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2005年10月

聖書

あれから、少しずつ聖書を読んでいるのだけれど、な、長い。
今は、旧約を読んでいる。もう、挫折しそうである。

でも、読んでいると、敬虔なユダヤ教徒やキリスト教徒の方には、悪いけれど、そこここに、突っ込みを入れたくなるところがある。

想像していた内容とかなり違っているので、「これでいいのか?」と、思ってしまうほど。

先週も、母からもらった丸善のお買い物券で、何か本を買おうと思い、丸善をぶらついていると、「聖書」の本棚のところに足が向いた。

目に入ったのが「誰も教えてくれない聖書の読み方」だった。

手にとってパラパラめくると、まじめな聖書解説本ではなかった。

でも、私と同じ感想が書いてあって、「読みたい。」と、思ってしまったのだ。
値段は、1800円、母からもらったお買い物券は、2000円。いい感じ。と、思って、つい買ってしまった。

その後、お天気がいいので、近くの白川公園にて、読書。
この本がまた面白い。人の目があるのも忘れて、声を出して笑ってしまったのだ。
しかし、この本の面白さは、聖書を最初からまじめに読んでないとわからない。
日曜学校で習ったとかではなくてね。

大いに共感し、一気に読んでしまった。
そして、その後また、聖書の続きを頑張って読む気になったのだ。

信仰している人から見たら、冒涜かもしれないけれど、最後まで読んでやる!という気にさせてくれた本だ。著者も結構苦情が来たと、書いてあった。
でも、この本は、聖書の本文がそのまま書いてあるだけなのだ。(ちょっぴり言葉が、今風だけどね。)
だから、知らない人が読んだら、「ええっ!」と、思うと思う。

創世記のカインとアベルの話も、そもそもは、神様がお肉が好きだったから。
カインは、農耕をしていたので、ささげ物が野菜や果物だったので、神様に気に入られなかったのが原因。(えっ、と、思うでしょ?神様って、菜食主義じゃないの、って。)

ついでに、一番驚いたのが、神様がモーゼに「私は、妬みの神である。」っていうところ。
??????だった。(出エジプト記34章14節)

イエスも、おなかがすいた時にイチジクの木を見つけたけど、実がなってなかったから、怒って、その木を枯らしちゃったりしているのだ。(イエスもおなかが空いていると機嫌悪くなるのって感じ。)

こんなことをブログに書いていいのだろうか、と、少々迷ったけれど、今の私にとっては、大発見。
それに神様が言ったとおり「私に似せて人を創った。」のだ。

私たちに迷いや妬みや怒りがあるのは当然だなっと、ちょっと心が軽くなったのである。
(だって、イエスだって、怒っちゃうんだからね、おなかが空いてて。)

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昨日無事に

お陰さまで、ベビーマッサージの講習が終わりました。
相変わらずの市川先生には、いつも感謝です。

雨の中を赤ちゃん連れできてくださった、お母様やお父様、おばあちゃま、ありがとうございました。

昔から、一生分の親孝行を3歳までにしてしまうというけれど、本当だなっと、思う。だって、あんなにかわいいんだもの。もう社会貢献だって、充分3歳までにしているといっていいぐらい。幸せを与えてくれる、関係ない、このおばちゃんにまで。

今回の親子教室は、赤ちゃんの体調不良で、欠席者が、2組。泣き止まず途中リタイヤされた方が1組。でも、もう1人の赤ちゃんは、元気いっぱいで、先回の時も参加された方なので、その成長振りにもまた、驚かされた。

赤ちゃんは、とても幸せを与えてくれるけれど、ハプニングもつきもの。
受講生の方たちには、このハプニングがよい勉強になると思うのだ。(赤ちゃんごめんね)

ベビーマッサージに限らず、人を相手にしている仕事をしていると、卓上の勉強だけでは、対処できないことが多い。
実践の中から学ぶしかないことが、ほとんどだ。(もちろん知識も大事だけどね)
その知識にしたって、実践の中から、本当に必要なものが見えてくると思うのだ。

だから、お母様たちには気の毒なのだが、泣き止まない赤ちゃんがいたり、ぐずる赤ちゃんがいる方が(もちろん、ニコニコ君も必要!)講習の中で、親子教室を開く意味があるのだ。

人生もそんなもの。
小さいことから、大きなことまで、ハプニングの連続。

何が起こるかわからない。

そのつど、学んでいくしかないんだね。

経験が人を作るって言うしね。

私もきっとまだまだこれからね。

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依存か執着か?

