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2007年4月

ヒーラーの鏡?

あほなことに、土曜のコース前、お掃除を済まし、もうそろそろ、受講生の方たちも来る頃だろうと、コーヒーを(あっ、インスタントね)いれようと、カップにお湯を注いだとき、左手に衝撃がーーーーー!

なんと、ポットのふたがきちんと閉まっていずに、手に熱湯が、だーーーーっと、かかってしまったのだ。

「NO------!」と叫びながら、水で冷やし、しばらく呆然。

髪は女の命だけど、手はリフレクソロジストの命・・・。

今日の実技、どうするんじゃ?と、うなだれた。

アトピーも左手のほうがひどかったし、今回の火傷も、左手なので「これは、もしかして、神様からのメッセージ?」なんて、思ったが、きっと、ただの阿呆に違いない。(でも、寛容の心もきっと足りないのだろうね)

しばらく水で冷やしていると、それほどたいしたこともなさそうだったので、講義を開始。

でも、やっぱり冷やすことを止めると、痛くてたまらず、なんと、バケツに水を張ってその中に手を入れて講義する始末。(なさけなや~。)

身体が冷えるぐらい手を冷やしたら、なんとかたまらない痛さも引いていった。(ありがたや~)

なんだかんだと無事に講義は進み、お昼近くなって、その日足モデルをお願いしていたRioさんが、到着。

私のやけどのことを知るなり、すかさずレイキを当ててくれた。

じわじわと、伝わってくるエネルギーが、細胞にいきわたる。

今日モデルをお願いしていたのは、このことのためだったのかも?なんて、思いながら、しばらく、レイキのエネルギーをありがたく頂戴した。

レイキヒーリングもさることながら、Rioさんには、ヒーラーの心を見せてもらった。

言葉よりも、手が先に動く。

お蔭様で、その日は、痛みも感じず、夜お風呂に入るにも何も問題はなかった。

もちろん、デモンストレーションを含め、講義も支障なく進んだし。ありがとうございます。

リフレクソロジーもそうだけれど、自分の手で、何か人にできるって、いいなぁ、と思う。

道具もなしでね。

手があればいい。

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人によって、感じ方もいろいろ。

松坂屋ストアの玄関にあるお客様掲示板を時々読むのだけど(暇人です。いえいえ、お客様相手のご商売、何かヒントでもと思って・・・・)、この間、おもしろいなぁ、と思った。

ここのストアは、普通の野菜と、有機栽培の野菜と両方おいてあるのだが、

しばらく前に読んだお客様の声には、

「有機野菜が充実していると聞いて遠いところから来たのに、品数が少なすぎる。云々・・・。」

と、あったのに、この前読んだお客様の声には

「有機野菜がこんなにたくさんそろえてあって、嬉しいです。云々・・・。」

と書いてあった。

私が思うに、最初の投書と後の投書との間に有機野菜が増えたわけでもない。

それでも、これほど感じ方が違うんだぁ。

最初の投書の人は、期待が大きかったのかもしれないけれど、文面からもぷりぷり感が伝わってくる。(もちろん、投書するぐらいだからね)

でも、後の人も投書するぐらい嬉しかったようだし。

同じものを見てもこの違い。

人にはそれぞれ違いがあるから面白い、のだろうけれど、

「この人たちが出会ったらどうなるのかしらん?」などと、一人勝手に、松坂屋ストアの玄関で想像してみたのである。

(やっぱり暇人・・・?)

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お天気がよいので

久しぶりに、アイビーの剪定なんぞをしましたが、悲しいことに、べラックベリーの鉢においてあったかえるちゃんの置物が盗られていたことに気がついた。

通りすがりの小さな子供が、ちゅーをしたことがあるほど、キュートな子だったんですが、本音は、「ちくしょーーーーーーー!」です。

盗んでいくぐらいだから、きっと気に入ったのでしょうけれど、ものを盗むような人がものを大事にするとは思えず、その子の成り行きがちょっと心配です。

大事にして下さい。

毎度毎度、アイビーは、生命力が大せいで、ジャングルのように茂っているのだけれど、これまたアブラムシがつきやすく、虫が嫌いな人には、地獄のようについてます。

おいしい新芽を狙ってね。

このアイビーは、自分で刺し芽をして増やした子なので、いとおしく感じる。

最初は、玄関の塀のトレリスに、まばらなアイビーがちょろちょろと植わっていただけで、いつになったら、このトレリスを覆い尽くすぐらいになるのだろうと思っていたことがうそのよう。この仕事を続けてきた証拠のようで、ジャングルになっても、アブラムシが、ついていても、この子たちには、いつも励まされているのだ。

