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2005年12月

またまた、うちのおばあちゃん、恐るべし。

昨日の夕方、おばあちゃんのところに電話をしたら留守のようだった。ああ。今日は妙音さん(大須のお祭り、毎月28日に市とかが立つのだ。)だった、と思い、ひとりでご飯を食べていたら、おばあちゃんから電話。とても、寂しそうな声で、「お腹は空いたし、足が疲れたよ~。」と、訴える。どうやら、買い物に行ってから母の店を手伝い、その足で、大須まで出かけ、そこで知り合いの人に出会ってから、パチンコをしたそうな。(パチンコが好きな88歳です。)

しょうがないので、そのまま家にあったものをタッパーに、詰めて、おばあちゃんの家へ。
ご飯を食べさせると、すっかり元気になった。そして、こういうことをのたまった。

「ガンガン働きたいよ~。」(88歳なんだけど)

「どうして、働いてるじゃん。ママの店で。」と、いうと、

「お金をもっと稼ぎたいもん。」

暇さえあれば、ソファと友達になっている働き盛りのはずの孫は、「ハァ~?」

よく話を聞くと、どうやら、このまま人の世話になっていると、(税金とかの話ね。年金とか。)罰があたると言うのだ。もっと、自立したいらしい。
おばあちゃんには、おばあちゃんが、このまま元気でいれば、それだけで社会に貢献しているから大丈夫、医療費だって、他の88歳に比べれば、すごく少ないし、それだけでも、どれだけお金が節約になっていることか、それに、年金はおばあちゃんが頑張って掛けてたからなんだから、と、納得させた。

おばあちゃんの世代の人たちは、みんなこういう考えなのだろうか?それとも、うちのおばあちゃんが、特別なのか?

それにしても、人はやっぱり働くと言うことが、必要なんだろうね。人に必要とされるということ、そしてその能力の評価としての対価。
まあ、世間には、そういう人ばかりではないかもしれないけれど。

歳をとったら、遊んでのんびり暮らすのがよい、なんて、思い込みかも?もちろんお金の心配をしなくてよいというのは、必要かもしれないが。
身体が思うように動くうちは、なんらかの仕事をする。させる。大事なのかも。
そう言えばおばあちゃんは、80の時に、姉の子供(赤ちゃんの時ね)を、お昼だけ預かっていたなぁ、それもすごい事だ。今更ながら。

そう言えば、前にテレビで見た車椅子のおばあさん(何処かの外国の人だった)が、誇らしげに言っていた「これでも、私ボランティアをしているのよ。お年寄りのところに朝、電話をして、元気でいるか確認するのよ。」

仕事は、9to5だけではない。
できることを、できるだけやる仕事というのもこれからは、必要なんだね。

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身体は正直

先週の雪で、(言い訳ですが)自主トレをサボっていたら、今日のレッスンは悲惨な事に。

身体は正直です。(歳のせいでもあるんだろうけれど。これ以上衰えないようにするのが精一杯)

昨日は、身体を伸ばしてなかったせいで、左足が、全体的に痛だるくて、片足を引きずっていたのに、ストレッチをしたら、痛い!でも、その後は、大丈夫。

自主トレサボっていたから縮んでいたんだろうね。

心も身体も伸ばさないとね。

伸び伸びと。

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タイプバトン(タイプライターじゃないよぉ)

今度、あなはたでアロマトリートメントをしてもらえるようになった石田さんから回ってきた。・・・タイプライターの事じゃなかったのね。

①好きなタイプを外見で答えよう。
 髪型、顔、体型、身長、服 装、職業、性格その他。
 
(髪型) 短いのが好きだけれど、似合っていれば、なんでも。 (でも、てっぺんが寂しいのに、がんばって後ろを伸ばしている方はペケ。許されるのは、御茶ノ水博士位かなぁ)

(顔)  好きなタイプの顔には共通点はないと思っていたけれど、みんな大仏さんのような唇ばっかりだった。(でかくて、口角はっきり)

(体型) どちらかと言うと、でかい人。(心もでかけりゃ言うことなし。)

(身長) でかい人が好きだから、当然・・。

(服装) 清潔で、似合っていれば。(髪形にも言えるけど)

(職業) 自立していればなんでも。

(性格) 心に余裕のある人。 できれば、「君は、強いから、ひとりで生きていける。」なんて、百回位転生しても、私に向かって言わない人。

②年下が好き?年上が好き?

  どちらも経験があるけれど、歳は関係ないですね。

③タイプの芸能人は?

(男性) チョウ・ユンファ(笑うな!)子供の頃は、何故か、三国連太郎。(笑うなーーーー!)
(女性) シェール

④恋人になったらこれだけはして欲しい、
 これだけはして欲しくないという条件をあげて下さい。

(して欲しい)   上手に私を甘やかして欲しい。
(して欲しくない) だからぁ、「君は、強い人だから・・・」って、言って欲しくない。

⑤今までの恋愛経験の中で
 この人はタイプだったなという人とのエピソードは?
 (片思いでもOK)
嫌いになったわけじゃないのに、一緒にはやっていけないと思って、別れた。
これはきつかった。

⑥よくはまってしまうタイプをあげてください
(美少年好きなのにいつも付き合う人はかけ離れているなど)

  「君は、強いから、僕なしでも生きていける。」って言うことをいう奴。  
   
⑦あなたを好きになってくれる人は
 ぶっちゃけどんなタイプ?

