、誰かに告白されたとしても、「ええ歳のおばさん相手に、からかっているんじゃないだろうか。」とか、「何か魂胆があるんじゃないだろうか。」とか、感じてしまう。(恋ばなにたとえたほうがわかりやすいかと思ってね。爆)

そういったことは、普段も何気なく感じているのだろうけど、激しく感情を揺さぶられたとき、否応なしに突きつけられる。
「おら、わかったか!」ってな感じで。
その時はかなり動揺するけど、実は自分の本当の心に気がついたわけで、後は自分と語るだけ。
思い込みもできるだけ捨てて、社会常識も忘れて、できるだけまっさらな心で起こったことを感じてみたらどういう風に感じるか?自分はどうしたいのか?それを自分に聞いてみる。
自分をジャッジせずにね。

今回起こったことは(詳しくはナイショ。笑。)久しぶりのことでかなり、動揺したけど、本当の自分とまた少し近づけたようで、今はちょっといい気分。
感情は、人生を豊かにする大きな味方。
どうにもならない感情こそが、自分の道を教えてくれる頼もしい相棒なのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

宮崎

宮崎に行ってきました。
おばあちゃんの希望で、青島神社のそばに泊り、日南海岸をドライブして、都井岬まで、お馬を見に。
流石晴れ女のおばあちゃん、三日間とも晴天で、暑くもなく、海風が少し冷たいぐらい。
お陰で、2日間とも、海から昇る日の出を見ることもできて、よい旅行でした。
(あーーーー、でも、最終日レンタカー会社まで、あと、100m?ってぐらいのところで、接触事故を起こしてしまったのだった・・・・。)

おばあちゃんを連れていく旅行は自分の時間というものがほとんどないのだけど、沖縄では、夜空を、今回は上に書いたとおり、ひとり早起きして、日の出を見に、海へ。(ホテルの前が、青島神社まで、ずっと続いているビーチだった。)

朝焼けがだんだんと濃くなり、水平線にオレンジの光が現れる。しばらく見つめていると、海の上にぽっかりと浮かび上がる太陽。それを眺めていたら、太陽って宇宙に浮かんでいるんだな、と、当たり前のことなんだけど、それを自分の目で、心で、確認したような気分だった。

久しぶりに一人でゆっくりと過ごした時間。最近の自分に起こったことなんかを色々考えながら波の音を聞いていると、本当に不思議な気分で、自分の可能性がどんどん広がっていく気がして、自分の仕事のこと、英語のこと、色々な人との関わりなんか、全てが今の自分には新鮮で、これから自分の人生に起こることに、ワクワクしてしてしまった。

今回はエネルギーチャージの旅だったのか、最後事故をして、レンタカー会社になんとか料金(事故した時の補償金?)を2万円も払ったのに、その時でさえ、あー、またお金が入ってくる~、なんて、能天気に思った私。

来週からは、またちょっと忙しいのだけど、またまたパワフルにがんばれるわ~。




| | コメント (2) | トラックバック (0)

運命の出会い

(はは、タイトルのように運命的な出会いがあったわけではないけれど・・・残念!)

ここのところ英語の勉強をしていて思うこと。それは、半年前の私には想像もできなかった人々との出会いが沢山あったということ。
確かに今までも素敵な出会いを沢山経験してきたけど、でも、こんなに世界が広がるとは、思いもしなかった。
ハンガリーのお友達とは、ネット上とはいえ、好きな曲を披露し合ったり。(またハンガリーの人は、日本の歌が好き。この間はなんと、『帰ってきた酔っ払い』が、アップしてあったよー。)
私も好きな歌とかをアップするんだけど、色々な国の人がそれに対してlikeボタンを押してくれる。(facebookにはそういう機能が付いているんです。)
ホンジュラスの人とは、ゲームのプレゼントのやり取りをしたり。(お互いカタコト英語で)
イタリアで育ったアメリカ人の方には、英語の勉強をしていると言うと、「私もアメリカに帰った時大変だったけど、勉強というものは一生ついて回るもの、がんばってね。」と、励まされり。あと、時々、日本語でチャットしながら、他の人と同時に英語でチャットしたり。

