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2006年7月

予定変更

昨日のニューズレターの打ち合わせは、どういうわけか、皆さんの都合により変更になった。

一品持ち寄りなので、仕事の都合で、朝から、簡単なの物を作り、雨の中荷物を持って、おいこらしょ、っと、自転車をこぎながら、栄に向かった。

と、その後の変更で、お料理がいらなくなってしまったのだ。

ちょっぴり、残念で、なんとなく、気抜け・・・まあ、たいした料理ではないのだけれどね。

仕事が終わってから、デパートにお野菜を買いに出かけ、久しぶりにフォッションにも寄ったら、なんと、バゲットが焼きたてー。

香ばしい香りがあたり一面に広がっている。

早速買って、栄の仕事場に帰り、しばらく自主トレ。

そう言えば今夜はおばあちゃんのことは姉に頼んであるので、久しぶりにのんびり過ごせる夜。

シャワーで、汗を流し、ビールを飲んで、バゲットをほうばる。

よい香り~。

心地よい風も吹いて、冷たい白ワインが(安物ではあるが)とってもおいしい。

打ち合わせで、皆さんに会えなかったのは残念だったけれど、のんびりとした土曜の夜をプレゼントしてもらった気分。

急な予定変更や、やりたい事が何かに邪魔される時は、本来行くべき方向に、戻してもらっている様な気がする。

そのときは、エッと、思う事も、後になってみれば・・・・ということが多いのだ。

現実は自分が創っているというけれど、時々神様は、見るに見かねて、そっと、力を貸してくれるようだ。

きっと今の私にとっては、気がかりなくのんびりとした時間を過ごす事が大切だったようで。

今日は朝から、すがすがしい気分で、お掃除と洗濯。

朝の物干し場の風も気持ちよかった。

ささやかな、夏休みでございます。

ありがたや~。

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おばあちゃんの思い出

と言っても、まだ、元気です。

最近おばあちゃんは坐骨神経痛のせいで、歩く事が辛いようなので、おばあちゃんの家に行く回数が増えた。(もちろん、姉も)

昨日は、姉に連れられ、接骨院に行って、テーピングをしてもらい、その後、リフレクソロジートリートメントをしたら、好転反応か、痛みが強くなったとのこと。

仕事が入っていたので、仕事が終わってから、電話をすると、ひとりでお風呂に入ると言う。(うちのおばあちゃんの根性には、脱帽)

だけど、大丈夫か、と思い「心配だから、今から行く。」と言うと、「心配してくれてありがとう」と言うのだ。

普通に孫として、おばあちゃんを心配しただけなのに、「ありがとう。」って、なんだか不思議な感じがした。

子供の頃、両親とはなれて、おばあちゃんに育ててもらったのだが、その頃は、完璧な保護者を望んでいて(きっと、子供なら誰でも思うんじゃないかな。一時は)いつも鬼のように怒っているおばあちゃんが、やさしくなりますように、と、いつも思っていた。(とにかく鬼婆ぁだったのだ)

今思えば、生活に追われて、自分の子でも精一杯なのに(おじいちゃんが、もう死んでいたから)私たちまで、面倒を見てくれていたのだから、しょうがなかったんだと思うけど。

それでも、仕事から帰ってくるおばあちゃんを家の近くまで迎えに行くと、両手を広げて、待っていてくれた。歯の無い笑顔で、両手を広げて。

誰だって、誰かに心配してもらったり、やさしくしてもらいたいと思っていると思う。

おばあちゃんもそうに決っている。

子供の頃や若い時は、おばあちゃんというだけで、自分は甘えるばかりでいいと思っていたけれど、おばあちゃんだって、長いこと誰にも甘えずにきたんだから、これからは、ね。

と、ちょっぴり、孫は、感傷に浸りながら、心配なので、今朝様子を見に行ったら、足はずいぶんと楽になったようで、声も弾んでいた。(朝っぱらから、カレーまで、食べていた。)

今日は、小銭貯金のお金の勘定をして(ボケないように)、足がよくなったら、また、パチンコに出掛けるんだとさ。

鬼婆ぁぶりは、健在だわ。

でも、その血を引いているのね、私・・・。

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リフレクソロジーの今後

ベイリーの同期のぱにちゃんの話を読んで、今後の日本でのリフレクソロジーについて、もっと具体的に考え行動しなくては、という思いに駆られた。

リフレクソロジーは、日本では、リラクゼーションとして広まったが、本来は、医学の世界で生まれたもの。医者であるフィッツジェラルド博士が考案したゾーンセラピーを治療に用いたのが始まり。

