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2005年8月

今日のところは

昼は、姪と、本屋めぐりをし、お昼は、行きつけのお店で、たらふくランチを食べ、夜は、甥の誕生日で、またまた、ご飯をたらふく食べたので、書きたいことはあるけれど、明日にしよう。

久しぶりに、好きな焼酎を飲み、買った本も読んでいるしね。

おやすみなさい。

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なんだかなぁ

今さっき、「ガイアの夜明け」で、トヨタのレクサスの特集をやっていたのだが、その販売店の店長?さんが出ていた。

徹底しての高級戦略らしいのだ。(だから、デパートの接客の研修に出かけたりしていた)

なのに、インタビューでの会話は

「やっぱ、~~だからさぁ~。」なのだ。

なんだかねぇ。テレビ番組だよ!テレビ!バトラーのようになれとはいわないけれど、ちょっと、高級感だしたいんじゃなかったの???おう?

この番組を見た人は、どう思うのだろう。トヨタのトップは、O.Kを出したのだろうか?
(初めて知ったけれど、製造と販売は、別資本らしくて、名前は、似ていてもまったく別会社の感じがした。やり取りをみていて。)

高級感を出したいのなら、そういうところの詰めが甘いのじゃないかな。

やっぱり、なんだかなぁ、なのだ。

ああ、でも、人の振り見て我が降り直せかな、きっと。

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修了生の方に通信事項

受講生の方専用掲示板にも書きましたが。

9月23日(金)24日(土)に、アシスタントお願いできる方、ご連絡ください。

三連休ですが、よろしくお願いします。

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夢なのか、はたまた・・・

最近変な夢を見る。

夜寝ていると、(たぶん夢の中なのだろうが)玄関のチャイムを誰かが鳴らすので、起きる夢。

その音が、ミョーにリアル。

チャイムは、夢の中なのだが、目は覚めるのだ。

この間は、3回鳴るから、驚いて起きたのだけど、夢なのよね、ッて、また寝た。

昨日の夜は、チャイムが鳴って、戸をたたく音、ドアノブを回す音、そして、「来たいと思って、いるんです。」って言う声で目が覚めた。

声があまりにも、夢の中にしては、はっきりと聞こえた気がして、ちょっぴり、怖かった。

何のことなのだろうか?誰かが、我が家に来たいということ?
これから先の、お客様、受講生の方の声?
それとも・・・・。

夢の中の事とはいえ、目が覚めるのと、音や声が、あまりにも、はっきりと、聞こえるので、何かの知らせかしらと思うのだが。

まぁ、誰も来ない家よりは、何でも来てくれるというのは、いいことかもね。

と、勝手に納得しているのだ。

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料理をするようになったのは

生まれた時から親の都合で、おばあちゃんに育ててもらったのだが、おばあちゃんも私が保育園の頃におじいちゃんを亡くして、大変だった。

確か高校の頃。自分の子供と私たち(4人兄弟)を育て、自分は仕事もしていたから、夕飯は、スーパーのお弁当という日が多くなっていった。

それが嫌で、その頃仲良くしていた(?)美術の先生に、
「お弁当が嫌なんだよね。寂しくて。」
と、愚痴を聞いてもらった時、
「自分で作ればいいんだよ。先生なんか、コキールとか、作っちゃうよ。」
と、言われた。

先生も(その頃のうわさでは、離婚したとの事。今ほど離婚は、世間には受け入れられていなかったからね。)小さい息子さんと、暮らしていて、そして、男だった。

それから
「自分が食べたいものを自分が作って、人に食べさせてあげたらいいんだよ。料理も楽しいよ。」
とも、言われた。

目からウロコと言うわけではないけれど、
「なあんだ、そうか。」
と、思った記憶がある。

あれから、早二十何年・・・
今おばあちゃんとご飯を食べることが多い。
そして、ほとんど私が作っている。
(私が行かない日は、とても簡単に済ませているようだ、そうめんとか、漬物だけとか。)

おばあちゃんは、88にしては、何でも食べる、硬く炊いたご飯以外は(あ、キムチも食べない。でも、チヂミは食べる。)
アボガドと海老のサラダもラタトゥユも好きだし。
この間は、ホタテの中華風しょうがあんを、とてもおいしそうにご飯にかけて食べていた。
お気に入りになって、残りは、朝食べると言う。

