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2005年9月

久々に

昨日は、ハンドのワンデイ講習が終わってから、お友達とミニショッピング。

と言っても、このお友達が、受講生だったのだけれど。

友達は、看護士。少しでも、患者さんの役に立てればと、今回受講してくれたのだ。

ハンドは、クライアントさんとの間が、近くなるので、お互いが緊張したりして、リフレクソロジストは、好まないが(反射区が小さいと言うのもその理由)逆に、親しい間柄や、お友達、家族、もちろん、恋人同士でも、その親しさが深まるという効果もある。お互いの手と手を通して、心が通じ合うのだ。

ハンドは、手軽で、時間も短く済むので、忙しい看護士の方には、ぜひ、身に付けてお仕事に活かしてもらいたいと思う。(もちろんいろいろな方にもね。)

話がそれた・・・。

お友達と軽くカフェで、ご飯を食べ、セミナールームの2台目のラジカセを、今月いっぱいで閉める栄のダイエーで、安く購入。

明日は、久々のお休みだーー!と、話しながら、お友達ともゆっくりと過ごすことができた。(時間は、短かったが心がゆっくり。)

ささやかな神様からの贈り物。

心も身体も、余裕たっぷりになったのだ。

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自己責任

ちょっと前に流行ったけれど、「自己責任」

私のように自分で仕事をしていると、嫌でも全てが自己責任。

普段の生活も、1人暮らしなので、これも自己責任。寝坊をしても誰かのせいにできやしない。

部屋が汚くたって、汚したのは誰だーーー?

私です・・・。(・・・だって)

前にも書いたが、(ずいぶん前かな?)この仕事をする前に、人に言われた言葉

「自分の人生は、自分で選んできたんだよ。」

「なんだそうか。」

それで、心がずいぶんと楽になったことを覚えている。

それまでは、「どうして、普通の家に生まれなかったのかしら?」とか、「そうすれば私だって」とか、そんなことばかり考えていたから。

生まれてきたことそのものが、自己責任。親も自分で選んできたんだからね。

自己責任と言うと、悪い結果のことに対してばかりを言うみたいだけれど、幸せも、自己責任。(もちろん感謝の心は大事だけどね。)

誰かの責任にしていると、その時は楽かもしれない。

だけども、自分の人生は、自分で創っていくものなのだ。

いい事も悪いことも、自分の判断で、したこと。

それに気が付けば、本当は楽なんだよね。

そうすれば、自分が変わるきっかけになるから。

自分が変われば、全てが変わる。

相手や今の状況は、自分では変えることはできないからね。

まずは自分が変わること。

いい意味でも、悪い意味でも「諸行無常」なのだ。(使い方変?)

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友達は大事

私には、幸いに、「あんた、あほちゃう?」と、言ってくれる友達がいる。

じぇんじぇん気を使わずに、そう言ってくれる。

ありがたいことである。

愚痴をこぼせば、「今日だけね。」とか、「ええかげんにしやーよ。」と言ってくれる。

正直な言葉をくれる友達は、こちらも気が楽。

褒めてだってくれるけどね。

もちろん、受け止めるこちらの心も大事。

「ええかげんしなよ。」で、萎縮していたら、友達ではない。

その言葉の裏にある心を汲み取らなければ。

耳に痛い言葉を言ってもらえるのは、幸せなのだ。

いつも、ありがとう。

離れていても心はひとつです。

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おつかれ~

書きたいことはあるけれど、お疲れです。

身体が資本。

まずは睡眠。

おやすみなさい。ZZ.

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ゴッホ展

初めてのカテゴリー「文化・芸術」です。(うふっ)

今日は、おばあちゃんと重い(いろんな意味で)身体を引きずって、ゴッホ展に行って来た。

私は個人的には、ゴッホは、どうでもよかったのだが、いいな、と、思うのが一枚あった。

「夜のカフェテラス」

少しメルヘンチックな絵なのだが、何が気に入ったかというと、空の星。

とても大きくて、キラキラしている。そのせいで、メルヘンチックなのだろう。

ゴッホの時代のパリは、あんなに星がきらめいていたのだろうか?

