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2009年8月

なんだかとっても嬉しくて

週末は養成講座の日
養成講座だと、かなり詳しく症例を取るのでケーススタディが大変なのだが、その大変さがよい結果を生んだ様でとっても嬉しかった。
ケースを取ることで、普段それほど話をしない家族とコミュニケーションをとれる。
そのことが家族との関係を良くしたよう。

リフレクソロジーのよさってそういうところでもあるんだよね。
足なので(または手だけど)お父さんなんかにも気軽にやってあげようか?なんて言えるしね。それに、大人になってからだと親子でスキンシップするなんてほとんど無くなるから、良いスキンシップになると思う。

本当にこの仕事をしててよかったな~、なんて一人感動にむせびながら(またまた大げさ)の帰り道、信号が青になったので自転車で横断歩道を渡りかけた時、なんと!車が目の前に!
「おりゃー」と思いながら、避けたのだけど、前輪を少しだけ引っ掛けられてしまった。
もう一緒、幸せの絶頂期にこういうことって起こるというけど、まさか?と、思ってしまった。
でも、お陰さまで、相手のスピードも出ていなかったし、私の運動神経のよさ(?)で、自転車も私も無傷。
普段の安全運転が運を味方につけてくれたんだと思う。
あー、でも、危なかった。

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3か月

だらけきった身体を何とかしようと、自主トレの回数を以前の様に戻して3カ月。
お陰様で、筋肉が戻ってきた。
やっぱり、この歳の身体を鍛えるには週一ぐらいでは少なすぎる。
週3ぐらいだと、しなかった日も筋肉を使っているので、落ちにくいのだ。

それに、筋肉が戻ってきてくれると、バランスがぴたりと決まったり、筋肉がつかえている感覚があるのでやっていても楽しいのだ。普段の動きも軽いし、なんといっても、歩く姿が美しい~。(爆)
あー、でも、1週間もさぼると、元通り。
美しい50代を迎えるためにも、頑張らなければ。

心と身体はつながっているようで、自主トレができるということは心も健やか。
お陰様で、最近は調子良いです。

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ハートに従う

一人暮らしが長くなってきているせいかもしれないし、歳のせいかもしれないけれど、最近は自分の思うように生きるということが苦痛でなくなった。
おかしな話だと思うかもしれないけれど、今までは思うように生きようとすると、人はどう思うだろう?とか、これは常識から外れている、とか、そういったことのほうが気になってしまってハートの声に従っても居心地が悪かったのだ。

でもね、どう転んだって、自分の人生。
自分が楽しまなくて、誰が楽しむんだ?に気がついた。そして、そのほうがはるかに心地いい。

以前は大人になるには(大人でいるには)制約が多くなると思っていたけれど、最近は逆にどんどんと制約がなくなってきている気がする。(腹周りの制約もなくなってきているけど、笑。)
お陰様で幸せだな~と思うことも増えたしね。

仕事も自転車操業と言いながらも続けてこられたし、まだ本州以外からの参加者はいないけれど、関東方面やら、関西方面からの参加者もいらしゃる。
個人の小さなスクールが果たしてやっていけるのか?という思いもあったけど、自分のやりたいようにやらなくてはいいスクールは生まれないと思ったから。

ありがたや~で、ございます。

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妄想族?

かなり前だけど、お客様で、メールの返信が遅いと「嫌われているのかしら?」と、悩む方がいた。その時、「人にはいろいろ事情があるからすぐに返せない時があるし、時にはただ単になんとなく面倒で、なかなか返事しない時もあるから考えすぎですよ~」、と、アドバイス(?)をしたら、「言われてみれば私もそういうときあるわ~」と、割とあっさりと納得されたことがある。
まあ、人のことは簡単に言えるけど、いざ自分のこととなるとそうも言ってられない時がある。(だから人に話すのがいいんだよね。)

最近久しぶりに私って妄想族?ということがあった。
簡単に言うと、デートがキャンセルになったということなのだが、急な仕事で、と言われても、お久しぶりだったのでかなり落ち込んだ。(この歳になってちょっぴり涙も出てしまった・・・お恥ずかしい。)
電話を切った後に、もしかしたら嘘かも?とか、会いたくないんじゃないか?とか、妄想はとどまるところを知らず、あふれるばかり。(あー、ちょっと大げさですが)
でもその時ふと思ったのが、人は自分を苦しめるのは自分自身なのだわ~、ってこと。
勝手な妄想や思い込みで勝手に自分を傷つける。
あたかもそれが人として当たり前の様に。
だって、それが嘘だろうが本当だろうが、会えないことには変わりはないし、人の心はわからない。勝手に想像して落ち込むなんざ~時間の無駄!
そう思ったら、「あほくさ~」となり、その日一日を自分の好きなように過ごして、自分ひとりの時間を楽しんだ。