そういうおばあちゃんを見ていると、先生の言葉を思い出すのである。

人に作ってもらったご飯を食べるのも、おいしいけれど、自分が作ったものをおいしいといって食べてもらう喜びは、格別である。
そして、それを一緒に食べるのも。

お弁当の嫌なお思い出だって、今の私には、なくてはならなかった経験なのだ。
それが、今の私をつくってくれている。

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何かに邪魔される時

最近確信したのだが、何かをしようとして、何かに邪魔される時、それは、今しなくてもいいという神様からのメッセージだということ。

大きなことは、今までも意識してきたが、些細なこともそうなんだぁ、と。

メールを送りたいと思っているのに、エラーが出る、注文画面の途中なのに、フリーズする、出かけるときに、何かを忘れる。
そういうことが起こると、「だー」と、思っていたのだが、後になって考えると、メールの内容に不備があったり(あるときなんか、名前を間違っていた・・)何かを忘れた、と思って、家に引き返すと、もっと大事なものを忘れていることに気が付いたり。

だから最近は、フリーズしても、忘れ物をしても、だー!と、ならなくなって、とても、心が楽なのだ。

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前世療法

栄のセミナールームで、今月から、ヒプノセラピー(前世療法)を、お願いすることになった。

セラピストの方は、私がこの仕事をする前から知っている方で、もちろん最初のご縁は、私が受けに行ったことから。

友達と面白半分、本気半分で、受けたのだ。(その時、人に対する自分では理解できない感情を持っていて、悩んでいたからね。)

以前にチャネラーといわれる人にも、前世を見てもらったことは、あるのだが、自分で見ること(思い出すこと)ができるなら、受けてみたいと思った理由。

結果は、色々と、思い出したのだけれど、不思議でしょうがなかった。
「名前は?」と聞かれると、「○○○」と、答えられる。
それも、ええええええ!って、名前。
だってね、「アルゴン」だよ。
最初は、恥ずかしくて口にできなかった・・・。だって、アルゴンだもん。(セラピストの方は、どんな名前を言ってもきっと笑わなかったと思うのだが)

もっと、面白いのは、その時の感情が、湧いてくること。
きらいな人が出てくると、ほんとにいや!ッていう感じ。
仮死状態で棺おけに入れられたらしくて、その時は、熱くて苦しかったしね。
(時代は、ローマ帝国時代かな?スカートのようなビラビラのついている鎧を着てたから)

でも人は、殺しているし、(親友とけんかになって、首締めちゃった)でかい体の割には、小心者だった。ひげ生やして、ごっつかったし。

2回目は慣れたもので、名前も美しく「ソフィア」だったのだけれど、これもまた面白かった。
子供の頃から、1960年代前半までのアメリカ映画が好きで、よく、NHKのお世話になっていた。(今と違って、ビデオもDVDもなかったから)
父や母も、どうしてこんな古い映画?と、首を傾げるほど。
今は無き、ミリオン座やロマン座が懐かしい。

ソフィアのときが、その時代だったのだ。とても納得した。
子供の頃理由も無くマリリン・モンローが嫌いだったのも、なんとなくわかったしね。(当時は、女の敵だったに違いないから)

まぁ、色々と思いだし、自分としては、とてもよい経験になったし、今の自分には理解できない人に対する感情も納得できた。

それに、一番よかったのは、自分も今まで(過去生を含めて)いろいろなことをしてきたって言うこと。人も殺せば、自殺もしたし、子供もいたし。
それが、本当のことか、私の頭の中で創りだした想像かどうかわからないけれど、前よりはちょっぴりでも人に寛大になったような気がする。
人の事言えないなって。

ただ、時々前世にとらわれている人がいるけれど、それは???
(私は前世でこうだったから、とか、ああだったから、とか)