それにしても、こうして暖かくなると、植木の世話や庭仕事が楽しくなる。

冬の間、枯れ草ばかりだった庭もこぼれ種で増えた草花でいっぱい。

雑草の花まで、かわいい。

葡萄も今年もたくさんの房をつけてくれている。

サボテンを枯らした女が、こうなるとは誰が想像したであろう。

人生は、わかんないね。

可能性に満ちている。

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昨日は

ベーシックコースで、2度もモデルになったせいか、ダルダルでございます。

ソフトタッチといえども、1日に2度の施術は本来禁忌。

ハンド、フットと、両方行うのも、禁忌です。

でも、こうして自分で体験するのも大事なこと。

きっと、明日は爽快なはず・・・。

今夜のバレエクラス・・・も、もつかしら?

中年女には、ちょっと辛いかも。

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桜もいいけれど

桜の季節は、まだ寒いので、新緑のほうに、春を感じる。(初夏か・・・)

今朝も、仕事場に行く途中、若宮大通と白川公園の並木の新緑がきれいだった。

昨日の寒さとは打って変わって、暖かだった今日。

鼻歌交じりで、ルンルン気分。

自転車通勤には、こういう楽しみがあるのだ。

もう、十年以上も前の話だけれど、かなり大変な時期があった。

一番大変な頃が丁度冬で、それこそ元気なんか出るわけもなく、いつも地面ばかり見て、歩いていた。

時折見上げる空も、鉛色。

公園も木々も、枯れたようで、暗い気分に拍車をかけていた。

でも、そんなある日、鉛色の空を見上げたとき、その枯れたような木に、若葉が芽吹いているのが見えた。

その時、「ああ、あんな硬い幹からも、柔らかな芽がでてくるんだ。」って、思った。(当たり前のことだけれど)

すると自分の固くなってしまった心にも、何かがまだ、残っていそうで、重い心に少し春の風を感じたのを覚えている。

それから、毎年この頃になると、新緑を見ると、「がんばろう。自分の可能性に向けて。」と、心に思うのだ。

乗り越えられない問題は抱えてこないと思う。

神様は、困ったとき、ドラえもんのポケットのようなものがあって、そこから必要なものを探させてくれるような気がする。

そこを探せば、何かがある。

それを探すのも、使うのもその人の自由。

でも、乗り越えていくのはあくまでも自分。

自分の知らない自分なのかもしれない。

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自分を知る旅

この仕事を始めた頃お客様に、自分の悪い気がいったり、気を取っちゃたりするのが怖くて、必ず、オーラ・ソーマのポマンダーを使い、自分を浄化して、軽い瞑想をするようにしていた。(今でもそうだけれど)

というのも、最初にリフレクソロジーを教えてただいた先生から聞いた話のおかげ。

その先生は、イギリスでアロマの勉強をしているときにリフレクソロジーを知って、ついでに勉強された方。

日本に帰る日も近くなって、念願だったフィドホーンに行き、レイキを受けたそうなのだ。

(その時大きなセラピストの集まりがあったらしく、フィドホーンにはほとんどセラピストがいなかったらしいのだが・・・・。)

ところが、その時受けたレイキは、どうやら、「冷気」(笑)だったらしくて、その後、寒気が襲い、まともに歩けなかったらしい。(笑い話じゃないのだけれどね。)

その話を聞いたとき、自分にも思い当たることがあった。

ある人と会った後、先生に聞いた話と同じようなことを経験していたのだ。

真夏なのに、寒気が襲ってきて、まともに歩けなくて、震えながら家まで帰ったことがある。背筋が寒くてなかなか寝付けなくて、その時は、「ああ。風邪だぁ」と、思ってアイスノンを頭に当てて寝たのだ。