ああ、人生はわからないね。

それで、ふと思ったのだけど、こうやって自分の世界が広がったのも、お正月にニュージーランドの人と出会ったのがきっかけ。なのに、誘ってくれたとき「どうして今日誘ってくれたの?」と聞いたら、「英語が話せると世界が広がるよ。あなたの仕事の可能性も広がるし。」と言われ、その時は、心の中で感謝するどころか、「一晩でしゃべれるようになったら、苦労せんわい!」ぐらいに思っていた、恩知らずな私。足向けて眠れません。今度感謝のメールを送っておくわ~。(あー、また英作文じゃ・・・)

まあ、その時彼は、それほど深い意味もなく言ったのだろうけど(本気だったら、メールか何かで英語を教えてあげよう、ぐらいは言ったはず。)今はその言葉には本当に感謝している。本人は自分が人の人生を変えた(大げさか?)なんて、きっと思っていないだろうけど、人ってあんがいそういうもんじゃないのかな、と、思う。
自分が知らないうちに人の人生に影響を与えている。改めて言葉にして感謝してもらうことは少ないかもしれないけど、誰にでもあることだと思う。

大昔も書いたと思うけど、映画の『すばらしき哉人生』でも、そういうことが描かれている。(主人公が自殺しようとしていた時に神様がもし、その人がいなかったら他の人の人生がどうなっていたか、ということを見せてくれる。で、最後はめでたし、めでたしの映画。モノクロね。)

運命の出会いって言うのは、映画の中の主人公に起こるような出会いじゃなくて、あんがい地味~な出会いなのかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

スカイプ

ハンガリーの友達で(会ったことはないけどね)日本大好き、名古屋大好きの人がいるんだけど、今度スカイプで、話すことになった。
ということは、スカイプのためのカメラやマイクがいるわけで、先日注文、明後日届く。
いつもはメールでのやり取りだけど、スカイプだと、表情もわかるわけで、声ももちろんわかる。
遠くに離れている人と会っているように会話できるなんて、大昔はS.F.の世界だったのに、今は、パソコンさえ持っていれば、3000円のお買い物でできるようになるなんて、すごい時代だにゃ。

スカイプを買ったということは、これを使って英会話の勉強もできるから、もう少し上達するかもしれない。
ああー、世界デビューも近いかも?爆。

人生の可能性の扉を開くのは自分次第だね。
部屋は沢山あるからさ。自分の中に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日も、がんばります。

お陰様で、検定試験(?)のような再会も無事に終わり、なんとか3カ月続けてきた甲斐があって、随分と聞ける、話せるようにはなっていた。(あ、英語のことです。でも、やっぱり飽くまでも以前のとの自分比でで、ですよ~。笑。)

何かを感じたのか、特別に英語の勉強をしていると伝えたわけではないのに、お正月に会った時よりも、あまり気を使わずに相手の方は話してきた。(まー電話でのペラペラには参ったけど。)そのおかげで、自分の聞き取り能力や、ボキャブラリーがUPしたのがわかったんだけど、やはり、話すことがちょっとは上手になったと思ってくれたのかな?特に何も言われなかったけど。

バレエの生徒さんに、英語の先生をしている方がいるのだけど、その方に今英語の勉強をしていると話したら、「3カ月ぐらいで変わると思いますよ。」とのこと。今後の発展状況はべつにして、なるほど何事も3カ月頑張ると目に見える結果が出てくることが分かった。
神様もよくしたのもので、ちゃんと3ヶ月後にまた、話す機会をくれたことに感謝しなければ。そういうのがなければモチベーション上がらないものね。

英語の成果を感じられたことも嬉しかったけど、相手の人は、以前グーグル翻訳を使ったとはいえ、私のHPやブログを読んでくれていたので、今回は、私の仕事の話とか、私が仕事に対して情熱を持っていることは、素晴らしいことだとか、を話してくれた。
うーーーん、3カ月間の私なら、外国の人と自分の仕事の話をしたり、仕事に関する意識とかを話せるときが来るとは思いもよらなかった。(うちの受講生さんは、本当にリフレクソロジーを勉強したくて来る人ばかりだから、私も教えることが本当に嬉しいし、楽しい、とか何か。ま、いつも日本語でも言っていることだけなんだけど。ついでに、ちゃっかりと、今度暇なときに、足を貸してもらう約束をした。30センチぐらいあるそうだけど、これも経験。)