しばし、そのころのパリに思いを馳せた。

今日は、おばあちゃんのお陰で、ゴッホが少し、好きになった日なのだ。

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感謝できることに感謝

昨日無事に(?)ベーシックの2日目が終了。

2日間しゃべりっぱなしになるのと(勝手にしゃべっているだけかも・・・)受講生の方のトリートメントを受け、私でも、さすがにお疲れモード。

家に帰り、ゆっくりとしたいところだが、おばあちゃんをお風呂に入れてあげなくてはならない。

正直、時々重荷に感じる時もあるのだが、おばあちゃんの家に行ってしまえば、不思議と重荷に感じない。(おばあちゃんは楽しい人だからね。)

自分の家に帰って来るころには、行ってあげられてよかったな、と、思うのである。

おばあちゃんは、とても感謝してくれる。いつも、「ありがとう。ありがとう。」と言ってくれる。

感謝してもらえることができる自分に、感謝する。そして、感謝できる自分にも、感謝する。

「こんな自分でいさせてくれてありがとう、神様。心の余裕をありがとう。」

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再び熱いやつ

昨日は、ベーシックの一日目。

いつも、冷静で、物静かな先生でいようとするのだが・・・無理。

ベイリーの牧野先生を目指しているのだが、再び熱いやつになってしまうのだ。

受講生の方たちと歯車が合っているように、望むばかり。

アシスタントさんが、「相変わらず熱心ですね。」と言ってくれるのが、せめてもの救い。(ホッ)

姪には、「熱い先生は、苦手。」と言われた。(泣)

でも、これでいいのじゃ。

私は私。

我がスクールは、熱い。

それでいいじゃないか・・・。ね。

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なんでもない会話

仕事が入っていて、一緒にご飯を食べられない時でも、おばあちゃんのところには顔を出すのだが、いつも思うのは、なんでもない会話が大事なんだなということ。

特に何を話すわけでもない、テレビに突っ込みを入れたり、暑かっただの寒かっただの、どうでもいい会話である。

身障者の施設で働いていた時も感じたけれど、会話って、何か目的があったり、テーマがあるときはいいけれど、何もないときは、できないものである。

お陰さまで、リフレクソロジストとして働いていたので、会話するのに糸口はいっぱいあったから、かなり助かったのを覚えている。(会話できない人もたくさんいたけれど。触れればそれは、コミニュケーションだと思うから。)最後の方には、トリートメントをする時間よりも、お話している時間の方が多かったかも?というぐらいに、利用者さんとは、どうでもいい話をした。

以前にうちのお客様で、不定愁訴に悩んでいた方がいらしたのだが、この方はいつも言っていた
「お医者様は、私の顔を見ずに、レントゲン写真や検査の結果ばかり見ている。」

うちにいらっしゃるようになってから、5.6年経つお客様は、必ず
「今日の足はどうでしたか?」
と、尋ねられるのだが、
「これだけ長いお付き合いになれば、足を見る前に、お顔を拝見すれば、お疲れかどうかわかりますよ。」
と、答えてしまうのだ。

どうでもいいような会話や、顔を見ること、それは、いろいろなことを教えてくれる。

おばあちゃんの何気ない会話から、どうやら「ゴッホ展」に、行きたいと言うことがわかったので(行きたいとはいわない。25日で終わりだね。とか、会話にゴッホがよく出てくるのだ。)今日お昼から、行ってくる予定。

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やっぱりバレエが好き

月曜は、バレエ仲間が、発表会に出たので、応援に行ってきた。

最初は、仕事が入っていたし、夜は、バレエのレッスンが、あったので見にいけないと思っていたのだけれど、そこは、神様、私の空いている2時間と発表会の時間が、ばっちり合った。

「白鳥の湖」のハイライトだったので、友達は、コール・ドの白鳥。
何を隠そう(?)白鳥は、コール・ドのほうが好きなのだ。
薄幸のオデットより、オディールのグランフェッテより、コール・ド。王子は論外。
音楽も好きだしね、コール・ドのときのほうが。

小さなスタディオの発表会なので、音もよくないし、もちろん踊りだって、プロにはかなわないが、久しぶりに、見た、聞いた、心が躍った。

やっぱりバレエが好きなのだ。バレエと言うものが。

思い立って、ニューヨークに1人で行ったときも、3泊5日の旅だったけど、当日券で、ニューヨーク・シティ・バレエを二晩も見たし、「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンの音楽が流れた時は、胸がつまって、泣きそうだった。
夕暮れのサークルライン(自由の女神を見に行ける遊覧船のことね)では、ひとり、沈む夕日を見ながら、ドンキホーテのパ・ド・ドゥの曲が、頭の中を回っていたし。