今日お客様とお話をしていて、コレクターの話になった。

コレクターの気持ちはあまりよくわからないというのが、私とそのお客様との意見だった。

その話をしている時、「私は、手に入れたら、無くしてしまうとか、壊れてしまうかもとかが気になって、もの集める気になれない。」という自分の言葉に、ふと気がついた。

自分がどうしてリフレクソロジーは好きなのに、他の療法(どちらかと言うと、何かいるもの)には、あまり惹かれないということを以前にも書いたのだが(その時は何かに頼ることが苦手だと書いた記憶がある。)それが、その答えのようだ。

オイルがいるとか、何かいるとかだと、きっと、不安になるのだと思う。

所有に対する不安とでもいうのかしらん?

依存するのが怖いのか?

実は人より、執着が強い事の裏返しか?

はたまた前世の因縁か?

今日の会話から、自分を知るヒントをもらったようだ。

でも、お客様が、「水穂さんは、ものではなくて、自分の中に、色々なのもを持つことが好きな人だから。」と、とてもうれしいことを言った下さった。

ありがたいことである。

豚もおだてりゃ木に登ってしまうのである。

目指せ!裸で何ぼの人生を!

(と、勝手に納得)

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健やかな毎日のために

HPにもあるように、健やかな毎日を送るためには、毎日が大事であるのと思うのだ。

朝飲むコップ一杯の水や、自分の呼吸に意識を向けることなど、お金もかからず、自分だけでできて、時間もかからず、そして、道具も要らない。

絶対!しなくてはいけないことでもなくて、気が付いたときに、やるだけ。そしてそれが、習慣になっていけばいいと思うのだ。

先日のコースの中でも話したけれど、(日記にはかなり前に書いたけれど)意地悪な人や、いわゆる性格の悪い人は、きっと、機嫌が悪いだけなのだ、毎日。

「マグノリアの花たち」という映画で、シャーリー・マクレーンが言った台詞(根性が悪いと友達に言われて)
「私は、三十何年(わすれた)機嫌が悪いだけなのよ!」

私でも、人に嫌な事を言ってしまったな、と思う時は、たいてい自分に余裕がないとき。
それは、おなかがすいていたり、身体の調子が悪かったり、お金の心配したりしている時。

よく病気によって、人が変わってしまう人もいると思う。よい意味でも、悪い意味でも。

心の調子は、身体に現れると、思うしね。身体の調子も、心に影響を与える。

毎日心も身体も、本人に訴えていると思うのだ。これが辛い、ああして欲しい、眠りたい、とか、いろいろ。

人の身体は、とてもよくできている。その働きには、驚かされる。知れば知るほど、びっくりである。

夜眠ることによって、身体をリセットしていくし、少し位のキズなら、知らぬ間に、治ってしまう。

免疫力とか、自己治癒能力と言うと、なんだかあいまいで、はっきりしないもののようであるけれど、それに毎日お世話になっているのだ。
ちゃんと、心と身体をメンテナンスしてあげれば、その威力はすごい。

風邪と言われる症状だって、身体の機能が、働いている証拠。菌と身体が戦っているがゆえの熱なのだ。鼻水だって、炎症から粘膜を保護するためだしね。

昔の映画「ミクロの決死圏」を子供の時見たとき、「怖い」って思った。
だってね、自分の身体に異物が入ってきたときの身体の反応が、すごかったのだ。
白血球が、人の身体にへばりついて、取り囲んでしまった。
確か、メグ・ライアンで、リバイバルしているから、見てみて。でも、身体の反応というすごさでは、オリジナルですよ。やっぱり。

私たちは、身体と心を酷使していても、身体は健気に頑張っているのだ。
日々その声に耳を傾けてあげなければ、いつかは、くたびれ、破綻する。

ストレスで、呼吸が浅くなっていれば、深呼吸して身体に酸素を送ってあげて、肩に力が入っていれば、筋肉が硬くなって血管が細くなるので、肩の力を抜いてやり、身体にとってよい環境を作ってあげれば、身体はそれに応えて、働いてくれるのだ。

どこかに故障が出る前に、心と身体に意識を向けて、日々ねぎらってあげたいものである。

私たちが眠っていても身体は働いているのだ。

(1年365日。うう、まねできません・・・。)

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怪しいスクール?