    私が甘えたいのに、あっちが、どっぷり甘えてくるタイプ。いろんな意味で。

⑧どっちのタイプかで答えて下さい。

 (甘える?)・・・甘えべただけれど、いい意味で甘えたい。    

 (尽くす?) ・・・尽くすタイプと言われるけれど、甘えられると、つい。    
 
 (嫉妬する?)  その昔知り合いの男の方から(恋人でもなんでもありませんが)「水穂のだんなになって、浮気したら殺されるだろうなぁ。」と、言われたので、「2階の窓から、吊るす!」と言って、恐れられました。(冗談だよぉう。)


⑨最後にバトンを渡したい人を5~10人でお願いします。

毎度の事だけれど、誰かいませんか?

香奈さんとか好きそうだけれど。

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ハートウォーミングなクリスマス

ちょっと、クサイ、タイトルですが・・・。

クリスマス・イブは、お客様でもあるrioさんが、トリートメントを受けに来てくれたついでに、ケーキやらなんやらご馳走になりました。短い時間だったけど、おしゃべりをして、楽しかった。心遣いが、嬉しい一日だった。人から頂く、思いやりはとても嬉しいものです。

夜は、おばあちゃんとご飯を食べて、病み付きになった柚子湯に入った。おばあちゃんは、「クリスマス・イブは、いつもひとり・・・」と、気になる事をぽろっというものだから、行ってよかったと思った。そんな事を思っていたなんて、初めて知ったから。相手の事を何でも知っているなんて思うのは、思い上がりだね。反省。

その後は姉の家族と姉のだんなさんの弟さん家族で、楽しくお酒を飲み、食べ、おしゃべりに盛り上がって、なんと、2時まで、遊んでしまった。

そのため、またまた、クリスマス当日は、ソファがお友達。(いつ仕事するんじゃい!)前日に録画しておいた「素晴らしき哉、人生!」を、見た。

内容としては、アメリカの古きよき時代のとてもよい人の話なんだけれど、苦しい中でもユーモアを忘れずに、乗り切っていくところが勇気付けられた。
2ドルお金が残った時に、「お母さんドルとお父さんドル、早く家族を増やしてね。」と、いって、かごのベッドに置いて、「早速、金庫に寝かせてこよう。」っていうところが、楽しかった。

この映画でも、人の人からは見えない心が描かれている。
映画ではよくある事だが、この映画にも、憎まれ役が出てくるのだが、この人が、この映画の主人公に対して言う言葉があるのだが、ひょっとしたら、この人が、一番、この主人公の心の内をわかっているのじゃないかと思う、くだりがある。
おばあちゃんの言葉ではないけれど、相手のことを勝手に思い込んでいたりする事が、たくさんあるんだろうね。乏しい自分の想像力を駆使しても相手をもっと、深く理解していかなくてはね。(前に書いたステラもそうだけれど)

この映画の最初に、、宇宙が出てきて、星雲(神様)が、話をしているところが出てくる。天使見習を呼ぶと、小さな星が、飛んでくるのだ。それで、この天使見習に、「地球時間の何時何分に・・・・。」と、指示を出すのだけれど、なんだか、この設定が面白くて、楽しくなってしまった。

やっぱり、星に願いをなんだね。

(ちなみに、この映画の主人公の苗字が、「ベイリー」なんだか、縁を感じます。)

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緩和ケアとしてのリフレクソロジー

昨日は雪のためと(お陰?)前日の雪かきのお陰で(夜のうちにやっておいたのだ)久しぶりにソファがお友達。(ああ体力のなさよ)

ソファの上で、うとうとしながら、これからの仕事の方向性を考えてみたり。(このうとうと状態がよいのだ。)

先日もお客様から、「医療機関に入る事とか考えていないのですか?」と、聞かれたが、現状としては、まだお医者様自体が、こういったセラピーに対して理解が浅いのではないだろうか。産婦人科などは積極的にアロマなどを取り入れているようだが、ほとんどのところはサービスの一環として、という性質が濃いように思う。

リフレクソロジーのよさは、療法自体が消極的なアプローチなので、(効果が薄いと言う事ではないですよ)薬を服用をされているような方にも安心して受けていただけるものだということ。

もちろん、薬で、数値などをコントロールされている方にはそれなりの配慮が必要なのだが、他の療法に比べると、慢性疾患の方たちにも取り入れやすいと思うのだ。

身体自体のバランスをとるので、うちのお客様の中でも慢性疾患のために長期にわたってお薬を服用されている方も薬の副作用が出ていないそうである。

治療に苦痛を伴う方の緩和ケアとしても、とても有効だと思う。

トリートメントを続けるうちに、お薬の数が激減した方もいた。(この方は原因不明の不定愁訴だった)こういった方のように、原因不明の症状の方にも威力を発揮するのがリフレクソロジーのよさだとも、思う。

リフレクソロジーの場合、アロマと違って、科学的根拠がほとんどないため、医療機関に取り入れにくいのかもしれないが、理論等を理解されれば、逆に取り入れやすいと思うのだが。

それには私たちリフレクソロジストも症例などをきちんと作成して、理解を深めてもらうようにしていく必要があると思う。

もちろん医療関係の方たちと連携をとれるような知識もとても必要だと思う。(ひゃー勉強が足りません!)