久しぶりに昨日は、夜の仕事まで、一日バレエのビデオやDVDを見ていた。

「愛と喝采の日々」の、バリシニコフは、どうしてあんなに踊れるのだろう?
あれだけ踊れれば、面白くってしょうがないだろうと思う、踊ることが。

ザンレールで、あれだけ高く飛んで、5番から5番にきっちり入る人は、いないと思うのだ。
ピークだったのこのときのバリシニコフを見ると、他の人の一流と言われる人の踊りですら、不安定に見えてしまう。

現実は、おなかの肉がダブンダブンになってしまって、バリシニコフにはかなわないが(当たり前じゃ)思いっきり、重力を感じる飛びしかできないけれど、頭の中では、自分も高く飛んでいるのだ。

ピルエットだって、ドゥーブルで・・・・

カトルは、ジゼルのように、軽やかに・・・・

カブリオールだって・・・

フェッテだって・・・

(妄想)

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思いは現実に

昨日養成講座だったのだが、我がスクールがあるマンションは、古くて、住んでいる人は都心にしては珍しく、もう長くそこにいる人たちばかりである。
そのせいか、ルール事が、なぁなぁになっているところもあるのだが、それもまたよろし。

だけど!いつも、エレベーター前に、邪魔になるように置いてある自転車がある。確かに、自転車置き場は、狭いし、そこに置いていく方が楽なのはわかるが、置くなら、もうちょっと、隅っこに置け!と、思ってしまう。

昨日は、「ふんっ!」と思いつつ、「こんな自転車ひっくり返してやりたい気分」と、思いつつ、その自転車を隅に寄せようとしたら、いきなりひっくり返った。
「手間が増えたわい。」と、思いながら、自転車を立て直して、隅に寄せたのだが、その時ハッと、気が付いた。

思いは現実を作るというけれど、そのままじゃん。
怒り(それほどのことでもないけど)のエネルギーはきっと、強いのだ。ある意味純粋で。
仕事や恋愛がうまく行くように、なんて祈るのは、きっと自信のなさや、今までのいらない経験などが手伝って、エネルギーが、分散したりして、弱るのだろう。

これからは、疑わず自分の思いを集中させよう、何事も。と、思ったとたん、その思いがまたまた現実になったのだ。(今度はいいことでね。)

いいことも悪いことも、やっぱり自分が引き寄せているものなのね、と、改めて納得。

自分の人生、人のせいにはできないのだ。

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修了生の皆様

掲示板の方にも書きましたが、今週の24日(土)にアシスタントもしくは、足のモデルお願いできる方、ご連絡ください。

足のモデルは、午前だけ、午後だけ、で、構いません。(ただし、お礼が出ません。ご了承ください。)

10月22日(土)のアシスタントも、お願いできる方、ご連絡くださいね。

よろしくお願いします。

先日ご案内した足モデルも、限定の商品なので、希望の方は、早めにご連絡くださいね。

ハーブ療法講座も、締め切りが近いです。

ベビーマッサージ講習も希望の方は、ご連絡くださいね。

業務連絡で申し訳ないです。

では、では。

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不惑の40?

後、一月で、満40になるのだが、最近は、歳をとることに抵抗がない。

一番意識したのは、20代の前半かな?三十近い人を見ては、私もこうなるのかしら?と、人様の目じりのしわをじっと見た覚えがある。

30をすぎてからは、年齢を意識すると言うよりも、自分の人生の方に意識が向きすぎて、あっという間に、この歳になった、って、感じ。

若い時の思い出も、とても輝かしく心の中には残っている。だけど、それ以上に苦しい思いもしてきたのだ。
自分というものがわからず、もがいた日々もあったしね。

そう思うと、まだまだこれからなのだろうが、自分の中では、確実に、自分と言うものがわかってきたような気がするし、迷うことも少なくなった。
肌の張りは衰えたけれど、心の張りは、年々増加している。

梅酒の中の梅のような気分。
年を越せば越すほど、しわしわになっているけれど、回りには、香り豊かな梅酒がある。味も角が取れてきて、まろやかになってきている。
年月の浅い梅酒は、角が立ちすぎている。

