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2009年1月

そんなに安いですか~?

カルチャースクールで講座を開かせていただいてから、約1年。
昼、夜の講座とも3クール目。
受講生さんの意見の多くが、以外にも「この金額でいいんですか?」なのだ。
カルチャースクールはお手軽に参加できるということで、確かに金額はお手ごろ価格なんだけど。
(そりゃー私だってもっといただけるなら、頂きたいところなんですが・・・ね。)

先日は、「この金額で、ここまで教えていただいていいんですか?」(じゃ、お友達をたくさん紹介してください!笑。)と、言われたのだけど、金額に関係なく、リフレクソロジーを人に行う場合知っていたほうがいい、と言うか、知っておかねばならないことは、教えなくてはいけないからね。(ま、そう言っていただけるのはありがたいことなんだけどね、教える側としては。金返せ~だと困る。)

それに、ホームケアであっても、やはり人の身体に何らかの作用があるものだから、どういう理論の上に成り立っているのか?リフレクソロジーというものは、いったいどういうものなのか?ということを理解することはとても重要だと思う。
リフレクソロジーの場合(いろいろなところにも書いているけど)人間の身体の仕組みを簡単でもいいから知らなければ、リフレクソロジー自体の理論を理解するのが難しい。

それに、プロとしてサロンを開くよりも、ホームケアのほうが、なんらか疾患をお持ちの方に施術する可能性が高い。(ご家族のために講座を受けられる方が多いし、今の日本の場合、サロンにはリラクゼーションが目的で受けられる方のほうがまだまだ多いのではないだろうか。)

また、リフレクソロジーを学ぶことを通じて、自分の身体の仕組みを知ることは、自分の身体のケアに繋がっていくと思う。

ほんとに、ほんとに本音を言えば、もっと、高~~く、したいのだけど(だってね、場合によっては時給換算が最低時給を下回る・・・)お手軽に、正しくリフレクソロジーのよさを知っていただくというもの大事なこと。

私のミッションは、「正しくリフレクソロジーを少しでも多くの方に知っていただく。」なんだからね。

そういえば、カルチャースクールの受講生さんの感想が載っています。
嬉しいけど、照れるようなことも書いてくださっています。(どこからか、講座のときは猫をかぶっているに違いないとの声が聞こえてきそう・・・)
受講生の声

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幸せな人

いつだったか新聞で幸せだと感じている人にその理由を尋ねるとほとんどの人が『周りに幸せな人がいる』と、答えたそうだ。(複数回答の一部だと思うけど)

・・・確かに、自分の周りに不幸な人がいたら、幸せなんか感じないだろうなあ。
それに、人の幸せをすんなりと喜ぶことができる人は、または願える人は、それなりに自分も安定しているはずだしね。(その人の置かれている状況はともかく)

最近訳もなく「幸せだな~」と、朝晩問わず空を眺めながら思うことが多くて、何故かその理由を考えてしまうのだけど、私の周りにも取りあえずは幸せに暮らしている人が多いからなんだろうね。(各自の心の中まではわからないにしても)

と言いながら、まだ、幸せを感じている理由を探す自分がいるかもしれないけど、これからは、みんなが幸せなら、私も幸せ、私も幸せなら、みんなも幸せ、それでいいじゃないか、理由なんかどうでも、そう感じられるということは、やっぱり幸せなことなんだから。と思う事にした。

だってね、幸せの理由を考えるなんて、それこそ、~がなければ幸せじゃないとか、~じゃなければ幸せじゃない、とか、裏を返せば、~がないから不幸せ、~じゃないから不幸せと言っているのと同じなんだから、ある意味ネガティブな感情になるもんね。(幸せを感じながら、不安になっているバカがひとりここにいます、宣言と同じ。笑。)