障害者の施設にいた時は、医務室の管轄だったので、看護士の方や医学療法士の方々から(それでも、利用者さんには月一ぐらいの施術だったが)色々と情報を頂き、勉強もさせていただいた。

お医者様に理解してもらう前にもっと、私たちが勉強するのも必要。

でも、まだまだ、リフレクソロジーは、リラクゼーションの域を出ないのが現状。個人のサロンで、症例が取る機会は少ない。

より多くの医療機関の方たちが、理解を深めていっていただき、双方歩み寄りで、連携していけたら、と思うのである。

お医者様が、患者の方に対しこういった療法もありますよ、と患者さんが選択できる環境を作る。こういう風になればいいなぁ、と思うのだ。(もうしている方があれば、これからも、続けてくださいね。)

もっともっと、勉強します。

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耳のリフレクソロジー

耳にも反射区があるのは、あまり知られていないかもしれないけれど、確かにあるようだ。

以前にも書いたけれど、耳たぶが頭で、丁度赤ちゃんがお母さんのお腹にいる時の格好がそのまま反射区になっている。

確かに、と思ったのは、うちのおばあちゃんは、右が弱い。

今はリフレクソロジーと、5本指ソックスで、よくなったのだが、前は調子が悪いと、右のまぶたと言うか、顔の右全体が、むくんでいた。

最近気がついたのだが、右の耳が、左に比べると、いつも冷たい。

おばあちゃんは、「前からだよ~。」と言っていたけれど、本当だ。調子のよい時は、そうでもない。

最近自分の耳も気を付けていたら、(私の場合、左が弱い)肩がこるなぁ、とか思うと、決って、左の耳が冷たい。(右は暖かい。)

そう思って、耳を全体的に揉むと、左側の不調が、よい感じ。(ひっぱたりね。後方に)

足や手のリフレクソロジーは時間もかかるけど、耳なら簡単。

お試しくださいね。

(効果は保障できませんが。毒にはならないからね~。)

*名古屋は、大雪。どんどん積もってます。歩くときしきし、音がします。雪だるま。また三段重ね、作りましたよ。

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バリシニコフ

久しぶりに朝から、ABTのドン・キホーテをDVDで見ていたら、もう22年も前のものだということに気がついた。このときのバリシニコフは素晴らしいなぁ、と、思いつつ、でもやっぱり、「愛と喝采の日々」のドンキのほうが素晴らしい、と思ってしまうのだ。

などと思いつつ、見ていて思い出した。そう言えば1度バリシニコフが夢に出てきた事がある。

夢の中でも、私がバリシニコフに、愛と喝采の日々のころに比べれば、あのドンキは何なのよ!と、怒っている夢。夢とはいえ恐ろしい事。でも、ミーシャは、ニコニコと私の話を聞いてくれて、帰りの心配までしてくれた。電車の切符まで買ってあげるように、周りの人に言っていた。

おかしな夢である。世界的なバレエダンサーに意見する夢とは。
夢占いでもしてみようかしら。

そういえば、今朝の夢は、何故かおばあちゃんと女同士にも関わらず結婚する夢だった。
毎日のように一緒にご飯を食べているせい?それとも、前世で夫婦だったのかしら?

最近前世見てないなぁ。現世が忙しくて、それどころではないか・・・。

何度かお客様の足のエネルギーバランスをとっている時(ヘッドの時は、頭だが)その人と私の前世が見えたときがある。

ぱっと、絵が浮かぶのだ。勝手に。不思議だね。

・・・バリシニコフの話から、かなり外れました。

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ステラ

かれこれ20年ほどの前の映画だと思うけれど、(ベッド・ミドラー主演)「ステラ」。

地味な映画だけれど、よい映画で、本当の母の愛とはこういうものなのかしら?と、まだ、(今でもだが)娘の立場の私は、感動した覚えがある。

あらすじは、娘の幸せの為に母が身を引くと言う古典的なものなのだが、アメリカ映画にしては珍しく(ネタばれしてもいいか、古いしね。)最後まで、その母の気持ちを娘は知らずに終わるのだ。

我の強い私には、感動したと同時に、「私にはできない」と、心配したのも覚えている。(もしかしたら、それが潜在意識に刷り込まれて、未だに独身子なしかも?)

映画なので見ているほうは事実はわかるわけだから、よいけれど、現実にもあるかもしれない。ステラのような話が。だってね、私が気がつけば、それはもう違う事になるのだから。

現実と言っても、自分が認識しているだけの世界の話なのだ。

自分の知らないところで、大きな愛にくるまれていたり、自分では気がつかないだけで、人にたくさんお世話にもなっていると思うし、とてつもない迷惑をかけているのかもしれない。もちろん逆もありで、人のためになっている事もあるのだろうね。

そう言えばまだ見た事はないけれど、フランク・キャプラの「素晴らしき哉、人生!」は、自殺しようとしている人に、その人が生まれていなければどうなっていたかを天使が見せてくれると言うお話。きっと、キャプラの事だから、見た人に、素晴らしき哉、人生!と、思わせてくれるに違いない。

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依存と共依存

今日は久しぶりに、コーヒーショップで、コーヒーを飲みながら、ぼーっとした。(隣の席に座った人が、メールをピコピコ打ち出したのが、耳障りなので、ふんっと思って席を替わったが。せめて音を消して欲しいのだ。)

ボーっとすると、いろいろな事が見えてくる事が私の場合多いのだが、今日は依存と言う事を考えていた。(と言うか気付いた)

一般的にセラピストと言われる人は、クライアントに依存される事は避けなければいけない。心の問題にしろ、身体の問題にしろ、その人自身でよくしていけるように仕向けるのが、よいセラピストだと思っている。(商業的には、たくさん来てもらった方がよいのだが)

その事は頭ではわかっているつもりでいた。自分の仕事としては、それなりにわかっているのだが、実生活で、わかっていなかった。

自分の母の批判をするようだが、70近くになっても依存心が抜けない人。

依存と親孝行をとり違えている。

と、思っていたのだが、どうやら私にも問題があったようだ。

親が大変な時にしょうがなく母の店を手伝う事になった事はずいぶんと前に書いたが、若かった私にはそれは、子の努めだと思っていた。それが親孝行だと。

仕事自体は、楽しむようになったのだが、自分の人生の可能性は諦めていたのだ。と、思いつつも、その仕事を辞めることは、親不孝なんだと、心には葛藤があったのだ。(もちろん、自分の弱さもあったけど)

