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2005年7月

期待と落胆

自分の思いは将来を創ると言うけれど、今日感じたこと。

誰でも、素敵な未来を想像するはず、だけど、もし、その通りにならなかったら?その時の落胆が怖いんじゃないかと、私の場合。

期待して、落胆する位なら、最初から期待などしない方がいいと。

そういう自分の心に気が付いた。

だから、これからは、自分の思い通りになる!と、期待する。それを、信じる。

もし違う結果が出たら、それには、深い神の意思が働いていると思うことにした。

結果を悩んだり、疑うより、信じて、それを待つほうが心にも健全だしね。

お客様から聞いた話

カナダでは、人を信じることを前提に、入場件売り場があるらしい。(詳しいことは、また今度)

わたしもそれを見習おう。

全てのことに。

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懐かしい曲

最近、ただ思い出だけに執着しているような過去のものを捨てるようにしている。

若い頃に着ていた思い出いっぱいの洋服も捨てた。(ずぼらなせいで、虫食いができたというのも本音だけど・・・)

ブルーの人は、捨てるのも苦手なのだ。(もう、執着がいっぱい!)

名古屋は、ゴミの分別がうるさいので(慣れたけど)捨てたい時に捨てられないので、気合がいる。

今週の不燃ごみには、過去のもうすでに聞かなくなって久しいテープを処分することにした。

ちょうど、好きな映画「ジャッキー・ブラウン」を見た後だったのだが、若い頃に聞いていた曲も多数挿入されていて、懐かしいなぁ、と思いながら、テープを捨てていると、
「おお!このテープ。」
同じ曲が入っているテープが思いがけず出てきた。

「捨てていなかったのね・・・。」

「でもこれは、20年も前のテープ・・・、果たして聞けるのか・・・。」

ラジカセを引っ張り出して、セットすると、聞けた。

曲を聴いていると、20年前に逆戻り。
自分には自信がないといいながら、何もうたがわなかった、若い頃。
自分の世界が、いつまでも揺らぎなく、果てしなく続くと思っていた頃。
口では、自分の可能性を否定しながら、心の中では、無限の可能性を感じていたあの頃。

辛い失恋も、楽しかった恋愛も、いっぱいしたように思う。(今では遠い思い出・・・はぁーー。)

あの頃はよかったなぁ、と思うのではなくて、だって、今のわたしも素敵な40歳だもん。
あの頃は、いやなことも、楽しいことも、何かあれば、車に、好きなテープをのっけて、大声で歌いながら、ドライブしたなぁと。

今と比べるのではなくてね。あの頃はあの頃のよさ。
今は、今のよさ。
ただ、あの頃の感覚は、今の私には、必要かも。

年齢に縛られずに、自分の道を行く、自分のペースで。
40だからこうでしょ、というのではなくてね。(40歳だって、悪戦苦闘しているのだ。20代の頃のように)

あの頃のエネルギーは、時々思い出して、今の自分に注いでやりたいなっと、思う。

だから、今も、テープを聞きながら、歌いながら、書いているのだ。

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身体と心

バレエを始める前は、すごい猫背で、「猫背の女」と、呼ばれていた。
「ああ、あの猫背の人ね。」とか。

猫背になっているということは、ハートチャクラが、閉じているということでもある。

愛が足らない、愛を与えることが苦手、受け取ることも苦手、自分が嫌い、などなど。

バレエを始める時も、本当は、ヨガをやろうと思っていたのだけれど、友達に誘われて、バレエに決めた。

その時オーラ・ソーマのティーチャーから反対されたけれどね、「バレエは、人にとって、不自然な動きだから」と。

バレエを始めた最初の頃は、「今、私はハートチャクラを開く時なのね。」と、思ってやっていた。肩も先生によく注意された。肩が前に閉じてしまうから。(肩もハートチャクラだしね。)

どちらかと言うと、私の場合自分に自信がないタイプ(反対の声も聞こえてきそうだけれど、本人は固くそう思っていたのだ。)
だけど、バレエが上達するにしたがって、自信も無意識のうちについてきたようだ。
バレエは、結果が出る、それもごまかしなし。
何かをやり遂げていると言う実感は、バレエが教えてくれた。(やり遂げているというのは、ちょっと大げさです、はい。)