と、久しぶりに自己完結。
タイトルどおりに、独り言でした。

チャンチャン。

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ミクロの決死圏

土曜日の養成講座はリンパ系だったのだが、リンパ系の講義で必ずと言ってよいほど思い出すのは、映画ミクロの決死圏 1966年の映画だけど今でもかなり面白いと思う。

潜水艦ごと小さくなって人の身体の中に入り、病気を治す、と言う話。
子供の頃に見たとき、血管中に人が入ったら白血球(・・・今思うと白血球じゃなくて、抗体かな。)が身体に張り付いて窒息しそうになる場面が怖かった。(絶対無理な話なんだけど、その時私は決して人の血管に入ることはよそうと思った。笑。)

そして、講義の中でも機会があったら見てみて、お勧めしたのだが、そしたらなんと!今日の13時からNHKのBSで放送される。
録画予約はばっちり。
ああ、見るの楽しみだわ~。

今見るとまた違った見方が出来るかも。

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ちょっと和んだ

昨日の新聞の四コマ漫画で、ちょっと和んだ。
(四コマ漫画を活字にすると感じが変わるかもしれないけど)

会社で、上司からねちねち、ガミガミと叱られ、帰り道「ああ、鬱になりそう・・」と、家路につき、家に帰って漫才を見ながらコタツで大笑いしている母親を見て「あの人の娘ならそんなことないか。ふっ。」と、安堵と共に笑う。

慰めの言葉や励ましの言葉じゃなくて、案外こういうこと(能天気な家族の姿)なんかが、人の心を支えているんだな~、と思ったしだい。

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すべてはうまくいっている

先週の終わりから久しぶりにおばあちゃんの坐骨神経痛が再発してなんだかんだと忙しかった。(ということでご無沙汰しておりました)
といっても、たいしたことが出来るわけでもなく、痛みのあるときは、何も出来なくてもそばにいてあげるとちょっとはいいかも、と、今週末の養成講座のおさらいを兼ねて、おばあちゃんの家で本を読んでいた。
あとは、様子を見てリフレクソロジートリートメントをしてあげることぐらいなんだけど、トリートメント中は少しは痛みが安らぐらしく、やはりそれなりの効果があるのだな、と実感。(と、おばあちゃんを実験台にするひどい孫でございます。)

孫の看病のおかげか、愛のトリートメントのおかげか、はたまた薬が効いたのか、今日は痛みがないらしく、長引かないようなので、ちょっとホッとした。

今回面白いなと思ったのは、日曜日に母がおばあちゃんの様子も見に来たのだけどそのままおばあちゃんの家で夜まで過ごしてくれたこと。(私はやることがあったのでいられなかったから)
お正月も一緒に過ごしたことがよかったのか、今までならそんなことはなかったのに。
挙句に、以前おばあちゃんが使っていたベッド(今は介護用ベッドです)をおばあちゃんのベッドと並べればこれからもおばあちゃんのところに来るときに都合がいいからと言ったらしい。(それで、今日姉とおばあちゃんの家模様替え大作戦を終了したのだ。)

今回痛い思いをしたおばあちゃんには悪いけど、人の死もそれがきっかけで人をつなぐことがあるように、病気なんかもそういう役目を果たすことがあるんだなと、何事もすべてうまくいっているんだな、と、感じたのだ。

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ささやかなことなんだけど

最近なんだかうまくいくことが多い。
お休みの時の用事なんか、大雑把に見積もっているのに、ほぼ時間通りに事が運んだり。
ほんとにささやかなことなんだけど、焦らなくてもよいということは、心と身体にいい。

そういえば、金運(?)というのか、お金についても、うまい具合にいくことが、多い。
威張って言えるほどのことではないけれど(宝くじが高額当選したとか、ハワイ旅行が当たったとか)ちょっぴり、得をすることが多いのは事実。

年末のバーゲンで、ウールのパンツがなんと!半額。これは買わねば!と意気込んで試着すれば、今までのサイズだとおしりがパッツンパッツン。うおおお、忘年会の沖縄あぐーのばら肉がおしりにきたか!ビミョーなおしりの具合に、店員さんも
「うーーーん、もうワンサイズあげますか?」
と、お世辞もなし。
ワンサイズ上げると、ウエストが合わないし、私の自尊心は急降下。(自堕落な自分の責任なんだけど)
半額を尻目に、パンツを断念。