父親が死んだ時に、この仕事を専門にする事になり、母の仕事は手伝う程度になったのだが、実は、母は、自立していなかったのだ。

私か姉がいなければ、仕事ができない。ほかに人を雇ってまでするつもりはない。したくない。なのだ。それでは私にも姉にも負担は大きい。

親子と言えども、仕事は仕事である。自分の仕事を犠牲にしてまで、手伝う事はない。でも最近、それには私にも責任があるということに、気がついた、自分では親孝行だと思っていた事が実は母を甘やかしていることに気がついたのだ。

依存する人はたくさんいる。でも、依存させてくれる人がいなければ、それも成り立たない。

相手を責める前に、自分を振り返る事が大事なのだ。

他の親に比べれば、迷惑をかけられる事が多い母だけど(私もかけていると思うが)自分で選んできた母だけに、教えられる事もたくさんあるのだ。

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過去の独り言

最近仕事に関して、停滞気味である。

思いついて、過去の独り言を読み返してみた。(今までの人生で、三日以上日記を書いた事がないのに、ここまで続けてこられたのもHPのお陰である。)

同じような事を繰り返し繰り返し書いているようだ。まあそれも、リフレクソロジーや、仕事に関して同じ姿勢を保っていると言う事かもしれないのだけれども、こうも同じような事を書いてばかりいると、自分に言い聞かせているのだなぁ、と、つくづく思う。

自分の心の弱さが出ているのかも?

リフレクソロジストとして、スクールの講師として、バレエの先生として、はたまた、門野水穂という人間として、これでいいのか?という答えは出ない。
もちろんそれなりの自信がなければ、お客様に対しても、受講生の方に対しても、社会の方に対しても、失礼であるのだが、時々、ずーん、としてしまうのだろうな、きっと。(人からはそう見えないらしいが、でもそれもありがたいことである。)

自分で書いたのもを読んで、変な納得をするのもなんだが。

でも、面白い事に、書いた事が少しづつ実現している事にも気がついた。

書いたまま忘れていた事がたくさんあるのだが、「おおっ」ということもある。

この世界に入る前あたりから、夢日記や思う事をノートとかに走り書きをしたりしていた事がある。部屋の掃除をしている時などに出てきたりすると読み返すのだが、少しこっぱずかしことが書いてあったりして、われながら笑ってしまうこともあるのだが、今と同じような事が書いてあったりして、相変わらず成長してないなぁ、と思うのだが、変わらない気持ちと言うものも大事なのかも。

何か一つの思いを貫く。

そんなにかっこいいものではないかもしれないけれど、その思いを実現する方法や状況は変わっても、そこにあるお思いは変わらないなぁ、と。

それもひとつの強さかもしれないと思って、すこしほっとしたような。

前ばかり見ていると、まだまだそこには高い山に登る坂があって、いつまでも自分は、まだまだなんだと、感じてしまうけれど、時々振り返ると、自分で思っているよりはたくさんの坂を登ってきている事に気がつくこともある。

それもまた必要なんだね。

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うちのおばあちゃん恐るべし

IMGA0274 IMGA0271 今日は、名古屋は積雪がすごい(もう書いたか・・)

おばあちゃんに電話して、「今日は雪で道がすべるから、お店に出てきちゃダメだよ。」と、電話をしてから、姉の代わりに私が母の店に。

そうすると、お昼頃におばあちゃんが、歩いてやってくるではないか。

「転んだらどうするの!」と言う私の言葉は、どこふく風とばかりに

「雪は友達よ~。」なんて、のんきに言っている。(確かに、20年おばあちゃんは新潟にいたけれど)

それにどういうわけか、上機嫌。いつもの倍、笑う。

やっぱりおばあちゃんも雪が好きなのね。

先日のただ寒い日は、機嫌がほんとに悪かった。

積雪の為に、お仕事が大変な方もいるというのに、おばあちゃんとその孫は、いい気なもんである。

家の前に、三段重ねの雪だるまを作っておいたから、きっと、おばあちゃんはそれを見て、また、ひとり笑うのだろうな、と思って、私も楽しいのである。

*家の前の雪だるまの写真は、電池がなくなったので、取れませんでした。

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雪かき

雪は、案の定積もっている。雪かきをしながら、雪だるま作り、といいたいところなのだが、姉がぎっくり腰になった、という電話が入ったので、トリートメントに出かけなくては。

その後はやっぱり雪かきします。借家と言えども、一軒家。雪かきが必要なのです。(と、言いながら心はワクワクしている。)

人にとってはどうでもいい内容だな。

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雪が降る

雪がしんしんと降っている。

こんな日は、ストーブの暖かさの中で、ゆっくりが一番。

本当にゆっくりしている。

スクールを始めてからというものの、仕事が暇だと、「明日はどうなる?」と、心配ばかりしていたが、最近では、よい事か悪い事かわからないけれど、今日食べる分があって、寒さをしのぐ部屋があるなら、大丈夫、と、思えるようになった。

人生の質は、仕事に忙しさに比例するのもではない。どちらかと言うと、反比例かな。

聖書の中にも(しつこいようだけれど。私はクリスチャンではない。)農作物が豊作で、これを保管しておく蔵を作ろうとした人を神様が見ていて、それなら明日その人の命を奪ってしまおうと思う話もある。(詳細は忘れたけれど)

お金をためて自分の夢を実現するのはよいけれど、お金がたまらないからと、嘆くのはまた違う話。

仕事が暇でも、自分の人生を楽しみ、過ごせば、よいのだろう。と、心から実感と経験を伴って、納得する日々なのだ。

それが、また仕事に繋がるのだろうね。

だから、明日は、雪だるま作れるかな?そればかり考えて今日は一日過ごしたのである。

*そう言えば、来年1月1日2日と、金山グランコート・ホテルで、仕事します。(5F ローズルーム11:00~17:00)
リラクゼーションコーナーで、リフレクソロジー担当します。15分1500円、30分3000円です。手軽にお試しになれる金額ですので、よかったら来てくださいね。宿泊してなくても、大丈夫です。その他いろいろなイベントをしていますよ。占いコーナーとか、ネイルとか、キッズコーナーもあるので、家族連れでどうぞ!