だってね、私たちは、「今ここ」に生きている。今なのだ。

今を生きている私が、そのことを楽しみ、前世も来世も、あるのかないのかわからないけれども、今の自分にとって、生きるヒントになれば、それでいいと思うのだ。

思い出したからって、人を傷つけるわけでもなんでもないしね。

私の場合は、自分の心が楽になるなら、信じてみようと思うだけなのだ。どんなことでも。

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人に物を教えるということ

今日は、バレエの日。

今日も4時間。立ちくらみ2回。

自分が、レッスンを受けていたなら、よいかもしれないけれど、教えているだけでは、熱中症に、なってしまう。

バレエにしろ、リフクソロジーにしろ、あれもこれも、教えたくて、手が抜けない。

簡単に(特にバレエは)教えることは、簡単である。

なんでも、いいよ、いいよ、と言っていればよいのだから。

だけど、バレエもリフレクも、ちゃんと教えないと、その人の体をだめにするから。

リフレクソロジーは、指を痛める、バレエに関しては、もう、何が起こるかわからない。

基本は、つまらない、特にバレエは。

リフレクソロジーだって、そうだ。

でも、基本を守ることは、自分を守ること。

そして、その先にある、素晴らしい世界への切符。

基本をきっちり、それが、素晴らしいテクニックを生むのだ。

先生は、ただ、ただ、厳しいだけではないの。

わかってね。

どちらの生徒さんも。

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我がスクール

我がスクールは、「スクール」何ぞとは言っているものの、寺小屋に近い。

よいところは、受講生の方の背景が見えるので、教えるものとしては、ありがたい。

昨日も、ベーシックの3回目が終わり、コースも一応終了となったのだが、その後、「これから、もっと、こうした方がいいんじゃないですか。」と、コースのことについて、アドバイスしてくれた、自分たちに関係がないにもかかわらず。(だって、もうコースは終わっているからね。)

ありがたいことである。

スクールのことに限らず、よくアドバイスを頂く。それも、初めてのお客様からとか。

よく、「でしゃばるようですが・・・。」なんて、おっしゃりながら、アドバイスして下さる方もいるけれど、「どんどんでしゃばってください!」である。

だってね、直接自分の利益にならないことをあえて言ってくれる方の意見はとても大事なことに気がつかせてくれることばかり。
ほとんどが、目からウロコ。些細なことが多いけれど(だから、アドバイスを実行したとしても、お金がかかるわけでもない。)その些細だけども、とても大事なことに、自分では、なかなか気がつかないから、とてもありがたいのである。

昨日も、どうしてみんな、こんなに一生懸命に言ってくれるの?と、思うほど、これからのコースを進めるための工夫に対する意見を言ってくれた。

今までも、これからも、「あなはた」は皆様のお陰で、成長していくのだ。

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イブラヒムおじさんと、コーランの花たち

前から見たかったのをレンタルやさんで見つけて、やっとみることができた。(前にも書いたと思うけどね、この映画のことは。)

この映画は、オマー・シャリフが出ているし、(アラビアのロレンスの彼は、子供心にも、かっこよかった。エキゾチックで。)
映画の予告の
「笑うから幸せになるんだ。」
という、台詞に惹かれていたから、見てみたかったのである。
(時々、予告で判断すると、とんでもないこともあるのだが。)

予告どおり、よい映画だった。

短い映画で、1時間半あるかどうだし、台詞も少ない。

でも、とても、よい。

タイトルどおり、コーランが出てくるのだが、宗教っぽいお説教もないし、ただイブラヒムおじさんが、生きてきた言葉で、語ることが、よいのである。

子供達のそばにこういう人がいたら、いいだろうな、と思う。

歳を取るだけでは、大人になれないのだ。

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怒りの検証

最近は、おかげさまで、あまり怒らなくなったが、それでも、時々、怒る。

怒ると疲れるので、なるべく怒らないようにして入るのだが、それは、人間、勝手に感情というものは、湧いてくる。(お金が湧いてくるならいいんだけどね。)

大抵の怒りは、自分に原因があるのだが。(おなかがすいている?暑い?そんなことかい!)ほとんどは、自分に余裕がなくて、怒っているし、不安が、怒りになって現れる。

でも、時々実態が見えないときがある。

そういうときは、仕方がないので、あまり、怒りを見つめすぎずに頭にアンテナを立てて、神様から届くメッセージを待つことにする。

不思議なことに、突然怒りの原因がひらめくことがあるのだ。
怒りに限らず、ほかのこともひらめくけどね。

結果は、やっぱり自分の中にある。

自分の心の不安が、大抵の怒りの原因だ。
その不安の原因さえ、見つけてしまえば、怒りは消える。
そして、自分の心が、楽になる。

病気の原因もわかれば、対処の仕方があるように、怒りも原因がわかれば、対処できるのである。

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み ぽりんさんへ

リンク: オーラソーマ総合情報サイト.