でも、朝になると、けろっとしていたので、自分の回復力に感心していたのだけれど。

先生に話すと「それはね、きっとエネルギーをとられたのよ。そういうことってあるから。」

その時は、あまりスピリチュアルなことにも疎かったので、「おお!そういうこともあるのか!」と、驚いていたのだ。

先生からも、そういうことがあるので、やっぱりこういう人に触れる仕事をするなら、自分のバランスを取ることがプロとしては大事だ、ということも、教わった。

今では、それを実感している。(ありがたいことを教わったものだと、感謝してます。)

だから、この仕事を始めてから、仕事をすることと、自分の内面に入る(バランスを取る)が二人三脚になった。

自分が弱っているとき、バランスが崩れているときは、よい仕事はできないし、いわゆるお客様から影響を受ける、ということも起きる。

もちろん、だからといって、人生には山もあれば、谷もある。避けては通れないから、いつも安定、というわけにはいかない。

でも、何かが起こったとき、自分の内面に入って、自分の声を聞く、本当の問題点に気付く、ということは、バランスを取る上で、欠かせないこと。

この仕事を始めてから、そういう時間が増えたし、そういう時間を取らないと、仕事に影響が出る。

もちろん、この仕事に限ったわけではないのだろうけれど、私にとっては、リフレクソロジーを仕事にしたということは、自分を知る、という旅への出発だったのだ。

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歯の調子が・・・

最近いまいち。なぜだか硬いものを噛むと全体的に痛いような(意味不明で申し訳ない)不安定のような。

歳もいわゆる中年の域に達してきたので、歯槽膿漏かしら?と、ちょっと、びびったのだけれど、毎日コンビタのプロポリス歯磨きティートリー入りで、念入りに磨いているし、歯間ブラシも欠かさないから、?だったのだ。

そしたらなんと、昨日の夜寝ているときに歯を食いしばっている自分に気がついたのだ。

寝ながら、「あ、だめだ。」と、あごを緩めている自分に気がついた。

気がついたのはいいけれど、だ、だめじゃん・・・・。

自分では、神経図太く生きているつもりでも、ほんとは、繊細、はっきり言って、小心者なのんだなぁ、と、しみじみ。

日々の家賃と食費に追われ(笑)思っているより、がんばっているんだなぁ、と、感心するやら、がっくりくるやら。

太いのは、腹だけだったのだ。

これからは、おなかばっかり、太くするのは止めて、少し神経を太くしよう。

よだれたらして、昼寝は、いいんだねぇ♪

やっぱり。

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水曜は

おばあちゃんがお風呂に入る日だから(入れてくれるのはヘルパーさん、と言っても、姉だけれど)朝ご飯が終わってお風呂を沸かしているときにトリートメントをするのが、習慣になっている。

今日は、爪も切って、耳掃除もし、朝からさっぱり。

お天気も、陽気もいいので、いい気分。

何よりも、おばあちゃんの世話を楽しんで出来る自分が、うれしい。

最近は、自分の調子がいまいちだったので、ちょっと負担になっていたのも事実。

ほんとに、自分に余裕がないと、いらないストレスまで抱え込んでしまうのものだと、実感。

同じ事をするにしても、楽しめるか、負担になるかは、大違い。

いい意味での、人のことより、まず、自分のことだな、と、思ったのだ。

気候もよくなってきて、おばあちゃんの調子もとてもよい感じ。

トリートメントをすると、「ほんとに楽になるよ~。」と言ってくれる。

ありがたいことです。

リフレクソロジーが、出来てよかった。

(しみじみ・・・・。)

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嬉しいこと

リフレクソロジーのよさをより多くの人に知ってもらうには、スクールを開くといいんだろうなぁ、なんて、思って開いた。

まぁ、最初から簡単にはいかなかったけれど、それでも少しずつ目標に近づいているよう。

ヒーリングスペースkalamahttp://kalama.jp/ベーシックコース修了生の方のサロン。

実際に仕事としてリフレクソロジーを始めてくれる方がいる。。(もちろん他にもいらっしゃるけれどね。)