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死者からのメッセージ

今日姉の家で、本棚を物色していたら(姉も姉もだんなさんも読書家ではないので、めったにしないのだが、今回は貸しているはずの本を探しに)目にとまった本があった。

曽野綾子さんの「私の中の聖書」である。

あら?なんで?と思ったのだが、手にとって、読んでいるうちに姉が、帰ってきた。

「その本、○○さんにもらった本だよ。」

その人は、先日のブログにも書いたけれど、この間亡くなった方。

「何かあるのかもね。」と、姉。もう、20年程前にもらった本だそうだ。

姉の影響で、(と言っても、3歳しか離れていないが)若い頃から、年上のそれもとても素敵な方達と知り合いになった。

その人もそのうちのひとりなのだが、以前は、子供が背伸びして、大人の世界を見させてもらっている、と、いう気がして、憧れの人たちだった。

この歳になって、ようやく肩を並べられるかしら?などと、思っていたら大間違いだった。

最近聖書を読んでいるせいか(今はちょっと挫折中)この本が気になって、手にとって見たのだが、(きっと以前からそこにあったはずなのに私の目には写っていなかった)このところ、思い悩んでいたこと(大げさだけど)の答えがその本には、書いてあった。

亡くなった方とは、ゆっくり話したことも(私が未熟すぎたから)なかったけれど、ようやく、水穂ちゃんもわかる時が来たなぁ、と、やっと自分の世界に入れてくれたようで、嬉しかった。

亡くなってしまった人だけれど、そのあとになって、やっと初めてゆっくりと語り合ったような気がする本だった。(今の私には、とても必要な本)

全ては、とてもいいタイミングでやってくる。

それは相手が死んだとしても、そのことが起こってから何年経っていても、必要な時に、必要な答えを持って現れるのだろう。

自分が何かわかるようになったということと、まだまだこれからだね、ということを教えてくれた本なのだ。

やっと、背中が見えたと思ったら、逝ってしまった人。

でも、それでも何かメッセージを残してくれたんだ。

それが嬉しくて、一気に読んでしまった。

でも、きっと、もっと深く読みなさいって、怒られそう。

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仕事中毒

タイトルどおりではない生活を送っているのだけれど、それでも昨日フッと気がついた。

最近は全てが仕事中心で、自分のものの考えも全て仕事が中心になっていたようだ。

仕事が暇なら、自分のリフレクソロジストとしての足らないところばかりを気にしたり、受講生が集まらなければ、テキストが悪いのか、とか、先生としての自分の足らなさを気にしたり。何かあると、これは私のとって何を意味しているのだろう?というのも、全て仕事がらみで考えていた。

リフレクソロジーの仕事は確かに私に色々な学びを与えてくれ、人生にもたくさんの気付きを与えてくれているけれど、それだけが全てではないのにね。

自分でも気がつかないうちに、仕事が忙しい=自分の評価 になっていたのかもしれない。

確かに仕事がうまく行かなくては、家賃も払えず、ご飯も食べられないのだが、それが中心になってしまってはね。

昨日は、おばあちゃんになんちゃってブイヤベースを作ってあげて、二人でおいしいおいしいと言いながら、コタツであったまって、幸せなひと時を過ごした。(おばあちゃんは、おかわりまでしたよ。)

そういう時間が私と言うものを創っているのだ。

仕事ばかりのおじさんたちを白い目で見る前に、己を振り返らないと。

人を指差す時、3本の指は自分を指差しているのだから。

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この歳になってきたからか、必然なのか、ここ何年かの間に、親しい人のお葬式に出ることが多くなった。

黒いコートを買ったときにも冗談で「お葬式も寒い時が多いから、これ、いいよね。」なんて言っていたら、そのコートは、ほとんどがお葬式の時に着る事になった。

自分が直接その人を知っている場合は、もちろん悲しいが、きっと今は、健やかで、穏やかなところにいるのだから、大丈夫と、思って、悲しいけれど、さよならを言うために、お通夜やお葬式に出ることができたのだが、今回は、残された奥様のほうが親しくて、とても辛くなた。
いつも思うことなのだが、お葬式って、残されたものの為にあるんだなぁって。

確か(間違っていたならごめんなさい)三国連太郎さんが(漢字もイマイチ自信がない)お葬式には出ないことにしている。なぜかというと、そのほうが、友達が生きている感じがするから。だ、そうだ。

私も友達のひとりが、死んだことを知らなかったことがある。年賀状をもらったから元気でいると思っていたのだが、それから半月ほどで、ご主人からはがきを頂いた。

まだ、30半ばだったその友達の死を受け入れられずにそのままにしておいた。

今でも、生きている感じがする。

いとこが17の時に突然死、した。
家に帰ってから、夕ご飯を食べるまでの間に死んでしまった。

叔父から「どうして?」と、聞かれたが、「何か必要だったからだ思う。」と言ったら、「どうしてそう思えるの?」と、聞かれ、「きっと、今日お葬式に来ていたお友達は自分から命を絶たないと思う。人の死の悲しみを知ったと思うから。」と、答えた。