み ぽりんさん、ここ読んでみてください。

ここが、一番いいと思います。

「ソーマ」確か、ギリシャ語で、身体という意味だったと。

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波に乗る

何事も、波に乗るとは言うけれど、波自体は、自分で立てているようなものだなっと。

波が止まった時は、自分に何か波を止まらせることがあるのだと思うこの頃。

バレエでもそうだけれど、筋肉が弱ったこともあると思うが、時に、「何故?できぬ?」と、思うほど、今まで簡単に、それも、何も考えず、できていたものができなくなる時がある。

できなくなった時、やっぱり考える。

でも、気が付かないときもあるのだ。「なじぇ?」

それが突然わかる時があったりして、また、できるようになるのだ。

うまくできたときのことを思い出すこと。

できなくなると、やっぱり初心に戻るのだ。

そして基本を思い出す。

思い出させてもらうのだ、できないということに。

仕事もそうだ。

基本と初心。

忘れた頃に、思い出させてくれるのだ。

波が止まる時、できたものができなくなった時、初心と基本に返る。

でも、波が止まったんじゃなくて、自分が波から落ちただけなんだろうね。

ほんとは。

(最初と言っていることが、違うじゃん。)

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与えるというより

人に与えたことは、回りまわって、自分に返ってくるというけれど、最近思うのは、与えてもらったものを返しているんだな、ということ。

人に与えたようでいて、実は、今まで与えてもらったものを返しているという感じ。

スクールで教えているのも、バレエで教えているのも、時々人に親切にすることも、もちろん、おばあちゃんの世話をすることも、人に何かを与えているというより、与えてもらったことを回りまわって、人にお返ししているという気がするのだ。

今までの人生で、充分に人に与えてもらったのだ。

これからも、たくさんのことを与えてもらうだろうから、それをまたお返ししていく、という気持ちで、生きていきたいな、っと、思うのである。

そのほうが、心も楽チン。

これからは、せっせと、お返しに励もう。

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へこんでは、立ち上がり

いつも元気なつもりでも、たまには、落ち込む。

仕事が少し暇だと、「もはやこれまでかーーー」と、勝手に、落ち込んだり、へこんだり。

覚悟はしていても、ときには、くじけそうになるときもある。

でも、面白いことに、くじけそうになる自分を励まし、とにかくへこむより、今できることをしっかりやればよいのよね~、なんて思いながら、嫌いな帳面付けとか、好きだけれど、打ち込むのが嫌いなテキスト作りなんかをちゃんとこなすと、へこんだ気分もどこかにいってしまう。

そして、「へなちょこな自分に負けるもんかーーーー!」と、叫ぶ。

最近は、くよくよする時間がもったいなくて、同じ時間を過ごすなら、笑ったり、楽しんだり、して過ごせるようになった。
来週に支払がたっぷりあったって、今、は、とにかく大丈夫なのだ。
くよくよしない努力はしても、くよくよするだけ、というのは、避けたいものである。

以前は、へなちょこなとき、少し無理して笑っていたけれど、最近は、どんなことがあっても、笑っていられるようにはなったしね。(これも努力の賜物?)