自分の可能性を信じると言うこと。可能性を実感するということ。

子供バレエ、甥を教えている、大人のバレエストレッチといえども、35で始めたバレエを人に教えるなんて(それもお金を頂いて)誰が想像したことか。

姿勢は、その人の内面を表すと言うけれど、本当だと思う。元気のない人は、うずくまるしね。

今は、「姿勢がいいですね。」と、言われる。

そして、私も「どうせ、私なんか。」って、言わなくなったのである。

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こんなことを書いたからと言って

も、

お客様の時間は、たっぷりあります。

私が路頭に迷わないように、これからもご予約お待ちしております。

どうぞ、よろしくお願いします。

私の幸せは、おばあちゃんの幸せ。

おばあちゃんの幸せは、私の幸せ。

お客様の幸せは、私の幸せ。

みんな繋がっている。

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誕生日

昨日は、おばあちゃんをお風呂に入れて、ご飯を食べ、家に帰っていたのが、9時ごろ。
最近は、神様が、おばあちゃんの世話をしろといっているのか、仕事の方は、ちょっと、暇でごじゃります。(それもありがたいことなんだけれどね。)

今までは、おばあちゃんも若かったことをいいことに、普段は、特に何もしてあげずに、してもらうことのほうが多かった。時に旅行に連れて行ったり、物を買ってあげたりで、お茶を濁していた、感じ。

最近はお陰さまで、お金にそんなに余裕もないので、物を買ってあげることも、旅行に連れて行ってあげることもできないのだが。

このところは、ほとんど毎日朝家に行くか、夜お風呂に入れがてら、ご飯を一緒に食べる。
おばあちゃんも「今度は何を買ってこようか」とか、めんどくさがっていたお風呂も自分のところで入るようになると、ご飯前にささっと、腰が上がるのである。

贅沢をして、豪華な旅行をさせてあげる、ということではなくて、毎日の生活の質。
日々、どうしてあげられるか?
今までは、「旅行に連れて行ってあげられてよかった」、だったのが、「今日もお風呂に入れて上げられて、ご飯を一緒に食べられて、よかった。」なのだ。

独身、子なしの私だから、無理なくして上げられる。全ては、必然ね。(と、自分の独身を正当化する・・・。)

そういうことを、思いながら、おばあちゃんのところから帰ってきた。
10時近くになって、はっと、思った。
「今日は26日じゃん。」
電話をした、起きててね、と思いながら、

「おばあちゃん、起きてた?(寝てたら、電話に出るかい!だけど。)」

「起きてたよ。」

「今日おばあちゃんの誕生日だったよね?」

「そうだよ。」

「おめでとう。」

「ありがとう。」

おばあちゃんが生まれて、88年も経っているのに、初めて、おめでとうを言った。
神様、思い出させてくれて、ありがとう。
あなたの配慮には、いつも感謝します。

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間違えても、結果は○

昨日のベーシックコースで、面白いなっと、思ったこと。

私の間違いで、HPに、コースの曜日を間違えてUPしていた。
(日にちは、土曜なのに、曜日を日曜と書いていた。)

受講生の方に言われるまで、その間違いにすら気がつかなかったのだが、結果としては、その方は、日曜なら、ということで参加されたのだった。
(でも、本当は、土曜日)
そしてその方も、申し込みの時は、確認されなかったのだ。
もし、その時確認をされていたら、仕事の関係で、参加はされなかったと思う。
何かご縁があるのでしょうね。

もう一人の方の了解を得て、3回目の講義は、日曜に変更。
(これもすんなり。)

間違いや失敗があっても、それこそが、私たちを何かに導いてくれるんだなっと、勝手に納得。

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なんだか、とっても嬉しくて

自分の好きな仕事をしている。

そして、それで、とりあえず食べている。

なんだかとっても嬉しくて、心から神様に感謝する。

神様ありがとう、今日も一日幸せでした。

心から笑えること、それだけでも、幸せです。

これと言ったことではないけれど、本当に、幸せなんです。

それに気付くことができる私が、幸せです。

神様、ありがとう。

(と、言いつつ、明日には、愚痴っているかもね。笑。)