これが正しい答えだとは思わない。それにその時の私にはそれが精一杯の答えだった。

人はそれぞれだから。

でも、人の死にも必ず絶妙のタイミングがあって、残された私たちに何かを教えてくれていると思う。

私の父も教えてくれた。

それがなんなのだかはその人次第。

人が死ぬこと。それは、必然。その人にとっては、安らぎだと思う。安らかな世界へ。
父が死んだ時も、廊下あたりに浮かんでいるの?なんて思いながら、涙をこらえた記憶がある。

でも、凡人にとっては、そこに偉大な意思があるとしても、その人ともう会えない、と思う気持ちの方が強いのだ。

だから、悲しい。

つくづくお葬式は残された者が、現実の世界の中で、心の踏ん切りをつけるものだな、と、思うのである。

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寒い寒いと思ったら、雪。

今、車の走る音に、もしかしたら?と、カーテンを開けたら、雪が降っていた。

あいにく積もっているわけではないけれど。(私の楽しみの雪だるまは作れそうにないので)それでも、空から白いものがはらはらと舞ってくる光景は、心を和ませる。(これが雨なら、いやだなぁ、となるのだから、雨には気の毒としか言いようがない。もとはおなじものなのに。)

幸せなこととは、こんな雪の降る日は、ストーブの上で、しゅんしゅんと音を立てるやかんの音を聞きながら、窓越しに雪を眺めること。(家を建てたら、雪見障子を作りたい。)

先日のお葬式から、なんとなく気分が沈んでいたので、この雪は、そんな私への神様からの贈り物かもしれない。

そういえば、気分が落ち込んでいる時や心に不安が一杯の時などは、必ずと言っていいほど、神様はそれとない贈り物をくれる。

スクールを本格的に始めようとしていた春には、枯れたような木から、新芽が出ているのを見て、勇気が出てきたし、朝早く目が覚めた時に、何気なく開けた窓からは、キラキラと輝く、明けのヴィーナスが見えた。

どうしようもなく落ち込んで、何をしても涙がこぼれてくる時があったけれど、涙がこぼれないように顔をあげた時、空の青さに慰められた。

自分さえ気がつけば、そこここに、贈り物って、あるんだなと思う。

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思い

出会いとか、チャンス、などなどは、不思議なもので、何か大きなものが動いているとしか思えないことが、多い。

現実は、自分で引き寄せているから、強く望めばよいという人もいるけれど、私の場合は、強く望むとそれにばかりエネルギーを使うようでうまく行かない。くたびれてしまうのだ。

どちらかというと、漠然と考えていた、以前思ったけれど、最近は目先のことに捉われていて忘れていた、というようなことが、現実になることが多い。

畑でもやりながら、誰かの役に立てるような仕事がしたいと思って、どこか田舎にでも引っ越して、農園をやりながら民宿でもやりたいな、と思っていたが、結局は、リフレクソロジストをやっている。でも、いつだったか、友達に言われた。「リフレクソロジーをしながら、一坪畑で、野菜を作っているじゃない?同じことじゃないの。」って。

リフレクソロジーを正しく広めるには(私には使徒パウロはいないからね)スクールを作るのがいいんだろうなぁと、思っていたら、教えて欲しいという方やそういった機会に恵まれて、知らないうちに人に教える自信がついて、スクールを開くことができたしね。

スクールを開いた時は、スクールが何とかうまく行くように、とそればかり考えていたら、スクールよりも、以前自分が思っていた、ほかのプロのセラピストさんが集まって仕事ができる環境を作りたい(もちろんお客様のためなのだが)ということのほうが、実現しつつあるのだ。(過去のブログ参照)

もちろん、我が小さなスクールも何の後ろ盾もなく、人知れず(ではだめなのだが)ひっそりとしているものの、なんとか2年経った。(もった?)

もう最初は、海図も持たず、手漕ぎボートで、太平洋に出航したようなもの。
誰かと出会うたびに、コンパスを頂いたり、海図を頂いたり、食料を分けてくださったり、水も頂いたりで、なんとか、今外海にまでやっと来た感じがする。(私のリフレクソロジーとの歩みもこんなものだったけれど。いつも手探りで)

何事も執着するとうまく行かないようだ。(私の場合ね。)

ブルーは執着の人だしね。

思いも信じて手放すのが一番いいようで。それに忘れている位が一番いいのだろうね。だって、行動は、それに向かっていっているのだから間違いなく。

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アロマトリートメント

今日は、今度の栄のサロンで、アロマを行ってもらうことになった石田さんの(HPを見てご存知の方もいらっしゃると思うけど)トリートメントを受けました。(ちょっと、報告調)

昨日は、大人バレエの方々と忘年会、とても楽しい方達ばかりなのだけれど、一昨日若い時からお世話になった方の訃報を聞いて、明日お葬式に、と思っていたのが心に引っかかっていたのか、久しぶりに飲みすぎてしまい、今日はお疲れモード。丁度よいタイミングだった。

最近は自主トレも頑張っているので、筋肉もお疲れ。アロマのトリートメントは、よいだろうなぁ、と思っていたけど、やっぱり!よかった。

私がガチャガチャとうるさい性格のせいか、栄でお願いしている他の方達もどちらかと言うと、ほわん、とした方が多い。

石田さんも、お会いすると、ほっとさせてくれるところがあるのと、ベビーマッサージの時に見せてくれた赤ちゃんを見るときの笑顔が素敵だった。(はぁ、見習わなくては)

彼女はまだ、サロンを持っていなかったので、それで、よかったらここを使ってください、と、お願いしたのだ。

私はアロマは専門ではないので、トリートメントのテクニックを云々する立場ではないけれど、今日は、本当に気持ちよく、楽ちんな気持ちで、受けることができた。

やっぱり、セラピストは、テクニックももちろん大事だけれど、人柄だな、と、感じたのだ。

会った時から、心がほぐれる、そんなリフレクソロジストを目指さなくては。

近々、石田さんの写真も公開する予定。楽しみにしていてくださいね。

そしてもちろん、1度受けてみてくださいね。(あなはたのお客様は、20%OFFですからね。)

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欲望バトン?