この前から引き続き我が家のパソはご機嫌斜めである。(困ったもんだ。)

昨日の受講生の方から面白い話を聞いた。

HPから、お申し込みを頂いた方なのだが、うちのスクールは、受講料も安くて、(他校比)マンションの一室にあるスクールなので、お家の方が、「振り込め詐欺かもしれない」と、思ったらしいのだ。(受講料が安いのが、怪しい理由だったそうな。そのほうが、簡単にだまされそうな感じだということらしい。)

楽しいやら、悲しいのやら・・・とほほ。

広告費や豪華なパンフレットにお金をかけると、それは、受講費に反映される。

できれば、低価格で良質なスクールを目指しているので、じみ~なスクールだけど。

内容は、しっかりしているつもりなので、これから、受講されようとしている方は、振り込め詐欺だとは思わずに、どうぞ安心して、お申し込み下さい。

と、言いながら、笑い話で終わったのだけれど。

その後、久しぶりにスクールのそばのショットバーに寄り道。

ここは、私が23歳位から、よく行っていたショットバーをやっていた方が新しくお店を開いたところ。(以前のところは、経営が違う人で、そこを閉めてしまったので)
だからかれこれ20年近くのお付き合いになる。
最近は、お酒を飲みに行くということがあまりなかったので、ここも、1年以上ぶりだったのだ。なのになんだか昨日は足が向いたのだ。(久しぶりにマティーニが飲みたかっただけなのだが。オリーブ2個で。最初にひとつ、最後にひとつ。この最後のマティーニ味のオリーブが好きなのだ。)

ドアをあけると、お客にも、お久しぶりの顔が。(もちろんあちらにしてみれば、私の方がお久しぶりなのだが)それになんと!昨日は、そこの4周年記念だったのだ。

知らなかったのに、それも、久しぶりで、土曜日で、なんて。
神様は、にくいことをしてくれる。
プレゼントを持って現れる方もいたが私は手ぶら。(当たり前だけれど)
マティーニ一杯のつもりだったけれど、その後ビールを2杯。ささやかな売上協力をして、他のお客様からの差し入れのシャンパンのおすそ分けを頂いて家に帰ってきた。

そういえば、大学の夜学生だった私は、当時あんまりお金もなくて(今もそうは変わらないけれど)ここでよく、(以前のお店でね)他のお客さんの振舞い酒のご相伴にあずかって、500円で、よく酔っ払っていたなっと、懐かしく、思い出した。
映画が好きな経営者の方とジャズ好きな人たちの集まりだった。(もちろんお酒も、またそのウンチクも。)
久しぶりに、若かりし頃の思い出に浸り、若かった頃の失敗も心によみがえる。
だーー、すべって、転んで、今に至るんだなっと。

当時店に来ていた中では若い方だったので、昨日も「もう、40か~」なんて言われたけれど、そこのマスターも、もう70を越している。
眩しい若さも懐かしいけれど、ちょっとづつ丸くなりながらも、相変わらずのた打ち回っている40の私も好きなのだ。

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45ぐらいまでには

この仕事を始めて少し経った時、お客様の紹介で、今我がスクールで、解剖と病理の講師をしてくれている平田と出会った。(プロジェクトX風?)もちろん彼女は、本当はハーバリストなのだが、イギリスで、医学の勉強をしてきたので、講師もお願いしたのだ。

最初に出会ったのが、かなり前。彼女がイギリスから、帰ってきたばかりの時だった思う。

イギリスでのセラピスト事情とかを聞いているうちに私もそんな感じで仕事をしていきたいなと、思ったのだ。

それは、ひとつのところに、それぞれ専門のセラピストがいて、その方に合った療法を薦めるというもの。

日本のように、1人のセラピストがたくさんの療法を行うのではなくて、この療法はこの人、あの療法はこの人、というふうに。

だから、ここでは、この療法が受けられますよ、ではなくて、このセラピストのこの療法が受けられますよ。というのが理想。

おのおのが自立して、互いの領域を尊重して、お客様によりよいものをお薦めする。そんなところを作りたい。そう思っているのだ。

今住んでいる所を、ロトが当たるか、スクールが爆発的な人気を呼んだら、買い取って、1階は、ハーブとかのショップ(もちろん専門のアドバイザー平田がいる予定)その場で、ちょっとお茶したりできるスペースを作り、その奥には、セラピールームをできれば2,3部屋つくり、中庭には、ハーブその他を育てる。
2階は、スクールにして、リフレクソロジーや、ハーブ講座その他も色々な講座を開きたいのである。時には修了生に集まってもらって、お母様のための赤ちゃん同伴リフレクソロジーなんかも開くといいかもね。修了生の中には、保母さんの資格を持っていて、育児サークルを開いている方もいるから。(夢はふくらむのじゃ。)