まあ確かに、今回会った人は、「うまく話せなくてもいいから、頑張って何でも言ってみて。」と、私が、ためらっても、「がんばれ、だいじょうぶだから。」と、私の能力の限界を超えたことでも、話すように薦めてくれて、かなり辛抱強く聞いてくれた、というのも、あったのだけどね。(録音して、誰かに翻訳してもらったら、いったいどんな風に聞こえていたんだろう、と思う・・・きっと、へこむだろうな・・・)

ああ、でも、本当に人生は何が起こるかわからない。可能性はいくつになっても、変わらないね。
大事なのは、きっかけを大事にすることと、自分の気持ちに正直になること、そしたら今度はそれに向かって行動すること、だと思う。

今日は、この間のキュートなリチャード君が、施術を受けに来てくれる日。嬉しいけど、また頑張って英語話すのよね。リチャード君は日本語はほとんど話せないし、シャイで無口だから、どうなることやら。リチャード君の足は、それほど大きくないみたいだから、施術は問題ないと思うけど。
がむばるぅ~。( hang in there! 自分!)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

てんこもりなG.W.

去年は、ゴールデンウィーク中講座が入っていたけれど、今年は仕事の予定もなく、世間様と同じようにのんびりと過ごすつもりでいたけれど、なぜか、私生活があわただしい。

と言っても、何か問題があるわけでもなく、ただ、「のんびりするつもりだったのに、どうして英語をしゃべらなければいけない日々が続くのじゃーーーー!!!!」と、叫びたいほど、しゃべらなければいけない期間になってしまった。

お正月に会ったニュージランドの人がいきなり名古屋に来ているし、先日会ったイギリス人のキュートな彼がまた明日名古屋の来るのだ。(京都で、体調を崩して、今は回復したらしいけど、ぜひ、リフレクソロジーを受けたいということで、はるばる東京から来てくれるんだって。仕事でも、また新しい世界が開けたようで嬉しい。)

一応勉強している身としては、ありがたがる状況なのだけど、いっぺんにやってくると、くたびれるぅ。
それと、自分の英語力のなさに、また、へこむしね。(ニュージランドの方は、私の英語が少しは上達していると勝手に思い込んでいるのか、電話でペラペラ話された・・・。わからんちゅーに!)

ただ、なんだかんだと言っても、3か月の成果はそれなりにあったようで、しゃべるのはそれほど変わらないけど、聞くことが随分とできるようになった。(あ、ゆっくりだとね。)
普段は自分がペラペラしゃべるほうなので、これはきっと神様が、これからは人の話をよく聞きなさい、と、言っているのだと思う。(自分の能力のなさを棚に上げて、いい風に取ってみる。あー、前向きな私♪)

英語も漢字と似たところがあって、漢字は読めるが書けない。英語は聞けるが、言えない。聞いたり読んだりしている時は、書いてあることや言っていることが解っても、じゃ、いざ同じことを言えるかというと、言えないのだ。(と言ってもかなりレベル低いけど、笑。)

書くことは、少しだけ考えられるから、3か月前に比べれば、随分と上達(あー、これもかなりレベル低いけど、あくまでも自分比で。)したけど、話す、ということは、ほとんど反射的に言葉が出てこないと、無理なんだな。
だから、話す機会がないと上達しない。

と言いながら、ありがたい機会を今回たくさんいただきながら、文句言っている自分がいるんだけど。

でも、言葉は人と人が、交流するためのものだから、ちょっとぐらい間違っても、へたでも、今までなら会うこともなかった人たちと出会えたことは、本当に嬉しい。

この歳になっても可能性はまだまだ、充分。
やっぱり、やるか、やらないか、だね。

・・・・でも、果たして、英語がうまくなる日は来るのか?な?笑。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »