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別に信心深いわけではないけれど

子供の頃から、誰もそばにいなくても、誰かが見ているような気がして(と言っても霊とかそんなんじゃなくて)悪いと言われていることができなかった。

今思えば、子供心なりに、神様を漠然と信じていたんだと思う。

神様のところには通信簿のようなものがあって、悪さをすると、一点減点。いい事をすると、一点加算、とか。

昔風で言うと、「誰も見てなくても、お天道様は見てるんだよ」てなかんじ。

(じゃぁ、夜ならいいのか?笑。それに、何で、お天道様なのか?だけど。?お天道様って、太陽の事じゃないのかな?と、長々と、自分突っ込みしてしまった。)

今でも、その傾向があって、うそをついたり、とかが、とてもへた。つく前に、挙動不審になる。(ああ、神様はお見通しなんだわ、なんて、思って。一点減点)

だから、いい事をしたとしても、徳を積む、というより、今までの(過去世を含めて)減点分を何とか、ゼロにしているような感じがするのだ。

おばあちゃんの世話をしていても(と言っても世話というほどのことではないけれど)子供の頃一杯一杯、世話になったおばあちゃんなので、私が世話を見ることのできる余裕ができるまで長生きしてくれて、今までのお返しをさせてもらっているんだなと、思う。

といいながらも、時々仕事が忙しいと、その世話を苦にして、イライラしたりもするんだけど。

(一点減点!)

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