人を思いやる想像力は豊かなほうがいいけれど、それが疑心暗鬼になっちゃまずいよね。
ああ!なんと日々自分の思い込みに踊らされていることか!
自分のことに自信がないから疑心暗鬼にもなるのだろうけど、勝手に妄想されるほうもたまったもんじゃないよね。

うーーーん、オバサンは、進化していないようで少しは進化しているかも?
それも自分という人生を楽しむことに。
おー、伊達に歳とってないねー。
ありがたい。

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ミ~ンミ~ン

今外でミンミンゼミが鳴いた。
何年振りだろう。
日本の夏だね。
あーなのに、しばらくすると、しーしーとか、じーじーとか聞こえるセミの鳴き声だけになった。
ミンミンゼミ、鳴いてほしいな。

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さわやかな朝♪

今更ながらのだけど、名古屋の今年の梅雨は辛かった~。
毎日が雨。それもいつ、土砂降りになるか分からない。
果たして、梅雨は明けるのだろうか?なんて思う毎日で、いつもの夏空を思い出すのにも苦労した。
とは言っても、やはり開けない梅雨はなくて(梅雨明け宣言なしの年もあったらしいが)今年も無事に開けたのだが、台風や何やらでなんとなく夏お預け状態だった。
昨日も夕方は激しい雷雨。
でも、今朝起きてみれば、さわやかな夏晴れ。昨日とは打って変わって、湿度も低い。
朝方、部屋に朝日が射すのをボーっと見ていたら、なんだか朝日を見るのは久しぶりの様な気がして(そうではないはずなんだけど)朝日を浴びてキラキラ光る窓ガラスに感動してしまった。梅雨の時期が長かったせいもあるのだろうけれど、普段は当たり前の様に感じている朝日なのにね。

人生も似たようなもので、やはり上がらない雨はないんだなあ、と、この歳になるとつくづく思う。人に自慢できる人生ではないが、40年+4年も生きていると、それなりに色々あった。今年の梅雨の様な時期もあったし、今日の朝の様な時もありがたいことにあったし。
そういうことも何度も経験してくると(そう言うほど大した人生か?だけど)つらい時期は、ささやかな喜びを大きな喜びに変えてくれるためにあるのではないか、とさえ思える時がある。
今朝の朝日の様に。

15年ほど前、死んでしまいたいというより、朝消えて無くなっていればいいのに、なんて思っていた時期がある。
その頃新しい友人たちと出会いがあり、お陰様で何とか生き延びる(?)ことができたのだが、ある日の夜みんなでご飯を食べに行ったあと、帰るのにタクシーを待っていた時その中の一人が「あ、今おならしちゃった・・・」と、ぼそりと言った。
「まあ、正直に言うことないじゃない~」とかなんとか言いながら、みんなで雪の降るとっても寒い夜、空を見上げてゲラゲラ大笑いした事を憶えている。
あの時、馬鹿みたいに大笑いしながら、「ああ、生きていてよかったなあ」と、心の底から思った。
ただ単に友達と大笑いしただけなのにね。

『最上のスープのスパイスは、空腹である』(だったけ?)と言うけれど、最上の人生のスパイスは、辛さや悲しさかもしれない。
今朝の朝日を見てそう思った。

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何やってんだか

お陰様で、毎月楽しくベーシックコースを開催しているのですが・・・。
昨日は何やってんだかー?というぐらいおふざけをしてしまった。
昨日の受講生さんは横浜からの参加。(ありがたいことです、遠くから。)
普段のお仕事が忙しく、また、今回は岐阜のお友達のところに泊めてもらったようで、きっと久しぶりに会ったので遅くまで話をしていたのでしょう、講義中ちょっと眠そう。