現在の形をまとめたのも、物理療法士(理学療法士?)のインガム氏。

イギリスのベイリー氏、ドイツのマルカート氏、共に、看護士。

マルカート氏の書いた本などは、かなり古い本ではあるけれど、読んでみると、リフレクソロジーを明らかに治療方法として書いている。

ただ、リフレクソロジーは、他の療法と違って、どのような人にも同じアプローチをする。
直接的な対処療法的なものとは違う。間接的な全体療法とも言うべきもの。

だから、安全で、家庭で行っても、問題は無く(器具を使う手技は別)、効果も大きい。

正しい知識と経験をもったプロが行えば、かなりの症状の改善に効果があるのも事実。

世界的に見ても、本来の医療の現場での活用を、という傾向があるようだ。

まぁ、日本のように大手サロンが、たくさんあるというのも、世界的に見て珍しいのだろうけれど。

(まとまりのない文になりそう・・・)

わがスクールでも、解剖生理や病理は教えているけれど、まったくそういった知識が無くても行えるというのもある意味リフレクソロジーのよさであると思う。

それに今の日本の現状だと、逆に知っていてもそれを活かすと言うことは、法律的には、難しい。(治療として行えない)

ただ、人の身体について関わっていく仕事をするなら、知っているに越した事はないし、医療の現場で、活動するなら、仕事をする上で、知らないとコミニュケーション能は、落ちる。

法律的に、資格ができたから、解剖生理や病理を教えると言うのではなくて、実績を積むためにもこういった知識は本来は必要だと思う。

リフレクソロジーを行う人たちが、しっかりとした意識をもって、形を残していけるようになれば、その後に何か動きが出てくるのかもしれない。

スクールでも、もちろん私も、これからも勉強と、経験を積んでいかねば。

これを読んでいる方で、万が一お医者様で、リフレクソロジーに興味があれば、ご連絡くださいね。(笑)

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存在理由

以前に勤めていた身体障害者の施設は、重度の方ばかりで、聞こえない、見えない、しゃべれない、という方が、2人もいた。

ある日その方の一人にトリートメントを行っている時、思った事。

この人は何が目的で、生まれてきたのだろう。

時々笑ったり、いろいろな表情を見せてくれるので、きっと、彼の中ではいろいろな精神活動があるのだろうけれど。

と、考えながら続けているうちに、ある思いが浮かんだ。

「少なくとも、私にとって、貴重な経験をさせてくれている!」

本当の存在理由なんて、わからない。もちろん私だって、どうしてこの世に存在しているんだか、考え出したら、眠れなくなる。(はるか昔から、その事について、どれだけの人が頭をひねったり、不眠症になった事か)

この私の稚拙な文章からは、うまく伝わらないかもしれないけれど、そのときは、何故だかとても感動して、その方に感謝すると共に、自分がリフレクソロジーと言うものを身に付けていてよかったと思ったのだ。
でなければ、この人とも出会うことも、触れ合う事もできなかったんだから。

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ベーシック最終日

昨日はベーシックの最終日だった。

受講生の方は、一人だけど、この方は、初日が去年の6月。仕事の関係で、途中で、3回目が受講できなくなり、今年に入ってから、再受講、そして、また、仕事の都合で、やっと、今月終了。

よく途中で投げ出さずに、最後まで受講してくださったなと、思う。

受講生の方からは「こんな生徒ですいません・・・」なんて、言われたけれど、私にしてみれば、「最後まで、受けていただいてありがとうございます。」だ。

ベーシックの場合は、毎月開講しているのと、少しでも多くの方にリフレクソロジーのよさを知っていただきたいのとで、どうしても、都合の悪くなった方には、なるべくふりかえで対処しているけれど、このように長くかかった方は初めて。(もちろんその場合は、ケーススタディをやり続けていただくのだが)

でも、最後までやりとおしてくれた事が、私にとっては、とてもうれしかったのだ。

他県から何度も名古屋に来て頂いて、本当にお疲れ様でした。

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塞ぎ虫の特効薬

なんとなく心が塞いでいるなぁ、と思うとき、R・フルガムさんのエッセイを読むようにしている。(読んだ事がある人にはわかる、タイトルもぱくってます。)

ちなみにフルガムさんの場合は、ベートーヴェンの第九を大音量で(ヘッドホンでね)聞くらしい。

この人書いている物を読むと、人はろくでもないことをしでかす事もあるし、人生にも、いろいろな事が起こる、それでも、人も人生も、捨てたものではないし、信じてみるものいいもんだ、という気になるのだ。

自分がちっぽけに見えたり、なぁんにもいい事なんて、ありゃしない、と、感じる時の特効薬。(使用上の注意・・・万人に効果があるとは限りませんが、使用量は、各自お好みで。)