ぱにあさんから回ってきた。その名も欲望バトン。お断りするとベイリーの牧野先生に怒られるそうな(未確認だけど)

Q1、今やりたいこと

ガンガンに、バレエのレッスンを受けたい。(自分がレッスンをさせる方ばかりなので。)

Q2、今欲しいもの

ショップ兼、スクール兼、トリートメントルーム兼、自宅。

Q3、現実的に考えて、今買ってもいいもの

ティートリーのオイル

Q4、現実的に考えて、今欲しいし買えるけど買ってないもの

新しい布ナプキン。(小さいねぇ)

Q5、今欲しいけど、高くて手に入りそうにないもの

だから家!

Q6、ただで手に入れたいもの



Q7、恋人にもらいたいもの

くたびれた時に肩を。(いないけど)

Q8、恋人にあげるとしたら

くたびれた時に肩。(いないけど・・・。)

Q9、このバトンを5人にまわす

誰か立候補は?

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不思議なこと

昨日はおばあちゃんのところで、晩御飯を食べたのだが、その時電話がかかってきた。
電話に出たおばあちゃんは、「水穂ですか?」なんて言っている。
私の知り合いでおばあちゃんの電話番号を知っている人は誰もいないのに。

電話に出てみると、なんと、父方の伯母さんからだった。
どうやら、母のところと間違えてかけてきたようなのだ。
それにしても、どうしておばあちゃんのところの電話番号を知っているのか(おばあちゃんは母の母だから。)不思議だった。

どういうわけだか、父の法事の日には必ず仕事が入る。
それを理由に3回忌も7回忌も出ていない。電話をかけてきた伯母さんとは、墓参りか法事位しか会うこともないので、父の葬儀の時以来会っていない。
伯父さんは(伯父さんが、父のお兄さん)高齢になっているので、身体もずいぶんと弱っているらしいのだ。

父の若かりし頃の波乱万丈の人生のお陰で、父方の親戚とはあまり交流がなかったので、伯母さんや伯父さんともゆっくり話したことはあまりない。
だから、あまり親戚という感じがしない。どちらかと言うと他人行儀になってしまう。

昨日の電話では、私も少しは自分というものがしっかりしてきたのか、自然に(ビール飲んでいたからかも?)話ができて、今度伯父さんの足をトリートメントしに四日市まで出かけていくことを約束した。(何故だか伯母さんはとても嬉しそうだった)

電話を切ってからも、おばあちゃんと「不思議だね~」と、話をしていたのだが、きっと、天国の父が(天国にいるとしたらだけど)なんか技を使って、伯母さんに電話を間違えさせたに違いない。(そもそも、電話番号を知っていることのほうが不思議なのだが)
父からの何かのメッセージなのだろう。あちらの世界の人には不可能はないらしいからね。

できれば年内に行ってこようと思う。

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色々な出来事

普通に生きていても毎日の生活の中でいろいろなことが起きる。
不愉快なことから、楽しいこと、悲しいこと(これは最近少ないなぁ)などなど。
それには大抵相手があるのだが、楽しいことはよいとして、悲しいことや不愉快なことは、どうしても相手を責めてしまう。
後で考えると、自分の過去にも結構いろいろなことをいろいろに人たちにしてきたことを思い出す。

若い時のことなんか、消しゴムがいくらあっても足りないぐらい。(どんな人生じゃ)

人のことを言えた義理ではないのだ。

脛には一杯キズもある。(だからどんな人生だったんだよぉ)

キリストも言っている「あなたが計る升であなたも相手に計られるのだ。」と。

「何故、笑う?(責める、怒る)名前を変えたら、お前のことだ。」

なんだな、きっと。
反省。
相手を許すことって、自分を許すことなんだね。今更だけど。

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子供の職業教育に4億?

金額は、定かではないけれど、今ニュース番組を見ていて、少し驚き。

20代から30代の社会人のほぼ半分が、仕事に意欲がないらしい。そのため、子供の頃から、職業意識を高めるために、国が予算を出すらしい。

家庭は様々なので、一概には言えないけれど、私が子供の頃には、家庭の中で「仕事」をさせられた。

夜ご飯の皿洗いや、土曜の昼ごはん(昔は、土曜は半日だったからね。学校も)のしたく、買い物のつき添いから、それこそ、買い忘れの買い物を買いに行かされたり。

自分が当番の時に(兄弟が4人だったから)サボると大変だった。非難轟々。
他の人に迷惑がかかるからね。

でも、子供達なりに、都合があるので(友達と遊ぶとか、部活とか)仕事のトレードとかしたりして、それなりにこなしていたのだ。

その大変さがわかってくると、雨が降ったりしたときは、洗濯物を取り入れたら、おばあちゃんは、喜ぶだろうなぁ、とか、思い、いつも、ではないけれど、自分が家にいる時は、取り込んだりしていたのだ。(我が家は、共働きならぬ、おばあちゃんが、頑張って面倒を見ていてくれたから)
それが、少し大きくなると、たたんでおいたりして、少し自分が大人になった気がして、嬉しかったりしたものだ。

そして、ちょっと頑張ると、お小遣いをくれたり、褒めてくれたりしてくれた。

中学の時の先生に、言われたことを今でも覚えている。
「思いやりとは、靴下を脱ぐ時にお母さんが洗濯しやすいように、裏返しのままにしておかない、そういうことだよ。」
その時は、あまり何も感じなかったけれど、時が経つにつれ、その意味がよくわかってきたのだ。

子供達は、大人が思っているより、大人だと思う。
自分の子供時代、何を考えていた?
何を思っていた?
時々思い出すといいと思うよ。

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寒い!