そこで、先生のおふざけ心がうずき、耳元で魔笛の夜の女王のアリア聞いたら目が覚めるかもよ~、なんて言いながらパソコンで検索。
(知らなかったけどこのアリアは、超難易度の高いアリアらしく歌える人も少ないのだとか。)
パソコンで検索後、素晴らしいアリアを聞き(眠気が覚めたかどうかは不明。笑。)その後、超音痴のバージョンをついでにと流したところ、もう、笑いが止まらない。
足モデルさんは、モデルをしながら大笑い。
「さっきのは素晴らしくて鳥肌が立ったのに、これはもう、おなか痛い。」
受講生さんの手は笑いで震えているし、私も久しぶりに頬の筋肉が痛いぐらい笑ってしまった。

悲しいことや辛いことがあったらこれを聞くといいかも。
歌っているのは、大富豪の娘で親の資産で、自称オペラ歌手となったフローレンス・ジェンキンスという人。
ここまで来ると、自分がしたいことは人がなんと言っても、したもの勝ちなんだなあ、と、思う。ある意味すごい人です。見習わなくては。
人の目なんか気にするもんかーーー!って。
(資産も半端じゃなかったのでしょうけど。)

必ず、ダムラウさんから聞いてくださいね。セットで。

魔笛夜の女王のアリア2 歌ダムラウ
2分過ぎから歌にはります。

魔笛夜の女王のアリア2 歌ジェンキンス

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近所のカレー屋さん

この間以前仕事で色々とお世話になった方と食事に出かけたのだけど(お久しぶりシリーズが不思議と続く)待ち合わせは東急ホテルのラウンジ(こんな場所に出かけるのも久しぶり)。
「何か飲みますか?」の言葉にメニューを開けてびっくり!
「た、高い・・・」
相手の方もビールを飲んでいらしたので、私も飲んだことのないギネスの樽生のハーフというのを頂いたのだけど、喫茶店のお水の入っているグラスぐらいの大きさでなんと、760円!(おいしかったけど、もう飲むこともないだろうな・・・自分では。)
だってね、ふと、思ったのだけど、これだけのお金があればうちの近所でおいしいカレーのランチが頂けて、その上おつりがくるもん。(本日のランチは700円。日本も格差社会なのね~。)

そして、次の日、このふと、思ったことがきっかけか、この近所のインドカレーが無性に食べたくなりお持ち帰りしに出かけた。
この近所のカレー屋さん店構えは以前のお店をそのままに使っているので内装は居酒屋さんなのだけど(思いっきりインドの飾りつけはしてあるのだが)カレーが私好み。
それと、お店の人が何ともいえず好きなのだ。

初めて入った時、まずは威勢のいい声で「はい、いらっしゃいませ~」「はい、いらっしゃいませ~」「はい、いらっしゃいませ~」の3連発。
思わず、ここはすし屋か?と思ったぐらい。
ランチカレーを頼むと、食後の飲み物は?と聞かれたけど、お断りした(百円なのだけど家が近いから)。
そして、しばらくすると何故か「サービスです♪」と、マンゴージュースが出てきた。
これがこのお店の七不思議。
その後も何回かこのお店に行ったけど、マンゴージュースが出てこなかったのは1回だけ、食後の飲み物100円はどうなっとるんじゃ?状態なのだ。

そして、必ずと言っていいほど、カレーを食べていいる最中に「おいしい?」と、聞かれる。そして、また、必ずと言っていいほど、会計の時に「このチラシ持ってくると次回は飲み物サービスになるから♪」と、チラシをくれる。
あげくに必ずスタンプカードをくれる。
お家にあるからと言っても(毎回忘れる)、「大丈夫、今度来た時合わせればいいから♪たまると500円分になるからね~。」と、インドなまりの不思議なイントネーションの日本語をしゃべりながら新しいのをくれるのだ。

カレーもおいしいのだけど、このおじさんがなんだか好きで出かけてしまうカレー屋さん。樽生ギネスもおいしかったけど、私はここの700円ランチのほうが好き。
おいしくって、おなかがいっぱいになって、そして少し笑えて、幸せな気分になれる。

アカース 中区千代田にあります。




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わーい♪

金曜にパツンパツンだったドレスが、着られるようになった!
すごいぞバレエ!
でも、やらなかったら大変なことになるということ。
これからも老体に鞭打って頑張ります。
自主トレ。
一日30分、だけど、これが辛いんだな~。
かっこいい50代を目指すぞ!
マイヤ・プリセツカヤの様には無理だけど・・・。

*ロシアのバレエダンサーで、確か数年前80歳記念公演があったはず。トウシューズは履いてなかったけど、踊っていました。

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忘れる

歳と取ると物忘れがひどくなると聞いてはいたが、最近ひどい・・・。
家の中でも3歩歩いたら何を取りに台所に来たか忘れ、受講生さんの名前がさっと出てこなかったり。(この間、自律神経という言葉が講義中出てこなかった、orz・・・それでいいのか先生?)