嬉しいなぁ。

もちろん、ご家族の方のため、という方も、とっても嬉しいけど。(ベーシックの方は、この場合が多いの。)

それに、他県からの参加者が多いことにも驚いている。

京都や長野や伊豆だと、驚く。(おいおい)

そして、ありがたいな、と思うのだ。

気合を入れて、ふんどしを締めなおそう。(してないけどね。笑。)

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昨日の続きではないけれど、『許す』って、受け入れるということなんだろなぁ、と、思う。

オーラソーマで、赤のクオリティについて勉強したとき、

ネガティブな面は、「拒絶」

ポジティブな面は、「そこにあってもいいよ。」

だった。

この「そこにあってもいいよ」というのが、『許し』であり、受け入れる、ということなんだろうね。

ありのままを受け入れる。

簡単そうで難しい。

またもや、修行は続くのだ・・・。

そういえば、先日時間のあるときに本屋さんで、買った本。

ヘンマン・ヘッセの「シッダールタ」

(動機は、字が多くて、安い。さすが新潮文庫。笑。)

動機の不純さにしては、今の私にぴったりの本だった。

久しぶりに内面と向き合っています。

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許す

人生は「許す」を学ぶための修行のようなもの、というけれど、まずは自分を許すことから始まるような気がする、今日のこのごろ。

怒る自分を許し、感情的になる自分も許し、愚痴っぽかったり、ちょっと意地悪なものの見方をしている自分も、許す。

惰眠をむさぼる自分を許し、心に余裕のなくなった自分も許す。

何せ、凡人なるゆえ、表は取り繕っても、心の中には、意地悪な自分もいれば、愚痴っている自分もいる。人に批判的になったり、怒っている自分もいるのだ。

自分の心には、うそをつけない。

ということで、まぁ、最後には、許せない自分すら、許す。(笑)

そうすることができたら、魂の螺旋階段も、三段跳びぐらいになるんじゃないかしら?

でも、螺旋階段の三段跳びって、かなり高度な技術がいるよね、きっと。やったことないけど・・・・。修行に、近道はないっていることね。

と、久しぶりに、勝手に納得。

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のんべんだらりと

過ごした週末。

長年週末がお休みの習慣だったので、土日のお休みは、やっぱり休まる感じがする。

去年から、久しぶりの週末休み。

考えてみれば、ここのところお休みでも、やれアレルギーだ、風邪だ、熱だ、と、ゆっくりとしたことがなかった。

いつもは親密にソファと過ごすはずの休みも、「痒いよ~。」とか、身体が熱でぼかぼか、とかで、友好を深めるどころではなかったのだ。

ということで、先送りしていいことは先送りして、ソファとともに、過ごした週末。

なぁんにもせずに、ソファで、過ごした。

それがよかったのか、熱のおかげか、カモミールのおかげか(アレルギーにいいらしい)、どれがよかったのかはわからないけれど、アレルギーも、自然に治まってきた。

面白いことに、いったん薬で抑えたところは、また出てきてから、治まっていく。

出るものは出さなくてはいけないということね。

久しぶりにだらりん、と過ごして気がついたけれど、私は、ボーっと過ごすのが得意。(好き?)1ヶ月南の島で、ボーっと過ごせといわれたら、狂喜乱舞するはず。

だけれど、暇な時間を過ごしていると、なんて、私は怠け者!と、思ってしまう、めんどくさい性格。(忙しさは美徳で、ぼーっは、ダメ。って、思い込み。)

最近の忙しさに、本来の「ぼーっとする。」という自分の得意分野を忘れていたから、アレルギーや熱、という形で現れたのかもしれない。

最近ずいぶんと楽天家になったつもりでいたけれど、本来の心配性が、強くなっていたせいもあるんだろうね。

暇すぎても困るけど(家賃が払えぬ。)自分を忘れるほどに忙しく、余裕がなくなるのも、困ったものだ。

なかなか、中庸の道は、程遠い。

まだまだ、修行の真っ最中。

これからは、時々ソファと語る日々をつくろう。

よく遊び、よく働き、が、いいようで・・・。

(私の場合は、ぼーっとするだけど。)

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