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2006年4月

テンプレートを変えてみた

先日早起きして、思い立ち、朝っぱらから部屋の模様替えをした。

久しぶりなので、なんだか人様のうちのよう。新鮮な感じがする。(と言っても、去年の春頃に戻っただけなのだが・・・)

それにつられて、テンプレートも変えてみた。

果て、さて、変えてみて・・・・TOPはいいけれど、下に行くと、く、暗いじゃん。

と、思いつつも、海の底から、光に向かっていく感じが、今の私のようで、それもいいかと思った。(でも、読むときは、上からか・・)

何かを変えたい、変わりたいと気持ちは、常に必要な気がする。

常に自分がより良い方向へ。

まずは、周りから、で、ございます。

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長年の習性

曜日が関係ない仕事だけになって、1年経つのだが、長年の習性というか、GW突入、というテレビのニュースなどを見ていると、自分もお休み、という気分になる。

朝のニュース番組が、土、日のものになると、体と心が、お休みモードになるのだ。

コースがあるとき、仕事があるときは、そうでもないのだけれど、ここのところ仕事が暇なので、(水穂危うし!)昨日はどっぷりお休みモード。

先週朝から晩まで、勉強していた私はどこ?状態。

ああ、きっと、脳みそ疲れたんだわ~。身体を動かしていない割りに、よく眠れたもの、毎晩。

朝9時半から夕方6時頃まで、よく机に向かえるものだな、と自分でも感心していたけれど、もしかしたら、これって、逃避?何てことも、脳裏をかすめた・・・。

ただ、言い訳ではないけれど(誰も気にしちゃいないだろうけれど)サロンだけの仕事なら、それほど事務仕事もない。でも、スクールを開いていると(弱小ゆえ)テキスト、業務連絡、銀行めぐり(と言っても、貯金のためじゃないよ。念のため。)などなど、HP更新も含めて、いろいろあるのじゃ、仕事が。

最近自分の思いが事を運ぶ、という感じなので、きっとテキストの見直し~なんて思っていたから、きっと暇だったんだろう。(じゃあ、明日から大富豪。笑。)

一番気になっていたテキストの部分が、どうやらうまく改訂できそうなので、一段落。

今日あたりから、現場仕事モード。

やっぱりこれが一番好き。

皆様のご来店、お待ちしております。

(久しぶりに、タイトルから、話がそれました・・・。)

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↓こんなこと書きましたが

皆様、遠慮せずに、ご予約のお電話くださいね。

GWも、休まず営業しております。

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お勉強

病理のテキストを見直さなくては、と、思っていたら、何故だか仕事が暇に。

これは神様が勉強しろと言っているのね、と思い、今、勉強中。

久しぶりに本腰を入れて勉強しているのだが、これがまた、面白い。かなり突っ込んだ勉強をしているので、暇がありがたい。(でも、仕事がなければ、や、家賃がーーーー。)リフレクソロジー自体には必要のないところまで、やっているのだが、教えるほうとしては、しっかりと理解する必要があるから、覚えるというより、理解しながらなので、時間がかかるのだ。

何事も勉強してわかることは、自分が何もわかっていない。ということ。知れば知るほど、知らないことに気がつく。
でも、こんなに勉強するのは、大検と大学入学試験以来・・・。あの頃も、朝から晩まで勉強していたけれど、自分の興味のあることは、苦にならないのは不思議だね。

面白いことに、今年から、右の肩から背中が、重くなることが多かったのだが、これだけ本を読んだり、字を書いているのに、逆に楽になったこと。きっと、たまには、左の脳を使え、ということだったのね。身体は、なぞなぞのように、いろいろなことを教えてくれる。もっと、はっきりと教えてくれるとありがたいのだが、なぞなぞを解くのもまた、楽し。

勉強自体も、なぞなぞのよう。元素記号、かなり忘れている。

すいへーりべーぼくのふね・・・・・なまぐくらあ~?

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腹時計は、とっても大事。らしい。

おばあちゃんのところでは、TVは、NHKオンリー。

仕方なく(といっても、下手な民放より面白いのだが)一緒に見ている。

今夜は、「試してガッテン」で、体内時計のことを特集していた。

体内時計が、あることはよく知られていることだけれど、なんと、体内時計のリセットには、腹時計もとても大事らしい。

決った時間に起きること。(何時に寝ても)朝起きて、お日様を浴びること。それと、起きてから、30分以内に朝ご飯を食べると、体内時計がリセットされるらしいのだ。

それには、夜10時以降に、たくさん食事をしないこと、も、大事らしい。(食べると、身体は昼間だと、感じるらしい。)確かに、消化が始まると、消化器系やら、その他の臓器も否応なしに、動かざるを得ないもんね。

腹時間、恐るべし。なのだ。

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ああ、幸せ!