そして、3階に私が住むのじゃ。
裏の庭も少し残して畑も続けたいしね。

そういうことを漠然と思っていたのだが、何かのご縁で、平田と4年ぶりぐらいに会って講師をお願いし、この間も久しぶりにまたこういう話をしたのだが、今では、具体的な私の目標になっている。

素敵な王子様に(4,40です・・・)に出会うのも楽しみだけれど、これから素敵なセラピストさんに出会うのも楽しみなのだ。

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最近

パソの調子が悪くて(特に夜)メールやブログの更新がうまく行かない時がある。

再起動しては、フリーズし、フリーズしては、再起動。

それを待っている間に、ソファで、寝てしまう・・・だぁー、これからは、風邪をひいてしまう。

パソもそうなら、主人もそうで(私のことね)なんだか、ダランとしている。

聖書を読み始めたのはよいが、時間があるときに読んでも、かなりかかるみたい。こんなに読み応え(というのかしら?)があるのもそうそうないぐらい。
読み出すと、掃除しなくっちゃ、と思いつつ、読んでいるのだ。

私が、クリスチャンなら、敬虔な信徒となるのだろうが、興味で読んでいる私は、ただの掃除を放棄しただけの、ぐうたら人。
確かに、聖書の中に、家の仕事をしないで、イエスのお話に聞き入っている妹を嘆く姉がイエスに言い収められるところのあったけど。(確か、神の言葉を聞く事はとてもよいことだから、家のことを手伝わなくてもよい、というようなこと。)

自分に都合のよいところだけ、勝手に当てはめて考える都合のよい私。

だけど、これだけ世界で読まれていて、映画になったり、いろいろなところに引用されている読み物を読まない手は(それもうちにあるのだから)ない。

子供の頃読んだ「風とともに去りぬ」も、たくさん聖書から引用されていた。(特にレット・バトラーが、よく引用していた。)

それから、30年もたって、やっと、このことだったのか、と、わかったのだ。

それにしても、まだ、ちょっとしか読んでないけれど、イエス自身が出てくるのは、ほんのわずか、福音書だけである。旧約聖書は、すごく前のことだし、こんなんだったんだ、改めて感じたのだ。(映画「十戒」も、原作で読んだことになるのだわ、私。原作って言ってよいのかしら?)

クリスチャンの人から見れば、冒涜に近いかもしれないけれど、とりあえず読んでみようと思った意欲だけはわかってもらいたいと、思う。

ほんとに世間には知らないことだらけ。

何事も、知らないということに気がつくことから始まるのだ。

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やっぱりリフレクソロジスト

この仕事をはじめた時、アロマとかに比べると、じみだった。(と、勝手に思っていた。)

アロマはよい香りなので、女性にとってはそれだけで癒される感じ。
リフレクソロジーは、足。
なんて、じみ・・・。

それに、知名度も低くて、説明するのに大変。(友達が、無痛足裏マッサージと言う命名をしてくれたが、足裏だけじゃないもんね・・・)

少ないほかのサロンを見てみても、アロマとあわせているところがほとんど。(某スクールの出身者が多かったから?)

アロマとリフレクソロジーは、まったく別のもの。未だにその区別がつかない人も大勢いいると思う。(働いていた施設では、最後まで、アロマの先生と思っていた人もいたぐらい。)

しかし、リフレクソロジーは、地味だが、滋味だ。(なんてね)
それに奥が深い。(どの療法でもそうだと思うのだが。)

私の場合は、はっきり言って、マッサージ関係は大嫌いだった。するのもされるのも。
最初リフレクソロジーと出会った時もそこの会社が、メンタルケアが中心のところだったので「なじぇ?」だったのだ。

心にアプローチするのは、難しい。そういう場合は、身体から、ケアする。というのを知ったのもその時。
心にアプローチしていけば、身体も健やかに。
身体に、アプローチしていけば、心も健やかに。
心と身体は、ひとつなのだ。

それならば、勉強してみるか、だったのだ。
そしたら、その効果のすごいことと言ったら!びっくりである。
もともと、(今思えばだけれど)カパ体質で、水である。むくみやすい。(というより、暗黒時代のせいで、身体は、むくんでいることが当たり前状態)それなのに、講習2日目、1時間おきに行くトイレ。身体は、しぼんだ。手にも足にも、骨が出た。(普通の状態になったということね)

だから、癒しの仕事がしたいとか、マッサージ系が好きだからとかで、この仕事を始めたのではなくて、こんなによいものは、もっと、知ってもらわなくては!だったのだ。

だけど、書いたように、仕事としていくには、リフレクソロジーだけでは弱いのかな、と、何度も思ったことがある。(商業的にね。)
でも、リフレクソロジーが、すきなのだ。
とても自然なものなので、誰にでもできる。どこでもできる。でも、奥が深く、その効果は大きい。