ところが、年が明けて、何気なくその店の前を通ると、そのバーゲン価格のそのまた20%offになっている。
こうなれば、ワンサイズ上げようが、ウエストが少し合わなかろうが、自尊心が損なわれようが、再度トライ!
試着室に、ワンサイズ上げたのと、念のために今までのサイズを持ち込んで、履いてみる。
ワンサイズ上げたものは、おしりがたっぷりしていていい感じ。(でも、やっぱり、このままとどめなくサイズアップするのが、こ・わ・い。)
ええい、もう一回トライ!と、今までのサイズを履いてみると、そこに店員さんの声が
「お客様、いかがですか?」
恐る恐る「ちょっと、おしりが・・・」と言いながらカーテンを開けると、今度の店員さんは、「いいんじゃないですか?サイズは悪くないですよ~いい感じですよ♪」と。
「ええ、そうですか~。」と、少し顔がにやける。
「でも、おしりきつくないですか?」
「そんなことないですよ。」
「もう一回ワンサイズ上の履いてもいいですか?」
「もちろんです♪」
で、履いてみると
「最初のほうでいいですよ~。ラインも綺麗に出ていますよ♪」
「そうですか?じゃ、このサイズで。」
とお買い上げ~。

ということで、年末の店員さんがうなってくれたおかげで(?)、同じものを20%offで買えたのだ。そして、私も自尊心も傷つけずに済んだ。(でも、がんばって自主トレしま~す。)

同じことが他でもあって、買うつもりだったのに、荷物が多くなり、ま、いっか、と、買うことを先延ばしにしていたら、なんと!これまた半額になっていて、お買い得、と言うのがあったし、たまたま、インターネットを光に変えただけなのに、その引き落としをカードでしたら、キャンペーン中で500円の図書券がもらえた。(最初、カード会社からの郵便物に反応して、えええーー!ちゃんと、今月分残高あるよ~!と、叫んでしまった私って・・・orz)

こういうことが起こると、身体の力を抜いて、おまかせする、物事は自然にうまく運ぶ、を些細なことが教えてくれている気がするんだな。
(バーゲン品にうまく当たっただけなんだけどね。笑。)

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おじいちゃん

おばあちゃんの話はよく書くけれど、そういえばおじいちゃんの話は書いてない。

今私が書いているおばあちゃんは母の母で。(なんか笑える。)今書こうとしているのは、そのおばあちゃんの旦那のこと。(そう、私のおじいちゃん。)

父方のおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっていたので会った事は(当然)ないけれど、母方のおじいちゃんには、世話になった。
と言っても、おじいちゃんが亡くなったのは私が6歳のとき。まだ、小学生にもなっていないとき、年末、お餅を切っているとき脳溢血で亡くなった。(だから子供の頃はお餅を切るのは命がけだと思っていた)

このおじいちゃんの思い出は少ないのだけれど、どうしても忘れられない思い出が3つある。

とっても怖いと思っていたおじいちゃん。
なのに

ある日お味噌汁のおわんが熱の加減かお膳の上をくるくる動いたことがあったのだけど、それを見て笑っているおじいちゃん。
子供の頃夜中におトイレに行きたくなった時付いてきてくれたおじいちゃん。
泥団子がピカピカになったのでおばあちゃんに見せたくて玄関まで持っていったのに、玄関で落としてしまってグシャとなったとき、「あーーー一巻の終わり!」と思ったのに、静かな声で「母さん、早く片付けろ」と、言った。

おじいちゃんのことを思い出すとき、必ず浮かぶ。

久しぶりに思い出したのだけど、それから他のおじいちゃんとの思い出をなんとなくつらつらと考えていたら、まだまだいっぱい出てきた。

鈴鹿サーキットに連れて行ってくれたこととか、万博(愛知万博じゃないよ~。大阪の。笑。)名古屋に連れて来てくれた事とか(その頃私達は四日市、親は名古屋に住んでいた)