今日はお天気がよいので(ここ何日かは、名古屋は、寒くて)庭仕事。

去年のフルーツトマトのこぼれ種が芽を出している。

亡くなった大家さんのおばあちゃんが植えた芙蓉(?)の木も、新芽が目にまぶしい。

里親制度でもらった(返してないけれど)どんぐりの新芽も開いて、ひょろりとした木を風に揺らしている。

少し土を掘り返せば、りっぱなミミズちゃん達が、いたるところに顔を出す。

今、ここにある幸せ。

それを感じないわけにはいかない。

充分感じよう。

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姪とお出かけ

土曜日は、姉のところの姪が、まだ、焼きたてのナンを食べたことがないというので、インドカレーを食べに出かけた。

1年ぶりにその店に行ったのだが、「ええっ!ここのナンって、こんなに大きかった?」であったのだ。

ランチに出かけたのだが、ナンの大きさにしばし、愕然。昔なら喜んだのに、この歳になると、キツそう、というのが、先にくる。残念じゃ。

姪は、熱い熱い、と、言いながらでも、「おいしい!」を連発。叔母さんは嬉しいのだ。

なんだかんだといいつつ、完食し、最近トリートメントをしてあげていなかったので、帰りに、近くのうちの栄ルームに寄ることに。

部屋を暖める間(寒かったのよ)セミナールームで、二人並んで、ホワイトボードに、いろいろ書き書き。
英語の筆記体を学校で習っていないというので、しばし、お勉強。
(41歳が14歳に、自慢げに筆記体を教える姿を想像してください。)叔母さんは少し鼻が高くなってしまった。

トリートメントをした後もしばらくどうでもいいようなことを話し、帰りにLoftに寄って、ブラブラ。あれがいいとか、これがいいとか言いながら。

姪と出かけて、叔母さんは、少し幸せになったのだ。

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できない仕事は回ってこないと言うけれど

最初、姉から、バレエの先生を頼まれた時はどうしようかと思った。だって、私、35歳から初めて、3年位しかバレエをやっていなかったのだ。

確かに自分の先生の頼まれて、子供バレエの代教はしていたこともあるのだが、それも先生がいてこそなのに。

甥を教えて欲しいだけでではなくて、どうせなら近所の子に声をかけるから、だって。

「大丈夫かいな・・・」と言いつつ、先生を初めて1年半。

お月謝は安いし、先生は経験不足、なのに、変に厳しい。というへんてこりんな教室だが、教える子供達もちょっぴり増え、大人のバレエストレッチも、少し増えた。ありがたいことである。

バレエは、ほんとに楽しくない。辛い。誰でもすぐにできるものではない。踊るなんて、形容がつくのは、ずっと先。単調なバーレッスンを繰り返し繰り返し。でも、それが本当に大事。
それを頑張ってやっていると、ある日突然、できなかったものができるようになる。

この間も、初級クラス(しか、教えられないのだけれど・・・)の、女の子が、突然ピルエットを回れたり、アントラルセが、できるようになった。

本人はあまり気がついてないようだが、本当に突然、「あら、きれい。」だったのだ。

教える喜びというものは、こういうことだ。少し前から、バレエが辛そうだったので、嫌にならなければいいのだけれど、思っていたことろなので、ほんとによかった。神様は見ているのである。ちゃんと。

小さな子供達のクラスも花が咲いたように、赤やら、白やら、ピンクやら、色とりどりのチュチュで、ド派手なクラスになっている。

大人のバレエストレッチも最初に比べたら、皆さん装いが変わってきている。だばだばのトレーニングパンツだったのが、よりぴったりしたスパッツなどに。

無謀なバレエクラスという声も聞こえてきそうなのだが、今のところみんなそれなりに上達している。

できない仕事は回ってこないというけれど、本当にそうなんだな、と、実感するのである。

基本の大事さ、身体を動かす喜び、辛いことの先に喜びが待っていることを教えてくれたバレエは私にとって、自分の可能性を信じることも教えてくれた。

でも、今一番に感謝する相手は、こんな私でも先生と呼んでくれる生徒さんたち。

先生は、ひとりでは、先生になれないのだから。

来週も頑張ろうね。

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葡萄

かなり前から私の独り言を読んでくれている方がいれば、覚えてらっしゃるかもしれないけれど、我が家の庭には、葡萄の木がある。

母がただでもらったもの。それも鉢目当てで。

もらってきたときは、かろうじて実がふた房。葉っぱは、ところどころ。これで実をつけたなんて、不思議、と思えるほど、貧弱な木だった。

それが2年前の夏。きっと、もう枯れてしまいそうだから、頑張って種を残そうと思ったのだろう、葡萄君も。そんなかんじだった。

それでも、無事に実は熟し、おいしくいただくことができたのだが、それから我が家の庭に移植しても、地面に、棒っきれが刺さっている状態。果たして、冬は越せるのか?だったのだが、去年は、見事に芽を出し、葉っぱをたくさんつけて、枝もずいぶん伸びて、どこから見ても葡萄の木。