始めて7年になるけれど、未だに変わった好転反応や症例がある。
スクールで教えていても、まだまだ勉強不足だなと、思うこともしばしばである。

受講生の方にも言うが、勉強したから、「はい、一人前ですよ。」ではないのだ。

リフレクソロジーに限らず、その道を極めるのは、簡単ではない。

今思えば、あれもこれも手を出さず(ピンと来るものがなかったせいもあるけれど。それに、マッサージ嫌いだったし。)リフレクソロジーだけでやってきて、よかったと思っている。(ヘッドは、これまたよろしいが。矛盾している?まぁ、世の中矛盾だらけ、それだから、私でも何とか生きていけるのである。)

リフレクソロジーに限らず、人に教えるということは、単にテクニックだけではない。
テクニックだけなら、昨日今日、勉強を終わった人でもできる。
でも、実践から学んだことがなければ、人に教えることは難しいと思うのだ。

人生と同じで、経験は、大事。そして、そこから学ぶことも。そして、新しい気持ちで、柔らかく、新たなものと出会っていくことも。(経験だけに縛られると、これまた、困る。)

だらだらと書き連ねてしまったが、やっぱり私は、リフレクソロジストなのだ。
そして、リフレクソロジーが大好き。なのよん。

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めでたく昨日

お陰さまで、40になりました。

WOWOWで、「パッション」を見て、30年読まずにいた聖書を読み始めた。

私自身は、キリスト教徒でもなんでもないのだが、11歳位の時に、転校してきた子が通っている日曜学校と言うものに興味を持って、何回か通ったのだ。

とりあえず、新約聖書から読んでいるが、こんなのだとは知らなかった。

福音書は、それぞれが同じことについて書いていて、(キリストの誕生から受難の日のことそれから復活について)人によっては、細部が異なる。それを全部読むと、「パッション」の筋と同じになるのだ。

「神との対話」も、聖書を読んでからの方がわかりやすいとうことにも気が付いた。

あれは、聖書の新解釈のようなものなのだ、きっと。

聖書についても、シェークスピアについても、(これをふたつ並べることについて、突っ込まないで欲しいけど)聞きかじりだけはあったけれど、何事も全体を知るということは、大事なことなのだと思う。

世界で一番のベストセラーなのだから、これを機会に、最後まで読んでみようと思う。

ということで、40になった日と、今日は、聖書を読んで過ごしたのである。
そういう誕生日もあっていいと思うのだ。
40だし。

まだまだ知らないことのほうが多いのである。

まだ、40だしね。

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しみじみと

やっぱりバレエがすきなんだなっと、思う。

35から始めたとはいえ、(子供の頃、半年位習ってはいたけれど。いじめられて挫折。ほ、ほんとだって!)お陰さまで、人に教えるということさえ、させてもらっている。

先生が男の人だったせいもあるのか、レッスンはハードだった。
筋トレのようなバーレッスン、しつこい位のセンターレッスン。
発表会があるわけでもないのに、週に4回、毎回2時間ほど。その後もおさらいしたりして、0時を回ることもしばしばだった。
未だにその時のレッスン曲が口ずさめるほど。

今はレッスンは受けてはいないけれど、仕事の合い間に時間を見つけては、自主トレする。(お手本を見せなくてはいけないからね、先生は。)

時々思う、何故こんなことしているのかしら?
答えは、好きだからである。
自主トレをしていても、身体の中に軸を感じると気持ちがいい。
筋肉を意識できることが気持ちいい。
そして、やりたいパができること、それが一番気持ちいい。

身体は正直で、さぼればすぐに衰える。やれば、応えてくれる。そしてそこには、ごまかしがない。
できないからと、泣いていてもできるようにはならない。やれるようになるには、やるしかないのである。そして誰にも代わってもらえない。
バレエを通して、人生を教えてもらっているようなもの。なのだ。

昨夜、BSで、首藤君のサマーレッスンのボーイズクラスの番組をやっていた。
(舞台を見ることも好きだけれど、レッスンを見るのも大好きである。)
初心者から、上級者までのクラス。
小さな子供達から、高校生位の男の子達。
それぞれが、それぞれのレベルに合わせてレッスンを受けていた。
でも、みんなよい顔をしていた。
みんなバレエが好きなんだよね。