ここのところの長雨や、仕事が暇(これはいつでもか、笑。)なのも、あいまって、なんとなく顔から表情が消えていきそうな気がしていたんだけれど、朝、本棚に目をやって気が付いたのだ、特効薬の存在を。

それと、少々のユーモアがあれば、大抵は大丈夫。

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職人技

朝の番組で、2007年問題にからめて、職人さんのことをやっていたが、やっぱり職人さんは、すごいなぁ、と、当たり前の反応をしてしまった。

セイコーの時計職人さん。(100分の1mmの仕事をされている)

TOTOの便器の型を作っている職人さん。(この人しか作れないそうです。)

ガラスを磨く研磨機の機械の操作をしている人。

いろいろな分野の職人さんが出てきたが、どんなに、オートメーション化しても、最後には、人の手で仕上げるしかないようだ。

そして、皆さんが、口をそろえていうのが、「勘所」

数字では表せない手の感覚や、目の感覚。

そばで見ていると、簡単そうにこなしている。

やっぱりそれが、プロ、職人さんなのね。

以前にもテレビで、左官やさんの仕事に挑戦してみるという番組があったけれど、素人では、壁に土を乗せる事もできなかった。

簡単そうに見えるけれど、実は、経験と技術、そして、言葉にはできない勘所で、仕事をする。

ああ、職人さんって、かっこいいね。

でも、気になったのが、それほど代わりの人がいない仕事をされているのだから、たくさんお給料を払っているのかしら?ということ。

多分特別手当なんて、ないんだろうなぁ。

これからも、素敵な便器に座れるように、よい職人さんには、たくさんお給料払って上げてくださいね。

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身体のたるみと、心のたるみ

5,6月のテキスト更新と勉強で、お腹から、おしりから、たるんでおりまして、今週は、自主トレにいそしむ毎日です。(仕事しろって?ご予約お待ちしております・・・・)

今週のレッスンで、身体のたるみが最高潮と判明。このままではいくら先生で、40過ぎているとはいえ、言い訳にはなりません。

暑いけど、ほぼ毎日自主トレをしているのだけれど、日々からだが締まるのがわかる。

自主トレに出かけたときと、帰りでは、ジーンズの引っかかる腰の位置が違う。

ということは、してなかったら、その分、位置がだんだん上に、上がるという事ね・・・怖い・・・。(というか、今までがそうだったんだって)

やればやっただけの事は、あるのね、やっぱり。

鏡に汗振りまきながらまわったピルエットは無駄ではないという事。

身体のたるみには、わりと、気がつくのが早いからいいけれど、(と言っても、気が付いたときは、ギャーーーですが)心のたるみは、なかなか気が付かない。

最近勉強にはいそしんでいたけれど、その他の事がたるんでいたというか、乱れていたというか(夜遊びとか、男遊びとかじゃないですよ←してみたい。笑。)それにも気が付いたんだよね。身体を通して。

経営の事とか、いろいろ悩む事はあるけれど、悩んで解決するもあるけれど、その悩みに支配されては、ね。

まずは自分の心が、楽しくある事、健やかである事、それから始めなきゃ。

急に予約が入ったら、と、自主トレをするのを後回しにしているより、動きたい!って言う自分の気持ちに、従う事。そうすると心も身体も気持ちいい。

悶々として、身体がたるんだリフレクソロジストより、気持ちよく身体を動かして、引き締まったリフレクソロジストのほうが、素敵。

いろいろと言い訳をしていたのは、実は身体のたるみではなくて、心のたるみだったようで、(たるみというか問題ね)お陰さまで、今週は、心も身体も健やかに過ごしております。

心に身体はついてくるというけれど、気がつかせてくれるのは、圧倒的に身体なんだよね。

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信じるものは救われる?

2,3日前、おばあちゃんのところから帰ってくる道で、(と言っても、すぐそばなんだけど)若い兄さんに、「すいません」と、呼び止められた。(中区と言っても、住宅地だから、夜は、意外と暗い)

思わず、一瞬ひるんでしまった。(体も腰がちょっと引けました)

普段通らない道を通って、道に迷ってしまったらしく、それからは、「ああ行って、こう行って・・・」と、普通に話し、「ありがとうございます。」と礼儀も正しく、お別れしたのだ。

あとになって、考えると、最近は、いろいろな事件があるとはいえ、道を尋ねてきただけの人にも、警戒する自分が、なんだか情けなくて(人を最初から、疑う自分がいるということで)いやだなぁ、って思った。

どちらかと言うと、人を信じやすくて、「え?そんなこと信じているの?」と、人から、言われるほどだったのに、歳を取るにつれ、警戒心のほうが先にたつのか、はたまた、テレビ報道のせいか、われながら、悲しい状況。

他の事でも、前より人を信じない傾向にあるよう。

確かに、いろいろな人がいるので、嫌な思いをしてきたのも事実だけど、今回のことで、最初から、疑いの目で見たり、信用しなかったりするより、やっぱり、信じて裏切られたほうが自分の心には、安らか。

まぁ、キリストも「信じて疑わなければ、願いは叶う。」と言っているので、人を信じれば、願いは叶うんだろう。(ちょっと違う?)