でも去年は、栄養をたっぷり蓄えるのが、大事だったようで、実はつけなかった。

きっと、しっかりと大地に根を張り、葉はたくさんの栄養をつくり、今年の準備をしたのだろう。

その甲斐あって、今年は、たくさんの芽を出し、花芽もついている。まだ、ちいさな花芽。今年は、またおいしい葡萄が食べられそうだ。

何事にも、時間は必要なのだね。

準備の時期や休む時期、どれもこれも、必要な時間。

枯らさず、水をやり、声をかけ、そして時をじっと待つ。

時が来るまでは、大地に根を張り、太陽から光を吸収し、成長する。

実を結ぶための準備。それが一番大事なんだろうね。何事も。

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愚痴って言うと

聞こえはよくないけれど、時には必要かな、と思う。

人に話すことで、見えてくる自分の感情。

自分の心の中だけでは、思いがぐるぐる回るだけで、その感情の本質が見えてこないことがある。

時々自分ではあまり不満に思っていないと思っていたことでも、人に話し出すと、エキサイトしてきたりする。そして自分の本当の感情に、驚く。「ひゃー、私って、怒っているじゃん!」って。
(聞かされる方はたまったもんではないかもしれないけれどね。ごめんよ。)

自分の心なのにね。

愚痴や怒りや悲しみ、なんてものは、ないほうが、いいに決っている。

でも、それは何かを教えてくれるものなのだ。

喜びや楽しみの感情となんら変わらない。必要だから、ある、感情。

それに気がつかせてくれる愚痴を聞いてくれる友がいることに、感謝。

いつもありがとう。

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心の余裕

心に余裕がないと、いつもなら怒らないことや気にならないことでも、苦になったりするもんだ。必要以上に相手を責めたり。

最近では、誰かに腹が立ったら、自分の心に余裕がないんだと、ひとつの目安にしているぐらい。

この歳になると、心の余裕も大事だが、身体の余裕も大事。充実している時間は、楽しくても、ちゃんと、身体のことを考えてあげないと、あとで、大変。

心に余裕がないと身体にくるし、身体に余裕がないと、心にくる。

こういう仕事は、余裕がないと、できない仕事。

余裕のなさは、お客様に伝わる。(もちろん、世間の皆様にだって、迷惑がかかる。余裕のないおばさんが、世間を闊歩するとろくなことが起きないからね。)

今日久しぶりにお会いした方とも、そういう話をしていた。

何事にも、ゆとりやあそびがいるのだと。

暇と金なら、暇を取れ、というではないか。

と、いいながら、春の日差しの中、ぼーっとして過ごす、言い訳を書いているのである。

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ゼネレーション・ギャップ

最近、スクールの受講生の方の中にも、若い方がいて、ゼネレーション・ギャップを感じることが多い。

この間も、ベビーマッサージで、そけい部リンパのところは、「コマネチ」って、やるのよ。なんていっていたのだが、コマネチは何とか通じたのだ。(たけしのお陰?)

でも、コマネチがなんなのかは知らなかったのだ。

「えっ?コマネチって、体操の選手だったんですか?」

「えっ?コマネチって、女の人のことなんですか?」

「えっ?コマネチって、・・・・・」

だったのだ。

そうだよね、コマネチが、オリンピックで、10.00出したの、私が小学6年のとき(だったかな?)だもん。もうすでに、30年近くも前だもんね。

ヘッドマッサージの講習の時、腕のところの手技が、指をパラパラさせるのだが、「昔の夏木マリですね?」と聞いたら、通訳の方が、「そうです。」といって、そのところの練習になると、「次は夏木マリの手です。」と言っていたのだが、(それもすごいことだけど)ほとんどの方に通じたようで、講習参加者の年齢の高さを感じたのだ。
(わかる人は、わかるよね?)