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三本の指

最近(というか、ずっと)ピルエットの調子が悪くて、思うように回れなかったのだが、先週気が付いた、自分の悪いことろに。

いつも甥に言っていること「手と、肩が、悪い。」

私もだった・・・。

人は自分を写す鏡と言うけれど、実感。

バレエをやっている人が見たら、すぐわかることなんだけれど、自分ではなかなかわからない。

シャーリー・マクレーンの「カミーノ」と言う本の中に、シャーリーが人に言われる言葉がある。

「いい?シャーリー、人を指差す時、他の3本の指は、自分を指していることを忘れないで。」

バレエのみならず、他の事に対しても、これを納得する日々なのだ。

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天国の余り風

昨日は、暑かったが、風があったので、助かった。

夕方畑から戻って、2階から外を覗いていると、天国の余り風が心地よい。

小さい頃母親が、よく言っていた。

「極楽の余り風」

熱帯夜の夜に、時々吹いてくる風のこと。

それをちょっと頂いて、

「天国の余り風」

でも、ほんとにそんな感じだ。

天国からの(極楽)おすそ分け。

神様からの贈り物。

そんなことを思いながら、2階の窓から、お気に入りのウィンドウ・チャイムの涼しげな音を聞き、「幸せ気分~♪」なぁんて、言っている、変なおばはんなのである。

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腰痛

朝から、イライラしていたせいか、携帯電話の様子がやっぱりおかしいので、ショップに行ったのだが、上り坂が、辛い。自転車で、普段はスイスイなのに・・・。

こ、腰が、痛い・・・人生の中でも、経験があまりない腰痛。

イライラのせいか?昨日のバレエのせいか?(でも、普段からやってることだしね。)

ついでに、ショップは、定休日で、お休み・・・。

「だーーーー!」と、思いながら、痛い腰で、セミナールームに寄って。FAXの確認。
帰りに母の店により、しばしの休息。

でも、腰は痛い。筋肉が痛くて、気になってしょうがない。

怒りは腰にくると言うけれど・・・思い当たる節は・・・あった、ひとつ。

昨日少しお怒りモードに入っていたのだ。
たいしたことはないのだけれど、ちょっと、「おりゃー、何考えとんじゃー。」だったのである。

姉を相手に、その話をしながら、ぐちり。

お店で、ご飯を食べて、帰ろうとすると、

「あら?痛くない。」

愚痴の功名?

自分で感じていたより、怒っていたのね。

口に出すことは、手放すことでもあると言うから、お怒りは、どこかに行ったのでしょう。

心と身体、つながっているんだね。やっぱり。

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あまりの暑さに

いらいらするぅ。

朝からぎらぎらの太陽は、いくら太陽好きの私でも、「時に、お休みしませんか?」と言いたくなる。(人は勝手じゃな。)

畑のとうもろこしのひげが出てきたし、花粉も開いてきたので、受粉させ、最近よくなるようになった、きゅうりを収穫し、蚊の襲撃に合い、ゴミを出し、部屋をバババーーーーっと片付けて、お洗濯。
暑さの元とも言うべき、PCの前で、メールを送る。
10時に送らなければいけないFAXがあるので、おばあちゃんのところにいけないので、その旨電話すると、「郵便局に、送られてきた桃が、あるって。でも、わけがわかんないから来て。」と言う。
急いでおばあちゃんのところに行くと、「今、郵便局から電話があったから、もういいよ。」だって。

「だぁーーーーーっ!」

暑さのせいか、おばあちゃんのせいか、イライラするぅ。

やっと治った汗疹は復活するし、昨日のレッスンで、おなかも汗疹になっている様子。(今までは、谷間はないが、いわゆる胸の谷間だけだったのに。)

おなかは空いてくる。

「まずは、エネルギー補給よ、水穂!」

と、ご飯を食べ、少し落ち着いた。

それでも、暑い。なおさら、暑い。

「あっ!」

と、思い出したのが、先日お客様でもあるrioさんから頂いたオリーブ石鹸。
スペインのお土産だにょ。(と、ここで、rioさんが、乗り移り。)

「顔を洗いましょう!」と、石鹸のフィルムをはがすと、

「いい香り~。」

それに、凝固剤を使ってないらしくて、透明で、その緑は、まるで、スペインの海の色のよう。

泡立ち滑らか、しっとり、クリーミー。

洗いあがる頃には、イライラはどこかに行っちゃった。

私って、単純?