上級クラスの最後は、グラン・ジュッテ・アン・トゥールナン。
曲は、私の好きなドンキのコーダ。
首藤君のジュッテはあんまり好きにはなれなかったけれど、(首藤君ファンが読んだら殺される?)その熱く怒るように(と言うより、ほとんど怒っていたが)教える姿が、やっぱり、バレエが好きなのね、だったのだ。

今日も自主トレ頑張ります。

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自分の身体

ワンデイでもそうだけれど、ベーシックコースだと、反射区の理解のために、簡単に解剖学と生理学も教えている。

勉強と言うと、小難しく聞こえるけれど、自分の体のことなのだ。

だから、受講生の方は、これが面白いと言う方が多い。

自分の身体の仕組みを知ることは、身体を大事にすることにも繋がる。

日々、ご主人は寝ていても、身体の中の機能は、休まず働いている。

最近でこそ、病は、ストレスから来ていると言うお医者様も多くなってきたとは思うが、ストレスがかかった時の人の身体の反応を知ると、もっともだと思うと思う。

医学的に見れば、そんなこと、と思う方もいるかもしれないけれど、意外と自分の身体の中のことを知らない人が多いのだ。

受講生の方でも、脾臓の場所や、膵臓の場所、回盲弁の場所を知っている人は少ない。

自分の身体のことと、その機能を知るとおのずと自分の身体を大事にしようと思う。

今夜私は眠っていても私のからだの中の動きが止まるわけではない。

1年365日私の身体は働いてくれているのだ。

大事にしよう。

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続けてもらえたら

この仕事を始めてから、お陰さまで、お医者様のお世話になったことが、ほとんどない。

お世話になったと言っても、アトピーが、顔面を全部覆い隠した時に皮膚科に行ったことと、歯医者に行った位。

薬は、ここ7年ほど、飲んだことはない。(薬を飲むと言うことが意識にないのだが。)

身体が常に絶好調と言うことではないのだが(それでも、お客様には、まるきり健康だね、なんて言われてしまうのだが。はぁ、これでも、酒は飲む、タバコは吸うのである。)

けっして、健康オタクではないのだが、おいしくご飯を食べ、おいしくお酒を飲みたい一心で、身体の調子はよくしていたいのだ。

身体の調子が悪い時、まずは、セルフトリートメント。本当は人にやってもらった方が百倍位効くのだが、セルフは手軽さがいい。(他のサロンに行っても落ち着かないのだ。)
その次に、心の調子を見てみるのだが、これが効果的。身体は心を反映するからね。

この世界では意外と勉強しただけと言う人が、多いのには驚く。
せっかく、貴重な時間とお金をかけたにも関わらず、続けてなかったり、自分の身体にも活用していない人もがいる。

私はアロマテラピーは、学んでないけれど、自分に合ったオイルを普段から活用するのに、人の手はいらないはずである。(芳香療法だからね、本来は。)
リフレクソロジーもセルフだから効果がないわけではない。
仕事にすることは、難しいかも知れないけれど、自分の心と身体に活用しなければ、どんな素敵な代替医療でも、補完療法でも、リラクゼーションでも、意味がない。

私のスクールの受講生の方は、とりあえず家族の方のためという方や自分の身体に興味があって、という方がほとんどである。(もちろん、プロを目指している方もいるけれど。)それでも、家庭において、またはセルフでと、続けてくれている方が多いのである。ありがたいことである。

仕事にしろ、家庭でにしろ、セルフにしろ、せっかくよいものを学んだのだから、続けていってもらうのは、とても嬉しい。それに、自分の身体で、納得すると言うのも大事なのだ。味見をせずに、人には料理をおいしいよ、とは言わないように。

日常の中に、リフレクを。というのが、私の望みである。
豪華なサロンで受けるのもではなく、贅沢なリラクゼーションでもない。
自分の心と身体に向かい合う時間を少しでも日常の中に。

そういうこともあって、アシスタントさんを修了生の方にお願いしているのだ。

忘れないように、忘れていたら思い出すように。

せっかくのものを習いっぱなしにしないように。

手がある限りは、どこでも、いつまでも、続けていけるものだから。

学んだから終わりではないのだ。

学んでから、始まるのだ。何事も。

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ぐでんぐだんに

ここ2日ばかり、身体がお疲れモード。

夏から、テキスト作りやら、ありがたいことに、ご予約をたくさん頂いていたり、先々週と、先週、ワンデイが、入っていたりして、そのまま旅行に行ったのが、この歳には堪えたのか、はたまた、好転反応か、身体は、ぐでんぐだんに、なっていた。

そういうときは、ありがたいことに、お休みを神様がくれる。(ぐでんぐだんのセラピストのエネルギーは、きっと、世界中に伝わるのだろうけどね、黙っていても。)