たった、6年ほどの間にいろんなところに連れて行ってくれたな、と。

子供の頃に強烈に覚えていることは案外トラウマになるような悪いことが多かったのだが、こうして思い出してみると、ちゃんと大事にされて成長してきたんだな、と、感じる。

そう思ったら、今の自分の自信の目盛りも少し上がった。

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ダライ・ラマの自伝を読んで

年末からお正月にかけて、ダライ・ラマの自伝を読んだのだ。(前にも書いたけど・・・)
ダライ・ラマの生まれ変わりとして認められたのはまだ幼少のときで、それから僧侶としての勉強のこと、また、中国との関係の中で学んできたこと(もちろん亡命のことなども)が書かれている。
正直言って、なんだかホッとする内容だった。
だってね、あのダライ・ラマでさえ、いろいろな出来事の中から学んでいる様子がよくわかる本だったから。最初から仏様のような人ではないんだ~なんて。(結構食い意地が張っていて、おなかを壊したとか、胃が痛くて死にそうになったとか、も書いてあった。)

そういえば、聖書を読んだときもやたらとキリストがものを食べている場面が多かった。どの福音書だったか忘れたけれど、磔刑の後、復活したときに弟子達に初めて言った言葉が「何か食べるものはないか?」だった。
こういうエピソードには、ホッとする。

凡人なら、悩み多くて当たり前。
野坂さんの昔のコマーシャルじゃないけれど
「ソ、ソ、ソクラテスも、プラトンも、みぃーんな悩んで大きくなった!」
って、感じかな。

悟りへの道はまだまだ遠い・・・。

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静かなお正月

毎年年末から年明けにかけてはひとりで過ごすのだが(これ以外と好きな時間)今回は母もおばあちゃんも家にいると言う。
女三代スープの冷めない距離で皆ひとり暮らしをしているのだけど、まあ、そういうことなら3人で一緒に過ごそうということになった。
年末は紅白を見ながら(おお!何年ぶり!)3人でしゃぶしゃぶを食べ、10時ぐらいには解散。(年越しは各自家で)
元旦は1年ぶりに目覚ましをかけずに寝るから何時に来るかわからないとおばあちゃんに宣言し、そのとおり8時半起床。(ひとり暮らしとはいえ毎朝おばあちゃんのところにお朝ご飯を作りに行くので目覚ましなしの朝はお正月ぐらいなのだ)
9時ごろおばあちゃんのところに行くと、すぐに母もやってきて、三人で朝ごはん。
お昼ごろまで各自好きなようにおばあちゃんの家で過ごす。(母は二度寝。おばあちゃんテレビ。私は本を読んでいた。)
その後も母はずっとおばあちゃんの家に夜までいて、ご飯を食べて帰る、私は時々昼寝をしに(または映画を見に)帰る。そしてまた、夜ご飯をおばあちゃん家で、というお正月だった。

なぁーーんにもしない。静かなお正月。でも、3人で過ごすのはほんとに何年ぶりだろう。
同じ空間にいて、それぞれが好きなように過ごして、特別なことは何もしない。
外のよいお天気を見ながら、本を読み、時々何かしゃべって。
一見つまらなそうに見えるかもしれないけれど、家族だからこそ、出来る時間の過ごし方だと思う。
気を使わずに同じ空間にいる安心感。

丁度読みかけのダライ・ラマの自伝を読んでいたのだが、自分の家族や愛するものたちと安定した関係や時間を持てるというのは自分の健やかさや幸せにとって、とても必要なことなんだと思う。本にもそういうようなことが書いあった。(いつものようにうろ覚え)それを実感。

今までの人生でいろいろあった家族だけど、こうした時間を過ごせたのは嬉しかった。(最初は私の時間が~なんて思ってたんだけどね。)

今年は、自分を大事にしてあげること。お蔭様で、を忘れないこと。の年にしていきたい、と思ったのだけど、お蔭様で、自分を大事に思ってくれている家族がそばにいるということに気付かせてもらったお正月が過ごせた。

(・・・・一番よかったのは男がいなかったことかしら?おんな3人は結構面白いのよね。姦しいし。笑。)

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明けましておめでとうございます。

2009年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
皆様にとって、素敵な一年でありますように。

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