よい香りの石鹸の泡と共に、イライラを洗い流す。

幸せです。

rioさん、幸せをありがとう。

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猪木の耳たぶ

足の形は、その人の体つきを表している。

例えば、親指の付け根のところは、首の反射区なので、細く長い人は、首も細く長い。(ちなみに私は、短く、太い。その昔、みんなで撮った写真を見ながら、「首短いね。」と、のたまった男の人がいたが、私も若かったので、悲しかった。今なら、パンチ!)

その親指のところから、踵に向かってのラインは、背骨の反射区なので、偏平足の人は、背骨がまっすぐになりすぎている傾向がある。

着やせしている人でも、足を見ると「むむ、きっと、脱いだら・・・」という人もいる。(ちなみに私はそのタイプ。幅広甲高、だから、胸板も厚く、横に広くて、お陰で、ウエストが細く見えると言う効果がある。あんまり嬉しくないけどね。)

先日のベビーマッサージ講習の時、先生から、耳の反射区についての話を聞いた。

大まかに言うと、耳たぶが頭で、耳の輪郭が、背骨の反射区なのだそうだ。
ちょうど、赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる時の格好。(足の反射区も、赤ちゃんが、寝ている時の格好に似ているんだけれど)面白いね。

私の耳たぶはよく、でかいと言われる。ということは、私の頭は、でかい?耳自体もでかいけどね。

そういうことを思いながらテレビを見ていたら、アントニオ猪木が出ていた。
猪木の耳たぶは、縦にとてもでかかった。

反射区、恐るべし。

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久しぶりにお料理

昨日は、ハーブの先生と秋からの講習のことで打ち合わせ。
どこかで、食べてもよかったんだけれど、たまには家で、ということになり、私がお料理♪

夕方まで仕事があったので、すぐに食べられるように、料理は全て作っておいた。
(夏だから、冷たいものばかりでも大丈夫さ。)

ラタトゥユ(自家製きゅうり、自家製ナス入り、自家製バジル添え)
レンズ豆と生ハムのサラダ(姉が、生ハムくれたから。ありがとう~)
じゃがいもと豚肉の特製マヨネーズ和え(自家製ルッコラ入り)
ハーブチキン、いろいろの葉っぱ&オレンジサラダのミント(自家製)&オレンジドレッシング
フォションのバケット。

オレンジとミントのドレッシングは、よい香りで、夏向き。(ミントは、かなり、バッタにやられて、レース状)

「今日は暑かったから、ちょうどよいわ~。」

という、先生の言葉で一安心。それにお野菜好きなのです、この方。(さすが、ハーブの先生。でも、料理は、ペケなのよ。)

人生、時には、落ち込んだり、穴にはまって這い上がれない時もある。

時には、暗いことろで、じっと、しているのも必要かもしれない。(だってね、いつもいつも、前向き!前向き!じゃ、疲れる時もあるし、前向きが、義務のようになったり、逆にそれが自己嫌悪に、つながる時もあるし。)
ほっといても、そのうち、光が恋しくなるからね。

そういう時は、愛とエネルギーがいっぱいの(カロリーじゃないよ。)ご飯をつくり、それを食べ、穴から這い上がる元気の元を充電するのだ。

お野菜やハーブに元気をわけてもらってね。

お庭の収穫物に感謝です~。

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おばあちゃん

最近は、時間があると、おばあちゃんと過ごすのが多いのだが、最近またその時間が増えたのだ。

おばあちゃんのお部屋は、古いので(我が家よりは、新しいけど)お風呂が昔の風呂釜、シャワーなし。
ということで、危険なので、お風呂は、姉のところ(徒歩3分ほど、おばあちゃんだと、徒歩10分)に、入りに行くか、時々、近くの天然温泉に行く。(徒歩5分、おばあちゃんだと徒歩15分)我が家は、徒歩1分だけれど、玄関が2階で、階段が怖いと、上がってこない。