世間から見れば、まだまだ若輩ものだけれど、今まで歩いてきた人生で、少なからず知恵と言うものもついてきたし、荒波に向かっていくだけの心の備えもある。

若さと引き換えに、今の自分を手放すのはごめんこうむりたい気分である。

それよりも、今は、これからの人生に何が待っているのかと思うと、心がワクワクするのだ。

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全ては必然

最近身の上に起こることが、最初は「えーーー?」と、思うことであっても、結局は、それでよかったということばかりである。

全ては必然と言うけれど、納得の毎日なのだ。

中国4千年の歴史ではないけれど、何事も長い目で見なくては。(と言っても最近は、その日のうちにこのためだったのね。ということばかりなのだが。)

起こることは、全て必然で、一瞬は最悪でも、怒る事はない。(大家さんが、うちの駐車場の中にある物置小屋の電気を切り忘れていたので、むっとしたが、その小屋の鍵も掛け忘れていたので、今日無断だが、脚立を借りることができたのだ。勝手な言い分?)

きっと、何か意味があるのだ。

それに気が付けば、心も楽チン。

うまくいかないことは、やらなくていい。

邪魔が入ったとしても、それは、正しい道に、導いてくれているだけのことなのだ。

邪魔してくれたお陰で、本当の自分の道に戻れたりね。

何事も神様は、きちんとしてくれる。

それを疑わないことだね。

それを、最近納得したのだ。

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お月様

昨日のボーっとではないが、お月様を見るのも大好きである。

お月様は、思いもかけないところで出会うから、心がときめく。

今日も仕事帰りに、自転車をこぎながら、ほぼ南中している少し太めの半月に出会った。

雨上がりで空気が澄んでいるのか、とてもきれいに見えた。

何かに疲れたときや、くよくよしている時など、思わぬ時に月様に出会うと、とても心が満たされる。

もちろん元気な時は、もっともっと、元気になれる。

シェークスピアは、ジュリエットに、月に誓うなどと言わせたが、形を変え、時を変え、色々な姿で私を励ましてくれる月は大好きなのだ。

月を見上げる心の余裕があるうちは、私も大丈夫なのだ。

神様、お月様、ありがとう。

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貧乏性

昨日は、ブログにも書いたけど、ボーっの日。
だけど、貧乏性のせいか、頭の中では、昼から自主トレをして、とか、おばあちゃんに頼まれた買い物をしなくちゃとか、色々と考えている自分に気が付いた。

朝のゴミだし以外はしなくちゃいけないことがなにもない久しぶりの日だったのに。

と、書きつつ、結局は、映画を見ながら、ソファと友好を深めていたのだが。(最近は、仕事のない日はおばあちゃんのところに行っているので、夜映画が見られない。おばあちゃんは、NHK専門なのだ。最近は、「義経」だって、見てるもんね。)

少し前までは、仕事が色々と大変で、毎日自分を励まし、「心を強くね。」と、自分に言い聞かせ、毎日、毎分のように、神様に祈っていた。

お陰さまで、ここのところ少し楽なのだが、そうすると、とたんに精神がだらける。

確かに切羽詰ったような精神状態で、毎日を過ごすことは、心にも身体にも悪い。

でも、ほっとしている自分を(だらけている?)見ると、おいおい、大丈夫か?と、言いたくなるのだ。

だから、ソファと友好を深めつつも、少し自分を責めている自分にも気がついたのだ。

私の中にも、仕事をたくさんすることがよいことであって、ゆっくりとしたペースで仕事をすることに罪悪感を感じる部分があって、(高度成長期に子供時代をすごした影響か?)そう思ってしまうのだろうと思う。

罪悪感の裏には、先のことに対する不安があるのだと思う。
今を生きていない証拠。
今というレンガをしっかり積み上げないと明日もないと思うのだが。

昨日は、ボーっとして、ソファと友好関係を久しぶりに築き、ささやかな罪悪感を感じることによって、気づいたことがあったのだ。何事も必然だね。

今日は、今を生きるを思い出す日にしよう。

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ボーっとする時間

機能突然気がついた。最近ボーっとしてないことに。

テキスト作りにも追われていたし。(めでたく終了)

テレビを見ながらボーっとすることはあっても、空や雲を見ながら、ボーっとすることがなかった。(天気が悪かったせいもあるけれど)