今日の寒さは、なんなんだーというほど。バレエのレッスンをしていたら、ストレッチクラスに来た方から、「みぞれがーーー」なんて聞いたものだから、なおさら。
やっぱり、夕方の寒さは、そのためだったのね、と納得。

そう言えば、子供の頃は、11月の終わりには初雪が降っていた記憶がある。
あのころは、地球の温暖化もあまり進んでなかったんだろう。

初雪が積もると、小学校の時は1時間目の授業がなくなり、近くの川原に出かけて、雪合戦をした。これが本当のゆとり教育なんだろうね。毎年行っていた気がする。(ただし、初積雪の時だけだけどね。)

寒がりの私だけれど、雪が積もると、必ず今でも、雪うさぎ(これはあまり積もらなかった時)か、雪だるまを作る。(母にはバカにされるけど)
雪国の人にとっては、厄介な雪だろうけれど、めったに、積もらないところに住んでいる人間にとっては、雪は楽しい。
底冷えするような夜が明けて、外がいつもより、しん、としてるとき、カーテンを開けると、雪が積もっている。そんな朝が好き。
時折聞こえてくる車のチェーンが、回る音にさえ、心が踊る。
今は死んでしまったアフガンハウンドの太郎ちゃんと近くの白川公園の夜の散歩に出かけるのも好きだった。太郎も雪が好きらしくて、人気のない公園の足跡のないところを踏んで歩くのが大好きみたいで(私も好き)帰るころには、二人とも、雪まみれだった。(太郎は、長い足の毛に一杯雪が固まったようについて、白いブーツを履いているようになったけど。)
それから、一緒にお風呂に入って温まったことを思い出す。

気が早いかもしれないけれど、今シーズンも雪が積もるのが楽しみになってきた今夜の冷たさ。
今は雨に変わったけれど、少しみぞれていた、という話を聞いて、楽しい思い出と、雪が積もった朝のことを思い浮かべて、ちょっと、心が楽しんでいるのだ。

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再び熱いやつ

土曜日は、ベビーマッサージ講習の修了者のためのベビーマッサージ教室だった。季節柄赤ちゃんお集まりが悪くて、2組の参加だったのだが、二人ともおとなしい赤ちゃんで、教室自体は、トラブルもなく、無事に修了。参加してくださった2組のお母様たちありがとうございました。(もちろん、お手伝いしてくださった修了生の方たちもね。)

リフレクソロジーでも、なんでも、勉強しただけでは、とても不安。ましてや、赤ちゃんが相手だと、トラブルは多い。泣いてしまったり、ぐずってしまったり、ハイハイしたりして、手順どおりに進められなかったり。お母さんが、パニックになったりと、不安要素は多い。
マンツーマンで行うなら、何とかなるだろうけど、何人かが集まって行う場合には、やっぱり、何度か経験をしておかないと、不安な気持ちから、一気に自信喪失になりかねない。
やっぱり修了者の方たちには、その後経験を積んでもらう機会をこちら側が用意しておく必要性を感じた。

終了後、お手伝いしてくださった方達と、お昼ご飯を食べながら、色々とお話をした。(させてもらった?)もともとおしゃべりなものだから、長々と語ってしまって、修了生の方の貴重なお時間を頂いてしまったのだが、リフレクソロジーについて、話すとどうしてあんなに楽しいのだろう?(お前が楽しいだけかいっ!)
以前ベーシックを受講された方に言われた「先生には愛があります。」(ひゃーはずかしい)って、リフレクソロジーへの愛だったのね。そのときは、何の愛って?思ったけれど。

エベレストよりも高く、日本海溝よりも深く、これからも、リフレクソロジーを愛していこうと思ったのだ。(笑)

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電話

先日久しぶりの方から電話を頂いたのだが、この電話が、とても奇妙だった。

酔っ払っているのか(夜も遅かったし)話の内容が、4年前のことなのだ。

いくらこの歳になったとはいえ、4年もあれば誰でも何かしら状況が変わっていると思うのだが、この方は、そんなことお構いなしに、勝手に話を続けた。近状を尋ねることもなく、まるで、その時のまま時間が止まっているかのように。こちらにしてみれば、???だった。

何とか電話を切ってから、しばし考えた。

「なんだったのか・・・?」

何か物事や人に対する特別の思いは、誰でもあると思う。
怒りやら、憎しみやら、恋心やら、いろいろ。
思いに執着していると、時間がなくなる。相手がある思いであっても、その思いだけにこだわったり、その思いを抱えていると、相手の知らぬところで、思いだけが一人歩きするようになるようだ。物事は、常に変わっていくということも忘れて。

以前に読んだ本に、「怒りや憎しみは、自分を傷つけ、蝕むだけ。相手はその思いと関係ないところで生きているから。あなたの怒りや憎しみは相手には、何も影響を与えない。」ということが書いてあった。その時も納得したが、今回もっと納得したのだ。

怒りを行動で相手にぶつけたり、恋心も、相手に押し付けると、別の問題だけれど。

この1本の電話が私に何を教えてくれてたのかは、定かではないけれど、自分の中にも、似たようなことが、あるのかもしれない、なっと、感じた夜だったのだ。

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