最近は、めんどくさがって、お風呂の回数が減っている。
今は夏。88でも、汗はかく。
思い切って、私が、お風呂に入れに行くことにした。
浴槽がまた高くて入ることができないので、私がシャワー代わりに、お湯をジャブジャブかける。背中から、手、足、頭、全部洗う。

とても気持ちよさそう。
それに、久しぶりに、裸んぼうのまま、タオル1枚で、のんびりしているのが、嬉しいらしい。
そして、私も嬉しい。
その後、二人でご飯を食べながら、テレビを見て、過ごす。
特別なことは何もない、平和な時間。

おばあちゃんは、1人暮らしもしているし、まだ、仕事もしている。自分の身の回りのことは何でもできるが、やっぱり88なのだ。私が育ててもらったお返しをして上げられるのは、もうわずかな時間。おばあちゃんとの時間は、一時一時が、貴重なのだ。

何かをしてあげたいな、と思って、してあげられる自分がいて、そして、喜んでもらえる。そして、一番自分が嬉しい。
してやった、というのではなくて、気負いのない気持ち。
相手の喜びは、自分の喜び。
自分の喜びは、相手の喜び。

自分を犠牲にして、相手を喜ばすのではなくてね。
そういう気持ちを今、おばあちゃんのお陰で、感じることができる。

誰に対しても、そういう気持ちで接することができたら最高だろう。

そして、誰との時間も一時一時が、貴重なのだろう。

でも、うちのおばあちゃんは、とうぶん大丈夫だと思う。
勝手に芽を出した庭のアボガドが、実をつけるまで、待っているらしいから。(おばあちゃんは、アボガドが大好き)

ちなみに、アボガドは、芽が出てから、実をつけるまでに、7年かかるらしい。

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今朝の夢

昨夜から、今朝にかけて見た夢は、幸せな夢。

去年の5月に亡くなった知り合いの人が出てきたのだが、夢の中でも、もう死んでしまっているということはわかっていて、あの世から、もう一度お別れに来た夢だった。

亡くなる1年ほど前に電話で話をしただけで、会うことなく、お別れをしたからかしら?

みんなで、その人が主催のパーティーを開いて、どういうわけだか、お開きの時に、
「水穂、ありがとう。」と言ってくれて、ハグをした。
そして二人で、(死んでいるのがわかっているのに)
「痩せてスッキリした顔になったね。」とか、
「生きている時は、1度もしたことがなかったね。」なんて、言いあった。

そして、もう帰るから、と、いって、どういうわけだか、コンバーチブルの古いアメ車に乗って、帰っていった。(生きていた時のその人には、似合わない車)

とても、素敵な人で、大好きな人だったので、私の思いがそういう夢を見させてくれたのかもしれないけれど、ありがとうと言われて、ハグした感触は、とても、いい気分だったのである。

健ちゃん、ありがとう。
今から、頂いた直筆の短冊が入っている額の埃を拭きます。
(ひゃー、埃まみれ、これじゃ、出てくるわ。)

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自家製味噌と自家製きゅうりで

カテゴリーのようにグルメって感じじゃないけれど、カテゴリーのように、クッキングてな感じじゃないけれど。

修了生の方から、頂いた自家製のお味噌を、我が畑でできたきゅうりに付けて食べた。

そのおいしさと言ったら!食べに来る?だ。言葉では、伝わらない。

贅沢な生活とはこういうことなのね。エネルギーが違うのね。

きゅうり1本で、月まで、飛べそう。(身体も心もそういう感じ。)

きゅうりは、少し若い小ぶりの子がサイコーだ。

おばあちゃんと、二人でおいしく頂きました。

たにかわさん、ご馳走様でした。

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ベビーマッサージ講習の受講生にこさんのブログ

リンク: セラピストの卵.

先日のベビーマッサージのことを書いてくれています。

覗いてみて下さいね。

にこさん、リンクもう少々お待ちくださいね。

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何故か・・

携帯が、復活した。

一晩たったら、充電できていた。

昨日の出来事は?何だったのだろうか?

どのようなことが起きても、そのままの状況をありのままに受け入れ、笑顔でいられる、(携帯の充電ができなかったことだけで、おおげさ?)という、修行だったのかも。

些細な出来事でも、何かを教えてくれるのだ。

毎日を意識的に生きよう。

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携帯電話が

ぶっ壊れて、充電できなくなった。

入っている情報は、どうなるのか?

