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なんちゃって、だったけれど

おかげさまで、おばあちゃんは、見事復活し、とっても元気になった。

強引に手術を進めたお医者さんに、見せてあげたいほどである。

ということで、私もおばあちゃんの介護と言うより単なる世話をしているだけになったのだが、このなんちゃって介護が、とてもよい経験になった。

おばあちゃんが、夏に退院してからは、朝、昼、晩と、食事の世話やら、お風呂の世話で、かなり大変だったけれど、しばらくしてヘルパーとして姉がお昼に入ってくれるようになってからは、楽になった。でも、その後、私の仕事も忙しくなって(おかげさまでね)、夜の食事の世話も大変になったのだ。

特に、土、日は姉には、家族がいるし、予定もたくさんあるので、私がスクールがある日も終わってから買い物をして、おばあちゃんのところに行っていた。

でも、しばらくして、自分が辛くなってきたのだ。

おばあちゃんのことは、大好きだし、心配だし、世話がいやなわけじゃない。

だけど、仕事もしなくちゃいけない。時間も不規則だし、休みがない。自分の時間がない。必然的に寝る時間が遅くなる。身体もくたびれてくる。

おばあちゃんのところに行っても、「ああ、疲れた、疲れた!」を連発している自分もいやになった。(だって、おばあちゃんだって聞きたくないよね。)

で、それからしばらくして、アトピーが出始めたのだ。

ある日曜、急に仕事が入って、7時を回り、その後買い物をしておばあちゃんのところに行こうと思っているとき、「私何しているんだろう?身体にぶつぶつまで作って、何をがんばっているんだろう?」と、思って泣けてきた。

これではいかんと思い、姉に電話して、気持ちをそのまま伝えると、「これからは、基本的には私が夜行くから、行けるときは連絡して。」と言ってくれたのだ。(何を一人で背負い込んでいたのやら)

(人に甘えるのが苦手な自分だけれど、下手なりに、甘えられる家族がいることは幸せなことです。)

でも、面白いことに、その後、仕事がない日に、おばあちゃんのところに行かないことがかえって、苦になってきたのだ。

家族がいて、忙しいはずの姉が行ってくれている、私は家でのんびりしていていいのか・・・。

後ろめたい気分になっている自分がいて、のんびりできない。

で、結局は、夜、私から連絡しておばあちゃんのところに行くことが、多いのだ。

でも、今度は、いけるときに行く、から、心に余裕がある。

時間にも余裕があるから、夜ご飯も楽しんで作ってあげられるようになった。

普段から、心と身体に余裕がないとこの仕事はできない、なんて、人に言っているけれど、まさに、そのときの私は、余裕がなかったのだ。

今回のことは、ご家族を介護している方の大変さを垣間見せてくれたと思う。(なんちゃってだけれど)

家族は大事だし、大切にしたい、でも、介護はくたびれることも事実なのだ。

共倒れになる方も多いと聞く。

仕方なく、施設にいれている方も多いと思う。

お客様で、お母様の介護を長年している方がいるのだけれど、その方が言っていた

「介護が終わると言うことは、お別れを意味するの。」

介護がいつ終わるのだろうと思う気持ちと、終わりはお別れだ、という、気持ちの葛藤に悩まれたこともあったのだという。

その方に比べれば、私なんてほんとになんちゃって、だけれど、その気持ちがちょっぴり、実感を伴ってわかるようになったのだ。

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