だれでも、ため息をついている人を見るより、笑っている人を見るほうが、いいに決っている。笑うだけで、社会貢献できるのだ。

笑顔は、手軽で、すぐにできる。そしてなにより、ただ、だしね。

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約束を守るということ

約束には、色々とあると思うし、また、何を約束と思うかによっても違って来ると思うが。

明日のお買い物から、1年先、時には、何十年先の約束というのもあるだろう。
時間の約束から、信念に関する約束まで、幅広い。

約束を守ることは大事だが、守れない時もたくさんあると思う。
変わる、と、いうことが、常だから。

好きで約束を破る人も、ないだろうが、守れなかった時の対応が大事なのじゃないかな、っと、思う。

素直に非を認める。謝る。新たに約束をし直す。(簡単にされても困るけれど)

ありきたりの言葉だが、相手に誠意が伝わるかどうか。

約束をする時にも大事なことがある気がする。

自分は約束をしたつもりはなくても、相手は、約束したと思うこともあると思うし。

その場しのぎに言ってしまったりする約束。
でも、相手は、そんなことは思っていなくて、その約束に胸を膨らませたりする。

人への約束に限らず、自分への約束もよく破っている気がする。
約束を守ることは大変なことなのに、何と簡単に、約束をしてしまうことか。

約束は、時として自分を縛ってしまうという側面もあるけれど、自分の目標になることもあるのだ。
約束というものを大事にする人は、簡単に人とも自分とも、約束しないんだろうな。

自分への反省をこめて思うけれど、自分の発した言葉に責任を持ちたいと思う。

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久しぶりに

久しぶりに、時間を忘れた。

先日から、養成講座用のテキストを作り直しているということは書いたが、そのせいで。

家のプリンターの調子が悪いので、だんなさんのところに帰省している姉の家で、がんばっていたのだが、気が付いたら、11時を回っていた。(どういうわけだか、姉の家には、時計というものが、各部屋になく、居間に、小さい目覚ましがあるだけなのだ。)

家に帰ってきたら、12時近く、すでに夜更かしである。

それからシャワーを浴びて、ビールを飲み、ご飯を食べていないことに気が付いて、これまた久しぶりに、ミッドナイト(ぺぺロンチーノの別名、夜中でも、保存できる食材だけで、手軽に作れるというところか来ているらしい。)を、作って、ワインを飲みながら、DVDを見た。
ここまできたら、しっかりと、夜更かしだ。

最近は、夏ということもあって、朝のエネルギーが好きで、できれば、早寝早起きを心がけているが、(畑もあるしね)夜は夜のエネルギーがある。

中学生の頃、自分だけの世界がやってくるような気がして、夜中に、起き出して、自分の世界に浸っていたことがある。

夜のエネルギーも、たまにはいいもんだ。結局、3時過ぎまで、起きていた。

*見た映画は、「ウォルター少年と夏の休日」ロバート・デュバルと、マイケル・ケインが、いい味を出している。ちなみに、M・J・オスメント君も出ている。少しでかくなって、情けない感じだけどね。昔から、じいさま俳優が好きなのだ。

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テキスト・・・発狂寸前

養成講座用のテキストを作り直している。

発狂寸前である。

テキスト作りは、忍耐だぁーーーー。

臓器とか、骨の名前、変換できないぁーーーーい。

と、言いながら、結構好きなのだ、テキスト作り。

きっと、私のPC能力の低さのせいではあると思うけれど、あれして、こうして、わけがわかんなくなるぅ。

と、言いながら、好きなのである。

でも、無情にも、先日作ったファイルが、消えていた・・・・。

だぁーーー、発狂!

でも、大事なところなのよ、だから、復習。

これも神様の配慮ね。

何事も、初心に帰るのがいいのだ。

知っているつもりだった。
わかっているつもりだった。

でも、わかっていなかったことのほうが多いのだ、いつも。

何事も、気付く事が大事だね。

明日も、頑張るぞ!おうっ!

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心配と不安

最近呪文のお陰か、心配と不安という感覚がなくなっている。

スクールを始めて、ほぼ、2年になろうとしているのだが、(本腰入れてからは、まだ1年ちょっとだけど)毎日が、不安の日々だったのだ。

名古屋の栄というと、一応繁華街なので、色々な店舗がある。スクールの周りにも、たくさん飲食店があるのだが、これがまた、回転が速い!半年もしない間に、なくなってしまうお店の多いこと。
「明日は、わが身?」と、何度思ったことか。

なんのつてもなく、たいした宣伝もせず(できない・・・)に、ここまでこれたのは、もう、本当に神様に生かして頂いている、と、思うしかない。

経営するということが、どういうことかがあまりよくわからなかったこともあって、色々と学ばせてもらったこともある。
試行錯誤の日々だった。そして、また、それが色々な気付きをもたらしてくれたのだ。