人生のリセット?

お陰さまで、ほとんどが、自宅の電話の転送になっているので、お客様からの電話は、自宅にかかるようになっているのだが。

自分の思うことが現実になるというけれど、何なのだろう?

まぁ、あまり、その理由にとらわれるとろくなことがないので、そのうちわかるでしょう。

わけのわからぬことが起こったら、それも、今の状態では、完璧なのだと思って、乗り越えていく。

それしかないのだ。

そういうときこそ、笑顔で、楽しい時間を。

暗闇(携帯ごときで、大げさか?)の中でも、笑っていられる。

そういう人になるのだ。(なった!なりつつある・・・。なっている・・・。)

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ベビーマッサージ用赤ちゃん人形

リンク: 人体百科 - 手技模型 男性赤ちゃん.

ここに、値段が手ごろな赤ちゃん人形を見つけました。

今回の講習は、受講費を安くするために、あのような人形でしたが、もし、もう少し本格的な人形が欲しい方は、覗いてみてください。
ただ、足をもって、お尻を、グルグルすることは、できそうにないので、この間のように、そのときだけ、ぬいぐるみを使うといいかもしれません。

テキストに、載っていた赤ちゃんモデルは、身体も、柔らかく言うことなしですが、値段が、88、000円(税別)も、するので、いかがかなと。

今度の10月の講習には、これを使おうかとも思っています。

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ベビーマッサージ無事終了

お陰さまで、ベビーマッサージ講習、親子教室とも、とりあえず、無事終了。

神様の深遠なるご配慮で、お母様たちが、お帰りになられる頃に、雨が少し降りだしたけれど、ピーカン晴れのお天気より、赤ちゃん達には、よかったはず。
ありがたいね。

私の不手際で、セミナールームの温度が上がってしまったけれど、寒すぎて、赤ちゃんに風邪をひかせるよりは、よかった、よね。ね。ね。ね。

キャンセルを見込んで、多めに募集した赤ちゃん達は、全員参加。
少し窮屈だったと思うけど、受講生の方たちが、育児のエキスパートさんばかりで助かりました。

でも、どうして赤ちゃんは、あんなにかわいく、そして、笑顔をくれるのだろう。
赤ちゃんを見ていると、存在だけで、充分ということが実感できる。
幸せをくれる赤ちゃん達(もちろん、お母様たちにとっては、大変なこともたくさんあるのだろうけれど)

赤ちゃんには、色々と学ばせてもらった。

どんな人でも、存在だけで充分。
どんな人でも、赤ちゃんだったのだ。

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見たことのない芽

少し前から、トマトの下に、見かけない芽が出ていることに気が付いた。

木のようである。3本。

引っこ抜いて、その正体を知ろうとしても、抜けない。びくともしない。なんとなく、感じるのだが、そいつの正体を。

今日は思い切って、掘ってみた。(周りをね)

やっぱり、アボガド。

食べた野菜のくずは庭に埋めているから、色々な芽が出るのだが、アボガドとは。

楽しいね。

落ち葉や花の落ちたのを掃除している思うのだが、都会では、ゴミ、山では、次の世代の糧。できるだけ、我が家の前の落ち葉は、庭に持っていくのだが、人様のタバコの吸殻や(ひどい時は、オムツの捨てたもの)なんかが、一緒になっているので、毎回は私でもキツイ時もある。(ティッシュとか、わけのわからない手で持ちたくないものとか)

わーーーーい、アボガド。
大好き。(芽も、きれいで、素敵な緑、すくっとしていて)
でも、実がなるには、7年かかるらしい。

でも、何かの縁があって、出た芽。大事にして、7年後、皆様にお分け出来たら・・・。

最高の幸せです。

と、言いながら、もう少しで、お気に入りのレモンタイムを枯らすところだった。

ごめんよ、タイム。

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心が楽になること

この仕事と出会う前に、人生の暗黒時代があったことは、書いたことがあるけど、そのとき出合った言葉も書いたはず。

自己否定と自己嫌悪は、一番悪い感情です。嫌なあなたの方が(いじわるだったかな?)他の人にとって必要な場合が多いのです。

最初は何じゃコリャ?だったのだが、自己嫌悪に陥ると(大抵は、私って嫌なやつ、とか、何で人にあんなことをしてしまったのか?だったが)それからは、それが必要だったのよ、その人にとって、とか、私にとって、とか、思うようにして、乗り切るようにした。すると不思議なことに、人に対しても前よりも寛容になれるのだ。