その道を尋ねてきたお兄さんとは、その後出かけたコンビニで再び出会い、帰っていくときも、「今日は助かりました。」と、律儀にも、再びお礼をいって、去って行ったのだ。

変な人かも、と、ひるんだ私が、恥ずかしい。

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やっと、

メンテナンス終了したようです。ニフティ様ご苦労様です。

最近は、教えることが中心になってきたから、どうしてもテクニックや、知識のほうに重点をおいてしまっていたようだ、と、昨日気がつきまして。

もちろん、テクニック、知識は大事だけれど、始めた頃は、「トリートメントは、瞑想」と、いつも思っていたのだけれど、どうしても最近は、反射区に対するアプローチとかが気になって、どちらかと言うと、左脳トリートメントに傾いていたようだ。

左脳トリートメントが悪いわけじゃないんだけれど、バランスのよいトリートメントが、よいなぁ、やっぱり。(自己中です・・)

必ず最後にエネルギーバランスを取らせていただくので、それで、何とかバランスを取ってつもりになっていたんだよね。長く通っていただいているお客様には、いつも何かに気がつかせていただきます。

ありがたいことです。

最近、心に引っかかることがあった、ということは、書いたと思うけど、本当に心に余裕がないと、人は、もっと、余裕がなくなってしまうものだと、実感しました。

いわゆる悪循環。

同じ事をするにしても、心の負担が全然違う、同じことをされても全然受け止め方が違う。

時には、キュウキュウになることも人間だから仕方ないけれど、キュウキュウになる前に、少しずつ心のメンテナンスをしなくちゃ。

それには、まずは、気がつくことから。

自分の心と時々お話しなくちゃね。

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大人と言っても

ちょっと前、心に引っかかることがあって、しばらく現実逃避をして、ネットサーフィンをして一日を過ごしたのだが、そのとき読んでいたのが、ERのサイト。(時々コメントをいただくなもさんのブログから、遊びに行きました。なもさんありがとう)

ちょうど、7年程前に、父親がいつ死んでもおかしくないと、言う時、これまた、現実逃避で、レンタルで借りて、最初から、ずっと見ていたのだ。

最近は、出演者もずいぶんと変わって、前ほどしっかり見ていないけれど、それでも、月曜の晩は、バレエレッスンが終わると、見る習慣がついている。

その、サイトは、以前のERのあらすじを(きっと、アメリカと放送にタイムラグがあるので、アメリカに住んでいる方が、速報として書いていたもののよう)載せていた。

いつもの事ながら、細かいところは忘れたけれど、マーク先生が(知らない人ごめんなさい)子供に向かって話すところ

「大人がいつも正しいとは限らない。それでも、大人の人も一生懸命生きている・・・」とかなんとかマーク先生が言っている話が書いてあった。

私だけかもしれないけれど、大人になればなるほど、完璧に近づいていくような気がした子供の頃。

今も、そうでなければならない、と、心のどこかに感じているのか、時々40にもなって、と、自分を責めているときがある。

と、同時に、大人になっても相変わらず試行錯誤で生きているのだ。完璧にはほど遠い。

マーク先生の言葉に、励まされ、同時に、そうやって、子供に話ができる大人って、いいなぁ、と、思ったのだ。

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いただきます!

先日姉に聞いた話。

PTAの集まりで、あるお母さんからの質問。

「お金を払っているのに(給食費のこと)どうして、『いただきます。』と、言わなくてはいけないのですか?」

これを聞いた私は???

お金の問題ではないと思うけど・・・・と、思うのは、おかしいのだろうか?