お陰さまで、新幹線に乗って、遠いところを、受講しに来てくれた方、お泊りで来てくれた方、名古屋の小さな個人のスクールを見つけ出し、そして、ご縁があって、受講された方達。
ありがたいことである。

余談だけれど、キャンセルを受けて初めて知ったのだが、なんと、神戸からのトリートメントのご予約も頂いていたのだ。万博効果かも知れないけど、ありがたいことである。
キャンセルだったとはいえ、嬉しかった。

まだまだ、軌道に乗り乗り、ッて、わけではないけれど、心は、大船に乗っているのである。

(ただの、アホになっただけかもよ~)

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自意識過剰

子供の頃から、自意識過剰気味。

人の目が、気になる。(誰でもあるかもしれないけれど)

変わった家庭環境に育ったせいかもしれないけれど。

実を言うと、看板を出したりするのも、苦手だった。(のだ。)
最初、6年程前に看板を出した時、全世界の目が、自分に向くような気がして、ドキドキした。(それならほんとはいいんだけど、宣伝成功じゃ。)

今回の看板は、見て!見て!なのである。

人は、変わらぬと言うけれど、自分で言うのもなんだが、私は変わったと思う。

この仕事をする前は、自分に自信がなかったけれど(ほんとだって)、自分に自信がない人が、お客様に接するのは、失礼だと思い、毎日、「自分を信じます。」と、呪文のように唱えていた。
それに、この仕事を始めた頃は、「リフレクソロジーって、何?」と、言う人ばかりだったのである。これで、本当に仕事としてやっていけるのか?毎日が、不安と疑問の日々。
それこそ、「自分と自分の選んだ仕事を信じます。」の毎日だった。

くじけそうになったら、「信じます、信じます。」と、唱えた。

お陰さまで、今は「自分がうまくいくことを知っている。(つもり)」ぐらいにはなったのである。

確かに、この仕事を始めてから、「顔が変わったね。すっきりしている。」「声が違う。」など、人からも、いろいろとよいことを言われた。
この間書いた、姿勢の話ではないけれど、やっぱり人は変わるのだ。

変わらないことは、「変わらないものは、何もない。」ということだと思う。

自意識過剰だった私も、人の目はほとんど気にならず、自分のすることは、自分で決めて、人にどう取られようが、気にならなくなったのである。今までは、こんなことしたらどう思われるかしら?と、気になって、しょうがなかったから。
いつも心の中で、言い訳を考えていたのである。
何かを始める、何かを変えるときに、そっちのほうにエネルギーを取られていたといってもいいぐらい。

でも、今は、楽チンになった。

昨日も、バレエで子供達に怒っていて、「怖い先生」だったけれど、今までのようには、気にならない。今までなら、子供達にどう思われただろうと気になったのだが、もう、大丈夫。嫌いで怒っているわけでも、馬鹿にして怒っているわけでもないのだ。上手にできた時は、ちゃんと褒めてあげているし、子供達のことは、大好きだから。

最近また、呪文を唱えているけれど、その呪文は、企業秘密なのじゃ。

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お月様

楽しみにしていたベビーマッサージの仕事が、赤ちゃんの体調不良でキャンセルに、なった・・・。

そのせいではないのだけれど、それからの私の1日は、だらん、どろん、であった。

ほかに仕事が入ってなかったことをいいことに、ソファが、お友達。そのソファさえ、夏のあいだは、私に辛くあたる。だって、熱持って、熱いんだもん。ソファ。

本当の行動予定。
・朝、トウモロコシを姉のところに持っていく。
・お掃除
・朝ご飯
・ベビーマッサージに出かける
・その後、栄のセミナールームで、自主トレ
・昼食
・養成講座のテキスト作り
・おばあちゃんのお世話

これが、
朝ご飯までは、予定通り。
その後は、おばあちゃんのお世話まで、WOWOWで、映画を見ながら、自家製トマトソースのパスタを食べ、時々居眠り、またまた、映画鑑賞、またまた、居眠り、を繰り返した。