そして、何故か最近イライラすることも多かったのだ、理由もなく。(暑かった事もあるけれど。更年期だったりして・・・)

ひらめきがやってくるときや、何かに気づくときは、ボーっとしている時だ。

心に浮かぶことをただ流れるに任せて、ボーっとする。

まさに瞑想。

それに、ボーっとした後は、心にたっぷり余裕ができる。

私たちが子供の頃って、夕日を友達と眺めたりしながら、どうでもいいことを話したり、その夕日の美しさに見とれたり、そういう時間が多かったような。

そう思うと、最近の子供達は、大人以上に、ハードスケジュール。

一見無駄だと思える時間。

その時間こそが、本当は必要で、とっても大事なんだと改めて感じた。

今日は、ボーっとしよう。

天気もいいしね。

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相手は自分を写す鏡?

今日は久しぶりにお友達とお昼ご飯を食べ(楽しかったです。)家に帰ってから、WOWOWOで、「ユー・ガッタ・メール」を見た。何年かぶりだ・・・。

これは、昔の映画のリメイク。昔はメールではなくて、文通(古っ!)確かジェームス・スティアートが出ていたような気がする、モノクロで。

人間って、先入観や思い込みがあると、人に対する接し方が変わるんだなぁっと、思った。以前見たときは、何にも考えずに見たのだが。(この仕事をする前か。そういえば、トム・ハンクスが、若い。)

会っている時は、商売敵。ポリシーも全然違い、ああいえば、こういう関係。素性を知らずにメールをやり取りしている時は、お互いが思いやりに溢れる関係。

でも、どちらも同じ人。

自分が敵意剥き出しだと相手もそう。(相手がそうだからか)でも、どちらにしても、心の開き方の問題。

相手も肯定するか、否定するかで、同じことしても反応が変わる。

今日はそんなことを思いながら、結構奥が深いのね、なんてお思いながら、見ていた。

誰でもしがらみや利害をとっぱらったら、よい関係を作れるかもしれない。

相手を純粋に人として見てみる、それが、大事なのねぇ。

それに自分が素直にならなければ相手も素直になってくれない、そんなことを改めて感じた映画だった。(ただのラブ・コメにあらず?)

うう、私の素敵な恋は今いずこ~~~?

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いつも元気

な、わけじゃない。落ち込むことも、怒ることも、泣くことも(最近ないか・・・)だってあるけれど。

よく言われるのが、「いつも。元気ですね。」

アシスタントさんから、お客様まで、ありがたいことに、皆さんそう言ってくださる。

今度、背中を丸めて、咳でもしながら、仕事してみようかしら?(冗談です。)

それと、この仕事をするようになってから、まだ、仕事をしていない人たちからよく言われたのが、

「元気がないときとか、落ち込んでいる時に仕事が入ったらどうするの?」

ということ。人様の事はわからぬけれど、私の場合は、仕事が元気の元なのだ。

たいした宣伝もしていないのに、縁があって来てくださるお客様、受講生の方。

それだけで、落ち込みも、疲れもどこかにいってしまうのだ。

もちろん、普段から心と身体には、意識を向けているけどね。

だけど、一度だけお客様をお断りしたことがある。
1ヶ月休みがなくて、もう頭が取れそうに疲れていたとき。
おじぎをしたら、そのまま頭がとれて、お客様の足元まで転がっていきそうだった。

「すみません、今日は無理です。とても疲れているので。」
お客様も、了解してくださった。
「あなたが元気な時に、改めてお願いするから、ゆっくり休んでね。」

いつも元気に仕事をするためには、時には、仕事を断る勇気も必要なんだと思う。

お客様の身体を大事にする前に、自分の身体大事にしなくちゃね。

いつも元気でいることは、自分のためなのだ。

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リフレクソロジスト冥利

昨日のお客様から、うれしいことを言われた。

「足を大事に扱ってくれるのですね。」

普段、受講生の方にも言っていることなので(足を大事に扱いなさい)、現場でお客様に言われたことは私としては、とてもうれしいことなのだ。(ありがとうございます)

受講生の方にも言っていることだけれど、気持ちが大事だと思うのだ。

相手を思う気持ち。

その気持ちが、もっと、テクニックを磨きたい。身体についても学びたい。足を大事にする。
自分自身の身体も大事にして、万全の体制で、お客様をお迎えする。ということに、自ずと繋がっていくと思うのだ。