さらに、驚いたのが、そういうお母さんが、少なくなかったらしいこと。

『いただきます。』

って、いろんな意味があると思う。
作ってくれた人への純粋な感謝。食材を作ってくれている人があってこその感謝。食材に対する感謝。(だって、生き物ですからね、動物も植物も)それこそ、お金をかせいできてくれているお母さん、お父さんに感謝。おいしくいただける心と身体をもっていることへの感謝とか、いろいろ。
だと、思うのだけれど。

最近は、価値観が多様化しているというけれど、それだけで済ませていいものかしら?と、感じるのだ。

そういえば、若かりし頃、(まだ、23,4ぐらいかな)行きつけのショットバーで、おじさんと、けんかになったことがある。

思いやりについて、うんぬん・・・という話をしていて、

「街中で肩が触れ合ったら、お互いが、ごめんなさい。とか、失礼しました。と言い合えるような心の余裕を持った人たちが増えればいいね。」とか、なんとか、私が言ったんだと思うのだが、隣のおじさんは、「そんなものは、人の勝手。」と、言い出した。

「お互いが譲りあう気持ちがあれば、けんかにもならないんじゃない?どちらも相手がぶつかってきたと思うから、けんかになるんでしょ。」

「子供も持ったことがないやつに言われたくない!」

これで、怒り爆発!(あ、私のね)

「これから持つ人間が理想を持って何が悪い!あんたみたいな人がいるから、みんな、なんでも人のせいにするんだって!」

と、これぐらいになったときはエキサイトして、(おじさんが)持っている傘をガンガンテーブルに叩き付け出したので、引き離されたのだけれど・・・。

ああ、若かったのね・・・。今ならそんなこと言わない。おじさんもきっと、いろいろと、疲れていたんだと思うし。

なぁーんて、昔を振り返ってみました。

人それぞれ、価値観があるのは、しょうがないと思うけど、

「おはようございます。」「こんにちは。」「ありがとう。」

と、声をかけられて、嫌な気分になる人はいるのだろうか?

ご飯を食べる時に

「いただきます。」

と聞いて、嫌な気分になる人がいるのだろうか?

きっと、何故?と聞いたお母さんは、理由もなく、ただ、そう言いなさいと言われてきただけなのだろう。

子供たちに、言葉ではないお手本を見せていかねばね、大人が。

まとまりがない文になってしまったけれど。

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依存?

いつだったか、ぱにちゃんから、まわってきたバトン(このブログには書いていませんが)の中に、亭主関白な人がいいか、それとも積極的に家事を手伝ってくれる人がいいか?という質問があった記憶があるのだが、答えは、「できないから、してもらう人は、困るけど、できるけどしてもらっている人なら、大丈夫」という事を書いた覚えがある。

最近、それが自分にも当てはまることがあって、知らないところで人に依存していたというか、頼っていたというか、そのことに気が付いた。

そういえば、いつも誰かに頼ってばかりで、人のご機嫌を取らなくてはいけないような仕事の仕方をしている知り合いがいたけれど、見ていて、こちらのほうが、辛かった。

足元を見られているわけじゃないし、私の場合だけかもしれないけれど(それに相手によっても違うだろうけれど)相手の無理を聞いてしまったいた自分がいた。

自分の中にもそういうところがあったということに、少し驚いたが、それをきっかけに、自分でやるようになったら、心がとても軽い。

まぁ、私の場合、自分に対する過小評価と、めんどくさい、という、二つの理由があったのだけれど。

新しいことを始める時に、不安から、現状維持で、少し位我慢したほうがよいと感じることもあるけれど、心に無理があるときは、チャンス!とばかりに、心が軽くなる道を選んだほうが、うまくいくように思う。

それにまた、私の場合、お陰さまで、自分の可能性が広がったし。

何事も、最後には、めでたし、めでたしなのだ。

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託児付きリフレクソロジーDAY

無事に終了。

今日は、初めてのこともあり、一組のご参加。丁度いい感じでした。

岡崎から、ベーシックの修了生の方が、参加してくれました。ありがたいことです。

少し早めのトリートメントとはいえ、30分ほど、赤ちゃんのことを忘れて、ゆっくりとしていただけたようです。

担当の谷川さんは、さすが、保育士であり、長く託児サークルを実践しているだけあって、頼もしい。

こういった、ご縁をいただけるのも、ありがたいことです。

これからも、第一月曜の10時から13時まで、毎月開いていく予定なので、よろしくお願いしますね。

参加される方が増えていけば、月に2回は開いていけたらいいな、っと、思っています。

赤ちゃん見ていると、トリートメントより、あやしていたと思うのは、私だけ?

でも抱いたら、泣かれちゃったのよね・・・。

おばさんは、黙ってお母さんの足をトリートメントするわ~、でした。

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テキスト

明日から、また、テキスト更新に入ります。

養成講座のテキストをチェックしていて、改善の余地ありと判断。

いつもながら、しょっちゅうテキスト更新して申し訳ないです。

受講生の皆様。

これも全て質の向上ゆえ、お許しくださいね。

・・・ああ、また、お腹の肉が増える。

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