でも時々思うのは、この「忘れる」ということがあるから人は生きていけるんだろうな、と思う。
だって、私なんか、今までの自分の失敗なんかを全て覚えていたらきっと発狂するに違いない(爆)
人にも家族なんかにもいっぱい迷惑をかけて生きてきたと思うけど、そのことをいちいち覚えていたらきっと、肩身が狭くて身動きできないと思う。(いったいどんな人生あゆんできたんだよ~?)

自分のことを忘れる事も生きていくためには必要なんだろうけど、人のことを忘れることができるというのも重要なんだろうね。
感謝の気持ちは忘れないほうがいいけれど、もし、人からされたいじわるなんかを全て覚えていたらきっと、恨みつらみの人生になるに違いない。
この場合なんか人を許すに近いものがあるんだろうね、忘れることは。
あ、もっとも、こちらは忘れることができる、かもしれないけど。

この間お久しぶりシリーズで、ちょうどスクールを立ち上げたぐらいの時にサヨナラをした人とも会ったのだけど、これがまた、忘れることができる、を実感した再会だった。
かなりゴタゴタした別れ方っだにもかかわらず、会った瞬間そんなことはちっとも思い出さず「相変わらず、かわいい人だなあ。」なんて、のん気に思ってしまったのだ。
まあ、そんなことが思える相手だから再会するご縁もあったんだろうけどね。

それで感じたことは、許す、っていう行為よりも、忘れることができる、ということのほうが心が軽くて自然だな、と。
許す、というと最初に何かをされた、という認識があり、そのうえでの行為のようで、許すというのは重い行為の様な、なんだか上から目線?の様な気がするのだけど、忘れることができる、って、いうのは「そんなことあったっけ?がははははっ。」みたいな明るさを感じるのだ。

きっと長年連れ添ったご夫婦なんかはこういう感じなのではないだろうか?だから、男と女から家族というものになっていけるんだろうね。(おばさんは独身なのでわからないし、これから長年連れ添う人を探そうと思うとお互い長寿番付けに載るぐらいでないと叶わないので、そう思うだけなんだけど。)

家族以外にも忘れることのできる人との出会いにも感謝だけど、私のことを忘れてくれる人たちとの出会いに感謝しなくっちゃ。
そのお陰でこうしてのんびりと生きていられるのだからね。

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がーーーーーん

最近、気をちょっと抜くとすぐ太る。
仕事自体がそう身体を動かすわけではないのでしょうがないと言えばしょうがない。
それに歳で基礎代謝も落ちてきているし。
自主トレも頑張っているけど、こちらは落ちてくる筋力を落とさないようにするのが精いっぱいで体重減少には、あまり効果がない。(やっぱり、食事も少しは考えないとね)
あーあ、と思っているところへ追い打ちをかけるような出来事が・・・。

名古屋はまだ梅雨空で夏には程遠い気候だけど、気分だけでも、と、お気に入りの夏のドレスを出してみた。
これは、母のお古で、かれこれ30年以上は前のもの。
更紗のドレスで胸のところが金太郎さんのよだれかけの様なデザインなのだが(どんなデザインだよ~)首の後ろで結ぶようになっている紐が長くて大きく空いた背中に流れるようになるので後ろ姿が気に入っているのだ。

どこかに出かけるわけでもないのに一人着てみると・・・・
がーーーーーーーん!ファスナーが上がらない!
それでも、悪戦苦闘の末がんばって上げてみると、胸が大きいわけじゃないのに胸のあたりはパツンパツン。そいでもって、背中の肉も腋の肉も、むっちりとドレスの脇からはみ出ている。
直立不動でなければ着ていられない。
息をすると、はち切れそう。
(ここで一言いいわけ・・・私胸板が厚いんです。痩せても。)
こ、これでは、ご飯なんか絶対に食べに行けないし、その前に人前に出られない。

や、やせなければ。

ということで、モチベーションが上がり今朝なんか朝から自主トレ。
雨の中、歩いて仕事場まで行ったし、これから体重減少も視野に入れて頑張ろう。
ドレスが着られるようになるんだもん!

はあー、歳を取って、腹の虫の収まらないような出来事はほとんどなくなったけど、腹の肉は収まらん。

あ、オヤジ?

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