リフレクソロジーに限らず、すべてのことに言えるのだろうけれど。

例えば、トリートメントの前に、本来なら、フットバスは行わない。リフレクソロジストが、足の状態を観察するために。
だけど、誰でも仕事帰りの足を人の顔の前に出すのは、あんまりいい気がしないと思う。
さっぱりとして頂いて、いらぬ緊張を感じてもらわないほうが、どれだけお客様にとって、よいことか。
(ケーススタディの時は、ダメですよ。と言うけどね。)

そこで、変な意地を張って、「本当は、しないんです!」と、言っても、本末転倒だと思うのだ。

現場に出ると何が起こるかわからない。
教えてもらってないことが起こることもある。
その時は、相手のために何がよいかを考えればいいんだよ、と、受講生の方には、教えている。(えらそうなことはいえないけれど。私もまだ、発展途上だから。)

設備や内装の豪華さではなくて、心の贅沢をお客様には感じてもらいたい。
自分の心と身体を大事にする時間も。

昨日の言葉を頂いたのだから、また、ふんどしを締めなおして(締めてないけど)、これからも、やっていこうと思う。

たるんでいると思ったら、遠慮なく、しかってやってくださいね。
お願いします。

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おばあちゃんの足と、脚

おばあちゃんは、今年の7月から5本指ソックスを履いている。

今日お風呂に入れに行ったら、ふくらはぎにシップをはっている。

そして、足を触ると、指先が硬い。

おばあちゃんは、歩く時すごく内股で、偏平足の開張足だ。

それは歩き方が悪いということ。

それが最近、5本指ソックスを履くようになってから、指は、すっと、ソックスに入る。

はだしでも、指は開いている。

最近ふくらはぎが痛くなったり、だるくなったりすると言う。
これって、最初は、歳のせいかしら?と、思っていたけれど、実は、歩き方が代わって、筋肉をうまく使えるようになった?のかしら。

漢方を飲んでいるせいもあるけれど、足も、あまりむくまず、楽とのこと。

これは、愛のリフレクソロジーと、5本指ソックスのお陰?

本人は調子もよくて、とてもいい感じらしい。
ふくらはぎの疲れも一晩寝たら、よくなっているそうだ。(88歳、恐るべし!)

何事も、遅すぎることは、ないのだ。

始めるのは、今。
変わるのも、今なのだろう。

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楽しくって?

バレエクラスが、厳しすぎるらしい。子供のね。

バレリーナになるわけではないのだから、楽しくやってくれればいいと。

楽しいバレエ。?楽なバレエ?ということかしら?

そもそもが、バレエって、楽しくないのである。ある意味。

いつまでたっても、プリエから。
そしてそのプリエさえ、楽にできるようになることはないから。

常に、基本と身体の筋肉に神経を向け、筋肉の鍛錬を続けなければいけない。

週に1回では、無理な話なのだが。

楽にしていては、本当は、楽しいバレエはできないのだ。

頑張って、基本を嫌になるほどやって、辛いバーレッスンをこなして、初めて、ピルエットやピケ・アンドゥダンができるのにね。

頑張ってようやくできるようになって、初めて感じる喜び。

辛いけれど、少しづつできるようになるから楽しい。

そうであって欲しいな。子供達にも。

流行だからやるのでなくて、バレエを通して、これからの人生に繋がってく、達成感や自信を感じてもらえたら。

せっかく始めたのだからね。

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受講生とお客様専用掲示板が、

どうやらおかしくなっています。

なくなってしまったのかしら?

近いうちに、設定しなおします。

お陰さまで、23日と24日のアシスタント決定しました。

ありがとうございます。

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以前ドラマで

「頑張れ、私。ファイトだ、自分」

というのを口癖にしている女の子が主人公のドラマをやっていた。確かお化粧で、とても美人になる女の子の話。

少々のことではめげずに、大好きな男の人に猛然とアッタクするのだが、その時にいつも、こう言ってた。

当時ちょっと元気のなかった私は、よくまねをしてたのだけどね。

声に出すとは(今時の流行じゃないけれど)不思議なことで、同じことを頭の中で考えている時とまったく違う効果を生むと思うのだ。

この仕事を始めた頃は、まだ、リフレクソロジーという名前もほとんど知られていなくて、友達が私の代わりに「無痛足裏マッサージ」と、説明してくれていたのを思い出す。

当然何の伝も無く、バックボーンもない。宣伝するにもお金がかかる。(ものすごーーーくかかる。そしてその効果は、イマイチ。弱小サロンは、宣伝費で消えてしまう。)