だぁーーーぁ。こんなだらけた一日で、今日の4時間ぶっ通しレッスン大丈夫か?なのである。ちょっぴり、反省。久しぶりに、してはならない自己嫌悪。

まあね、年中無休なのだから、たまにはいいじゃん、と、自分に言い聞かせ、それに、今日一日何事もなく、ご飯を食べ、健康のまま終わったのだ、これでいいのだ、と、更に言い聞かせ、おばあちゃんのところに向かおうと、家を出たら、西の空にきれいなうすーい、うすーい三日月が。それに、宵の明星も並んでた。

宝石のようで、キラキラしている。

やっぱり、今日一日の過ごし方は間違っていなかったのだ。

じゃなきゃ、こんなにきれいなお月様は見せてもらえなかったはず。

と、思いつつ、これからも、どんどんと、自分を甘やかしていくのだ。(はは、でも、自分を大事にしているとも言う。ふふ。)

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ベビーマッサージ・デビュー

昨日初めて、ベビーマッサージを教えた。

ご近所の方で、おばあちゃんが、赤ちゃんを散歩(もちろん乳母車でですが)させている時に、家の前で、出会って、そういう話になったのだ。

そして、今日は、お母さんに教えに行くのだ。(昨日は、おばあちゃんに、教えたからね。)偶然にも、姉と同じマンションなので、お家に伺うことになっている。

ベビーマッサージと言うと、みんなが集まって、教室を開く、という感じだけれど(違ったらごめんなさい。)こういう風に個人的に、教えるのも悪くないなぁ、と思った。

お家に出向いて、教える、というのも、いい感じ?と、思うのだが。

赤ちゃんが、眠ってしまったら、そのままにしておいてあげられるしね。自分のお家だと、赤ちゃんにもストレスがないだろうしね。

まぁ、我が家は(トリートメントルームもあるけれど)玄関が2階で、その階段を赤ちゃんを抱いて昇ってきてもらうのが、怖い、というのもあるけれど。

最初、自分は、子供がいないので、無理だと思っていた。
子育てのことを相談されても困るしなぁ、っと。
もっとも、女として、子供を生んでいない自分に、引け目があるのかもしれない。
(別に欲しくないわけじゃなくて、ご縁が・・・。)

だけど、赤ちゃんは好きだもん。
見たくて、触れたくて、あの泣き声が聞きたくて、ベビーマッサージの講習を開いたといっても、過言ではないぐらい。(と、いうか、そのとおりです。)

そして、昨日、初めて教えてみて、大丈夫じゃん、と思ったのである。
神様は、よくわかっていて、私とご縁がある方は、私に、子育て相談なんかは望まず、純粋にマッサージというものを習いたいという人だと思うし。
(先生と生徒は出会うべくして、出会うのだ。)

人様の子ではあっても、抱かせてもらったりして、至福の時を頂いた。

「ママのところに(私のことではないよ~、そこまで錯乱してません。笑。)生まれてきてくれたのね。」

なんて言いながら、自分に言っているんだな、と、感じた。最初は、親が望んでいなかった子だから。(きっと、自分のインナーチャイルドに、向かって言っているんだろうね。)

人に対して、してあげたり、言ってあげたりするのは、自分の為だって言うのは、聞いたことも読んだこともあるけれど、ほんとだな、っと、実感したのである。

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トウモロコシ

きゅうりの時のように、グルメでもなく、クッキングでないが。

畑(庭といったほうがいいかもしれないけれど)のトウコロコシが、いい感じになってきた。

朝、ひげが茶色くなった子達からもぎって、その場で、皮をむいて、食べる。

茹でて食べるのが、もったいないほどの甘さと、瑞々しさ。朝の身体に染み渡るような甘さ。トウモロコシ・ジュースを作りたいぐらいである。

「うまーーーーーーい!」と、世界の果てまで、叫びたいほどである。

トウモロコシは、どうやって吸収するのか知らないけれど、雨が降っていなくても、朝、水滴をつけている。だから、朝取りが一番瑞々しい。

朝しか味わえない味。もいでから2時間もすると、酵素かなにかの働きで、味が落ちるそうだ。

トウモロコシに限らず、グリーンピースも、朝の採れたては、生で食べても、甘くおいしい。
でも、2時間もすると、えぐみがでて、ゆでなくては食べられない。

今朝も、おばあちゃんと二人で、食べたのだが、うまかった。

口にするものは、身体を作るけど、心までも作ると思う。

ハーブぐらいなら、簡単だから、自分で育てて(これからも元気もらえるしね。)お料理に使うといいんじゃないかな。

エネルギーが、全然違うのである。(もちろん、味も香りも)

