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依存と共依存

今日は久しぶりに、コーヒーショップで、コーヒーを飲みながら、ぼーっとした。(隣の席に座った人が、メールをピコピコ打ち出したのが、耳障りなので、ふんっと思って席を替わったが。せめて音を消して欲しいのだ。)

ボーっとすると、いろいろな事が見えてくる事が私の場合多いのだが、今日は依存と言う事を考えていた。(と言うか気付いた)

一般的にセラピストと言われる人は、クライアントに依存される事は避けなければいけない。心の問題にしろ、身体の問題にしろ、その人自身でよくしていけるように仕向けるのが、よいセラピストだと思っている。(商業的には、たくさん来てもらった方がよいのだが)

その事は頭ではわかっているつもりでいた。自分の仕事としては、それなりにわかっているのだが、実生活で、わかっていなかった。

自分の母の批判をするようだが、70近くになっても依存心が抜けない人。

依存と親孝行をとり違えている。

と、思っていたのだが、どうやら私にも問題があったようだ。

親が大変な時にしょうがなく母の店を手伝う事になった事はずいぶんと前に書いたが、若かった私にはそれは、子の努めだと思っていた。それが親孝行だと。

仕事自体は、楽しむようになったのだが、自分の人生の可能性は諦めていたのだ。と、思いつつも、その仕事を辞めることは、親不孝なんだと、心には葛藤があったのだ。(もちろん、自分の弱さもあったけど)

父親が死んだ時に、この仕事を専門にする事になり、母の仕事は手伝う程度になったのだが、実は、母は、自立していなかったのだ。

私か姉がいなければ、仕事ができない。ほかに人を雇ってまでするつもりはない。したくない。なのだ。それでは私にも姉にも負担は大きい。

親子と言えども、仕事は仕事である。自分の仕事を犠牲にしてまで、手伝う事はない。でも最近、それには私にも責任があるということに、気がついた、自分では親孝行だと思っていた事が実は母を甘やかしていることに気がついたのだ。

依存する人はたくさんいる。でも、依存させてくれる人がいなければ、それも成り立たない。

相手を責める前に、自分を振り返る事が大事なのだ。

他の親に比べれば、迷惑をかけられる事が多い母だけど(私もかけていると思うが)自分で選んできた母だけに、教えられる事もたくさんあるのだ。

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コメント

mizuさん,こんばんは。立て続けで失礼します。

「依存」「共依存」ということになると,自分の専門の話に行きそうなので,ちょっと母親の話を。

我が母親について,何でも先回りして助けてくれるので,昔は「いい人」だと思っていました。でも,少し大人になったとき,「そういう助け方は,子供の自立を妨げることがあるのでは」と思うようになりました。

だれかさんがいい歳して自立していないのを,今さら母親のせいにする気はありませんが,「母親のしてくれたことは,少し洗練された形での『溺愛』だったのかもしれないな」と思うようになりました。

投稿: なも | 2005年12月21日 (水) 01時08分

昔の男性は、誰でもそうだったかもしれませんね。亡くなった父も母がいなければ、パンツの場所もわからない人でした。

「獅子は我が子を崖から落とす。」を少しは見習わないといけないかもしれませんね。

相手を自立させると言うのは、こちらにも相当の覚悟がいるようです。

投稿: mizu | 2005年12月21日 (水) 06時56分

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