なので、毎朝「お客、カモーーーーーン!」と、叫んでいた。(ほんとに叫んでいたのよ。)

予約のない日も、声に出して、「1分先のことは、わからない。今にも電話が鳴るかもしれないぞ、人生何が起こるかわからない。」と、言ってたしね。

今でも、スクールを始めたはいいが、何にも伝もなく(またかよ!)、宣伝もちょぴり。ノウハウも、わからず、自分で失敗を重ねながら、少しずつわかっていくしかない。

面倒な人間関係もないけれど、失敗も成功も全て自分の責任、誰のせいにもできない。
時々、辛くなる時もある。(相手もいないくせに、「結婚でも、したろか!」と、思うこともしばしば)家賃の心配をせずに、生きてみたいよーーー。と、心の中で叫ぶ。(これは心の中でね。声に出すと、気持ちが負ける。)

だけど、そういうときは、最初の「頑張れ、私。ファイトだ、自分。」という台詞を思い出し、「私は素晴らしいリフレクソロジスト。我がスクールは最高だから。」と、自分に、声をかける。そして、笑顔を作れば、何とか心に余裕ができて、家賃の事は、忘れてしまえる。

私の秘訣は、声に出して言うこと。
あまりにも自分を褒めすぎて、段々バカらしくなって、笑ってしまう時もあるけどね。
落ち込んでいるよりは、バカバカしい自分のほうが、好きだしね。

そうやって、毎日毎日、バカバカしく生きていくのだ。楽しくね。

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貴重な経験

私の専門は、リフレクソロジーで、ある。(今更?)
お客様には、せっかくなので、リフレクソロジー以外にも、私の全知識を伝えたいなぁと、思っているので、よく話が、それるのだが、そのお陰で、ヒプノセラピーやハーブ療法、果ては、ハゲに効くという焼酎の作りかたまで、お客様とお話して、喜んでいただける場合が多い。

スクールでも、リフレクソロジー以外のことも、何か学んでいって頂ければと思うのである。

昨日、リンクしている方のブログで、紹介されていた本を買い、読んだのだが、これが、いわゆるビジネス書だったのである。(初めて買った。)

それなのだが、本の中にはキューブラー・ロス博士の話とか色々出てきて、面白かった。
ビジネスもホリスティックに、なのだろうね、やっぱり。

ここに書くと長くなるのだが、その中に、アメリカのあるデパートでは、社員の良識だけが、ルールという話が出てくるのだ。これまた、すごい話で、興味のある方は、読んでみて下さい。(「花を売らない花売り娘の物語」光文社 )

よい本だなぁ、と思っているところへ一本の電話がかかってきた。

「アメリカンエクスプレスの○○と、申します。」(えッ?ゴールドカードのお誘い?な、わけないけれど。)

心の中では、「うちは結構です。」が、よぎった。でも、いつも、とりあえず話だけは聞くことにしているので、お話を聞いたのだ。

「お客様が、リフレクソロジーの出張を希望されているのですが、本日、可能でしょうか?」

「はい、大丈夫です。」

それから、いろいろと話は進み、仕事の依頼を受けたのだ。

そして、仕事を終えて、わかったこと、

アメリカンエクスプレスには、コンシェルジェサービスというのがあって、カードを使うなら、欲しいもののお店まで探してくれるのだそうだ。
だけれど、うちは、カード、ましてや、アメリカンエクスプレスなんて、使えない。
では、なじぇ?なのだが、実は、お客様というのが、出産間もない方の病院への出張依頼。
今回は、おめでとうの意味を込めて、アメリカンエクスプレスの担当の方の個人的な行為なのだそうだ。

東京からお電話を頂いて、名古屋のお仕事をお受けする。そして、その仕事には、人の人を思いやる気持ちがあるからこそのお仕事。

なんだか、よい話。私もそうありたいものである。

ご縁はどこにあるかわからない。

今日はとても、貴重な体験だった。

ビジネスって、統計とか、理論とかあるけれど、難しいことを抜きにして、結局は、人に対する思いやりなんだな、と、納得したのである。

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