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看板

今、看板を作っている。

今までも、自作である。

先日、家の前で、ベビーマッサージのお客様をゲットしたのだが、そのお客様曰く

「いつも、お花や植物がすごく元気なのはどうしてだろう?」

と、思って、前を通っていたそうな。

なのに!家の前のトレリスに、掲げてある看板は目にしたことはないそうだ。

「これはいかん!」

と、歩いている人から、自然に見えるような看板製作を思い立ったのだ。

前に、自分で看板を作ったと言ったら、笑われたことがあるが、これが楽しいのだ。

確かに。プロが作ったものに比べると、見劣りするかもしれない。

でも、この楽しさは、人には譲れない。

それに、一回プロに頼んだら、すごく雑なのに、すごい値段を取られた・・・。
(人に、高かったけれど、いくらしたと思う?と、聞いても、半額以下の値段しか誰も答えなかった。のだ。)

看板(何でもいいけど)を作ること。

自分の人生を創ること。

同じかもしれない。

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変化

自分の意識というか、考え方というか、その変化が最近早い。

人からどう見られるかは、わからないけれど、変化しているので、元には戻れない。

自分の中では、この考えや、このやり方では、うまく行かない、と、感じたから変わるのだ。

この歳になっても(世間的にね。)まだまだ、わからぬことや、初めての発見、というものがあるのだ。

今まで知らなかった考えや、やり方、意識、可能性。

毎日が、それこそ、意識から、考えから、感情から、全てが変化していく。

そのまま、人に伝えると、ころころ変わるやつだと思われるかもしれない。

でも、自分の中では、もう、こうなのだ。

根っこは変わらないけれど、咲かす花が変わったりね。

最近好きなのは、「諸行無常の響きあり」

中学の時、国語の先生に覚えさせられた。

立花先生お元気かしら?

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もし、・・・・なら。

最近ちょっと、いろいろなことが停滞気味のせいで、心の中、いらいらしていることが多いような。

人に対して、怒れてきたり。

でも、たいていは、自分の中の満たされないという思いが、怒りを生んでいるんだよね。

人に対して怒りを感じる時って、「もし、今、お金がいっぱいあったら・・・」「もし、今、時間がいっぱいあったら・・・」と、考えると、怒らないことの方が多いと思う。(私の場合ね、単純だから)

(そういえば、うちの死んじゃったお父さんは、おなかが空いている時とおなかがいっぱいの時では、人格が違ったなぁ。)

「神との対話」にも書いてあったように、満たされていないと感じる時ほど、今、なんでもいっぱいあったら、どう感じるだろうと想像して、そう振舞うと、結果として、怒りの本質が見えてきたりするから、不思議だね。

怒っている自分は消耗するので、なるだけ早くそこから脱出したいのだ。

自分が満たされていれば、人も満たせるし、人が満たされていれば、私のことも満たしてくれる。

だから、心の銀行には、いつも「2億!」と、思っているわたしなのである。

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今週から

下手をすると、4時間ぶっ通し、休憩なしで、バレエのレッスンをすることになりました。

お陰で、こんなにわたしには、体力と元気があると実感しました。

それとほんとうに思うこと。

本格的なバレエはとても大変だけれど、大人の方が楽しくバレエをレッスンするのは、いいことだなぁっと。

ストレッチも筋肉をつけるのも、そこには「バレエ」が、ある。

楽しいのである。

きれいになること。

筋肉も一番衰えるところを鍛えるから、老後も安心だ。(笑)

リフレクソロジーもバレエも、もっと、身近に楽しんでやっていけるようにしたいのだ。

どちらも、特別なことではない。

毎日の生活の中にね。

(今日は、死ぬかと思った。立ちくらみもしたしね。はぁー、来週頑張るぞ!おお!)

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