今週末の大台に乗ってしまう、誕生日と言うもののせいか、心も少しブルー。身体もぐでんぐだんなら、心もそうなのは仕方ない。(心と身体はひとつだからね~)

歳をとることには抵抗はじぇんじぇんないのだけれど、子供産んでないしなぁ、とか色々と、歳のリミットを感じているのかもしれない。

たらればは、言っても始まらないけれど、心のどこかにあるんだろうね。

自分の心ではあるけれど、意識してあげないと、気が付かない心。

いつも、元気でいたいなら、時々は心のふたを開けて中を覗いて見なければ。

自分に対しても、なんと、思い込みの多いことか。

この2日ばかりのブルーの時間に、また色々と感じたのだ。

ブルーもたまには必要ね。

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休暇終了

無事に昨日の昼過ぎに、帰って来たのはいいけれど、HPを開くと、トップの休暇の日付が間違っている・・・。曜日はあっていたのに。
ご迷惑をかけました。

お天気も、予報では、雨、曇り、雨とかなんとか、勝手な事を言っていたが(勝手じゃないか)気合か、神様のお心遣いか、外にいる時は、降らず、帰りは、よいお天気で、富士山もばっちりでした。ありがたいことです。(帰ってきたら、名古屋は雨だったけれど。)
ちなみに、
「普段の心がけがいいからだね。」
と、おばあちゃんに言うと
「そうだよ。」
と、即答。こういうおばあちゃんが、結構好き。

旅行に行く前に、伊豆箱根鉄道の路線を見ていたら、見覚えのある地名があった。
「韮山町」
スクールをはじめたばかりの去年4月我がスクールに来てくれた受講生の住所。

「うちはほとんど伊豆なんですよ」、と、聞いてはいたが。「えっ!こんなところだったの!」だ。だってね、私の感覚からすれば、静岡と言えば、名古屋に来る位だからせいぜい浜松とかね、そのあたり。静岡は横に長いけれど、まさか、ほとんど、じゃなくて、ほんとの伊豆とは。

改めて、遠いところから、小さなスクールを探し出して来てくれたことに感謝した。

修善寺から電話をかけると、電気屋さんが来るので、家を空けられないとのこと。それがなければ、三島まで、送っていくのに、と言ってくれたのだ。
本当にありがたい。リフレクソロジーも、お子さん(2歳半)や、ご主人を、相手に続けているとのこと。それもありがたい。

今回の旅行で、(本来の目的とは外れるが)改めて、大事なことを教わったようだ。
こういう仕事をしているありがたさと、責任。
わかっているつもりではいても、常に心に留めておかなければいけないこと。

受講生の方、神様に感謝。(おばあちゃんにもね。)

これからも精進してまいります。

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愚痴か気付きか

若い頃、かなり複雑な家庭だった事もあって、よく母と言い合いをしたのだが、その時決って母の言う台詞があった。

「どうせ、私は、母親としても、奥さんとしても、失格よ。自分でわかってるわよ。」

そういわれると、娘の私としては、困るのだ。失格人間の娘かよ!って。それに、そう思うのなら、そうじゃなくなるようにしろよぉ、って。

だれでも、自分の欠点はよく見える。思い込みから、事実まで。時にそれは、心を蝕んで、自己嫌悪の沼にはまって、なかなか抜け出せなくなるものだが。

でも、見方を変えれば、それは気付きであって、これからの自分の方向性を教えてくれているのだ。

なりたい自分になる。なりたい自分に変わる。(今の私が大好き、という方は、どうぞ、そのまま。)

何かが欠点だと思うと言うことは、自分の中に何らかの理想があったり、こういう風でありたいと思う気持ちがあるからだと思うのだ。

そしたら、そのようになるように向かっていけるではないか。目標があると言うことである。

自己嫌悪さえ感じなければ、変わりようもない。
(今朝のニュースではないけれど、人を撃ってみたかった、という理由で、エア・ガンで、人を撃とうとしたやつら。誰か、人に撃たれてみたかった、ぐらい言う奴はいないのか?お前が撃たれてみろだ。ふんっ!)

いつも、言い訳のように言う母には、「だったら、変わってよ。わかっているだけじゃ、ただのいい訳じゃん。」と、思っていた。

最悪の感情、自己否定や、自己嫌悪さえ、実は、気付きのもとだったのだ、と、気付いた今日この頃。さすが、必要でない感情は、神様も創らないんだね。

ただの、愚痴になるのか、言い訳になるのか、それとも、深い気付きになるのか、それは、自分が決めること。誰でも、いつでも、発展途上。

自己嫌悪を感じたら、それは、次のステップへの道しるべ。

敵は周りにはいなのだ。やってくるもの、全ては、味方。

P.S
今日から、二泊三日で、温泉に出かけます。しばらく、お休みです。

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イライラ

歳のせい?