世間では、おじさんが笑えないギャグやダジャレを言っては、「おやじギャグ」と、言われて笑われているけれど、私もおばさんギャグになっていっているのかも。

その原因は、ゼネレーション・ギャップなんだよね。きっと。

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これこそ本来の

昨日はおばあちゃんのおうちでご飯を食べ、お風呂に入ってから、おばあちゃんの足をトリートメントし、その後少し腰が痛いというので、直接腰やら肩やらをさすってあげた。

「すっかり気持ちよくなったよ~。」

とおばあちゃん。

こちらもすっかりいい気分。

これがマッサージの本来の姿なんだろうね。

お互いが気持ちいい。

それにしても、うちのおばあちゃんは、相変わらず。

この間も、引ったくりには気を付けてね。と言ったら、はいよ~。とのんきに言っていた。

「お金よりも、怪我でもしたら、大変だからね。」と言うと

「そうだね。我々は(誰の事?)また、お金は稼げるからね~。怪我したら大変。ボケるには早いからね~。」だって。

命ある限り、母の店を手伝うらしい。

数えで、今年90です。

おばあちゃん、恐るべし。

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可能性

歳をとると人は変わらないというけれど、そうでもないんじゃないかなぁ、と。

私の場合に限っていえば、30歳位からずいぶんと変わったと思う。(30は歳じゃない?)

この仕事に出会って、自分を変えなければいけない状況にたくさんと遭遇してきた。

細かいことは、省略するけれど、とにかく、自分の可能性が、無限であるということを心することに、なった。

若いから冒険できる、ということもいえるけれど、年齢を重ねることによって、経験と若い頃に比べれば、少々の知恵もついた、本当なら、冒険に出るには、歳を取ってからのほうが、よいのかも。

何かに出会うたびに、(人であれ、出来事であれ)思い込みを捨て、自分の殻を外していく。

本当は、変わるのじゃなくて、本来の自分の姿に戻っていくだけかもしれないね。

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仲直り

残念ながら自分には子供はいないが、姉のところには、3人も子供がいるので、子供の成長を間じかに感じることはできる。

自分の子供ではないから、純粋に成長を楽しめる。(親の心、叔母知らず、だわ)

その子供達にはお陰様でいろいろなことを学ばせてもらっているのだ。

子供の心の純粋さと柔軟さ。

思ったことをありのまま口に出して言うこと。(時々残酷でもあるのだが)

最近は、年齢も2桁になってきているので、かわいいけんかというよりも、壮絶なけんかの方が多くなってきているけれど、まだ小さな頃は、けんかをしても、お互いが泣き出して、そばで見ているほうは、かわいいな、だった。

姉に「謝りなさい」と言われると、泣き叫びながらでも、「ごめんね。」(絶叫交じりで)と言い、相手は「いいよぉ。」(こちらも絶叫交じり)と、言って、仲直りをしていた。(子供達にとっては、この頃になると、けんかより、母の方がきっと怖かったに違いない)

そしてしばらくすると、もうお互いが笑って遊んでいる。

兄弟だ、ということもあるのだろうけれど、子供の心は、柔軟だ。

どうして、大人になると、相手を許すことが難しくなるのだろう?

今度から相手に腹が立ったら、子供を見習って、「いいようぉ。」と、心の中でつぶやいてみようか。

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人とかかわること

人生で出会う方とは、長くお付き合いする方もいれば、そのときだけの出会い、というのもある。

もちろん末永くお付き合いできることも大事だと思うけど、そのときだけだったとしても何かしらのご縁はあるわけで。

末永くお付き合い・・・と思っていても、袂を分かつ、ような別れ方をする方もいたりするから、結果だけを見れば、よい関係じゃなかったのかしら?と思うこともあるけれど、誰でも、その関係の中で、何かを経験する。

スクールの受講生の方でも、何度もアシスタントをしてくれる方や養成講座まで進んでくれる方、ワンデイを受けていただいて、それっきり(なんだか寂しい表現だけれど)という方もいる。

どのような人でも、人にリフレクソロジーを教えるということを私に教えてくれた人たちに変わりはない。いろいろな人に教えることによって、日々成長させてもらっているのだ。

お陰さまで、遠方から学びにやってきてくれる方も多いので、その後お会いする機会もない方もいるけれど、私が何かをその方から学ばせてもらったからには、その方にも、リフレクソロジー以外にも何かを学んでいっていただけたと思うのである。(勝手な思い込み?)