おばあちゃんのところに行くことが、かなり負担になっていたようだ。

最近忙しかったのもあるけれど。

先週は、やっと、金曜に、仕事が入らなかったので(終わってみて初めてわかるのだが)休んだのだが、身体が、少し、グロッキー。

木曜のワンデイで、手にトリートメントを受けたせいもあるかも。(身体が正直になって、疲れている時は、内面に向かうので、行動的ではなくなるのだ)

イライラした気分に久しぶりになり、自分の心が辛い。

おばあちゃんにも、口調が、荒くなる。

姉に言われた「そういうときは、おばあちゃんに、言いなさい。口調が荒くなる位なら、休みなさい。」

もっともである。

悪いくせで、今までも、誰かに何かをやってあげている自分が、嬉しくて、負担がかかっているのに気が付かないときがある。

反依存。

気を付けなければ。

おばあちゃんは、自分が人の世話になるのが嫌なのだ。

ご飯を作ってくれるのが嬉しいのではなくて、楽しい会話が、楽しみなのだ。

楽しい会話ができなければ、行く意味がない。

久しぶりに、反省。

私も20代ではないから、いくら相手がおばあちゃんでも、自分の身体と心を優先させよう。

その方が、お互いのためなのだ。

恩着せがましいのは、誰でも嫌だよね。

今からは、また、自己中で行くよ。

それから、人のこと。

心の余裕は、自分のため、人のため、世間のため。

だよね。

まずは、自分なのだ。

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お休み

久しぶりに(うううう2年ぶりに)お休みを頂いて、おばあちゃんと二泊三日で、修善寺に行って来ます。

修善寺は、オーラ・ソーマのアドバンス・コースで、一週間泊り込みをしたところ。

毎日、富士山を眺め、朝晩、温泉に入っていた。(ゴクラクだった。ほんとに富士山は極楽浄土の入り口)もちろん、お勉強もしたよ。朝から晩まで。夜は瞑想会。降るような星。懐かしい~。

年中無休でやっていると、何か大義名分がないと休めない。

今回は、おばあちゃんが、富士山を見たいと言うので、伊豆箱根鉄道に乗って、富士山堪能してきます。

5日(水)のお昼から、7日までお休みを頂きます。

心と身体休めてきます。(パワーアップしてくるどーーーーー!)

皆様、よろしくお願いします。

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なじぇ?

お問い合わせの中に、面白いものがある。

「どうして、安いのですか?」

うううう、どうしてって言われても困るのだが、ほかが高い!ということ?

少し大きなスクールだと、宣伝費、人件費、建物の維持費などで、経費がかかるのだろうね。

時々、そうでもなさそうなのに、高いところもあるけれど。

昨日、先回のベビーマッサージ講習に参加された方からお電話を頂いた。

とても気に入ったので、他の人たちにも参加させたいとのこと。うれしいことである。

他のところも覗いたらしいのだが、うちの市川先生のやり方が一番気に入っていただけたらしい。安いからではなくて(それも重要なことだけれどね)内容がよい。ありがたいことである。

ベビーマッサージでも、リフレクソロジーでも、なんでもそうだけれど、うちでは、人に触れることの効用や、ボディワークにとって、何が一番大事なのかを学んでいただきたいと思っている。

卓上の勉強よりも、現場から学ぶことの大切さと重要性。

テクニックの前に、大事にしなければいけないこと。

理論も大事だけれど、実際に人に触れる事から学ぶこと。

マニュアルではない。

何故、人に触れることが大事なのか、何故、そうするのか。

単純なことなのに、頭でっかちにならないように。

少しでも多くの方に、手軽に、素敵に、人に触れることの効用を実践して、実感して欲しいなと、思う。

そこには、~式の~のデイプロマ所得が可能です、とか必要ないと思うのだ。

どうして、それをやりたいのか、そして、どうしていきたいのか、そして、相手に何をしてあげたいのか、その気持ちが大事だと思う。それがテクニックの向上にも、知識の吸収にもつながるのだ。

うちのスクールは、高くはないけれど、内容が薄いとか、不親切とか、そんなことはありません。先生方も、ご自分を持っていらっしゃる素敵な方(えっ、もちろん、私も含めてね。)
安心して受講してくださいね。

これからもよろしくお願いします。

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