人と人が関わる時、誰もが何かを与えて、そして、何かをもらっていると思うのだ。

いい経験も悪い経験も自分ひとりでは、できないからね。

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怒りの元

時々誰かに対して怒ったりするとき、原因をその人に見てしまいがちだけれど、よくよく感じてみると、怒りの原因は自分の中にあることがほとんど。

すぐ怒るけれど、怒っている時間を短くしたくて、その原因を探るようにしているのだが、相手に見ているとピントがボケてしまう。

気がつかないうちに刺さったとげのように、自分の心の中にあるのも。

その人はそのとげをちょっと外から刺激しただけに過ぎない。

そのとげに気がつくと、あとは抜くなり、そのままにするなり、自分の好きなようにできるのだ。

そう思うと、怒りを感じていた相手にも、教えてくれてありがとう、という気持ちが、ちょっぴり出てくる。(私の場合は凡人なので、ちょっぴりなのだ。)そうすると、心もちょっぴり穏やかになる。

それにきっと自分だって知らないうちに人のとげをちくちくと刺激している事だってあるんだよね。(と予防線を張ってみる)

怒っているだけだと、そのこと自体に腹が立ってくるので、怒りからも何か学んでやろうと必死になっている自分を時々感じる。

単なる貧乏性(?)だけなのかもしれないけれど、できるだけ楽チンに生きたいだけなのだ。

天気もいいし、ぼーっとしよ。

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今日は朝から、思い立って、庭仕事。

いつもながら、我が家の狭い庭にも、春がきている。

勝手に芽を出したアボガドの木も、雪にやられて、ダメかも~と思っていたら、下のほうに新芽が出てきている。自然は素晴らしい。

去年は寂しかった葡萄の木にも、あたかも花を咲かしたような濃いマゼンタ色の新芽がプチプチと出ていた。

庭仕事の後、物干し場でコーヒーを飲みながら、桜の花見。裏の公園に2本の桜の木があって、物干し場からよく見える。年々木が大きくなってきていて、花見には最高なのだ。

特別なことは何もないけれど、ささやかながら、自然を感じる生活ができることが嬉しい。

夏の畑仕事が楽しみになってきた。

でも、きっと、今年も虫さんたちの無料食堂と化すのだろうなぁ。(有料なら何が違うのか、だけど)

葉ものは見事なヨーロッパのレースになり、新芽は、根切り虫に、倒される、なぁんて。

少なきを分かち合い。

虫さん、お願いしますよ~。

こうして、虫さんのおこぼれを毎年いただくことになるのだ。

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頑張ろう!

我が家の周りでは、建設ラッシュで、そこ、ここで、工事をしている。

静かだな、と思うと、それはお昼の合図、になるぐらい。(3時の休憩も静かだが。)

朝、お洗濯物を乾していると、どこからともなく、

「頑張ろう!」と、聞こえてきた。きっと工事現場の人の声に違いない。

その声が、なんだかとてもさわやかで、私もひとり

「頑張ろう!」と、声に出していた。

最近は、頑張りすぎてしまう人が多くて、頑張ろう、と人に声をかけるのも、躊躇する時があるけれど、いつもは適当に緩んでいて(完全に緩んでいるかも)、がんばろう、といわれたら、うん、といえるような、心でいたいな。と、思った。

朝から、少しいい気分。

天使は時に、黄色いヘルメットをかぶってやってくる。

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これでいいのか?

時々、自分が人に物を教えるのに向いていないのでは?と、思ったり、ああすればよかった、こうすればよかった、と、思うことがある。

リフレクソロジーでも、バレエでも、本当に私でいいのか?と。

今日、受講生の方に(受講生の方にこういうことを言うことすら、先生として失格?)「時々、これでいいのか?と思う。」と、話したら、「それでいいんじゃないですか?これで、よいと思うほうがおかしいですよ。」と言われて、納得。(心の中では、自分でもそうだよねって思っているけれど、人から言われると、勇気をもらうのだ。)

そうなのだ、くよくよするのはよくないけれど、省みると言うことは大事なのだ。(と、また自分に言い聞かせる)

今度、初めてインド式のヘッドマッサージを教えることになったのだが、これも、大丈夫かな?と思うのだが、ぜひ、教えて下さいと、頼まれたのだから、神様のお導きでしょう。誰にも、初めてはあるもんだ。できない仕事は、回ってこないと言うから、また、私も何かを学ぶのだろう。

そう言えば、先日何気なく見ていたWOWOWで、孫悟空の映画をやっていた。その中で、本当の師とは、弟子から学ぶことができるのだ、と言っていた。

私が師というのは、おこがましいが、教える立場の人間は、常に教え子から学ばせてもらっているのだ。

これからも、謙虚さを忘れずに、いようと思う。

いつも、皆様、ありがとうございます。

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