そのちょっと前には、「人生は、自分で選んできたんだよ。」
と、人に言われて、ミョーに、納得し、楽チンになった。(全ては自分の責任)

オーラ・ソーマでは、全ては必然、否定はない。ということを知り、困難は、チャレンジで、それが、ギフトとなっていく、と学んだ。

色々な本からは、全ての感情を否定しない、その感情こそが、自分に気付きをもたらしてくれると教えられ、感情を押し殺すこと、認めないこと、が、その感情を(特に否定的な感情ね)悪いものにしてしまうということを知った。(自分の心と身体を蝕む)

怒りも、妬みも、嫉妬も、悲しみも、否定すればするほど、自分を辛くする。
「人として当たり前の感情なんだよ」、といわれれば、「なんだぁ、そうなんだ!」と、心が楽チンになる。

私の場合、前世や魂のこと、全ては必然、今は完璧、誰もが完璧、感情が導いてくれるはず、ということを、信じているわけだが、そのほうが、自分の心が楽になって、楽しく、幸せな時間が、増えるからである。

もしかしたら、前世もなく、来世もなく、魂もなく、感情は間違った方向に連れて行くのかもしれない。だけれど、今のところ、幸せに、健やかに、病気もすることがなく、好きな仕事で、ご飯を食べ、今という時を生きているので、大丈夫だと思っているのである。

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瞑想

最近、仕事も忙しくないので、バレエのレッスンをし、久しぶりに瞑想をしている。

瞑想は毎日、仕事をしながら、ご飯を食べながら、歩きながら、畑仕事をしながら、しているのだが、いわゆる、瞑想は、久しぶり。

たまたま、お昼寝でもしようかという時に、友達からもらったOSHOのCDがあったのを、思い出したのである。
解説を読むと、20分で終了だし、横になって行うこと、と書いてある。
朝、起きる時か、眠る前にするといいとも、書いてある。
昼寝ではあるが、うってつけ。
全ては完璧である。

5,6分の瞑想は、仕事の前にするのだが、CDを使うのは、本当に久しぶり。(何年ぶり?)

部屋を暗くして、横になる。
解説どおりに、呼吸しながら、イメージする。
頭から、金色の光が入り、足の裏から、出て行く様子。
足の裏から、闇が入り、頭の上から、出て行く様子。
女性性と男性性のバランスを取る瞑想らしい。

横になって行うので、呼吸もとても深くなる。
呼吸が合わせられるような音を聞きながら、息を吐き、息を吸う。
息を吐き、息を吸う・・・・・・・・・Zzzzzzzzzz。

起きた時、CDは、終わっていたけれど、30分位である。
眠る前は、色々なビジョンが、浮かんでは消えていったが、その後は、深いところに。

違和感のあった左の肩は、楽になり、そのかわり、少ししびれを感じた。
流れがよくなるとき、感じるしびれ。

瞑想をした後は、気分がいい。
調子に乗って、続けているのだが、いい気分。

呼吸は、身体を健やかにし、心も健やかにする。
呼吸は、大事なのだ。

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・・・・樋口一葉

「頭痛、肩こり、樋口一葉」という、蜷川さんの(確か)芝居があった。
かなり前だけど、友達が、そのお芝居のビデオを貸してくれたのだ。

この間、わらしべ長者のこととかを書いたので、思い出したのだが、そのお芝居は、樋口一葉の小説とは何も関係なくて、そのときの一葉の暮らしのこととかが、もとになっている。

貧しい家で、父親が早くに亡くなって、家長として暮らしている貧しい一葉の話。
内職で、仕立ての仕事をしているから、いつも、肩こりと、頭痛に悩まされていると言う話。

あるとき、一葉の前に、「うらめしや~」と、幽霊が現れるのだが、お友達になってしまうのである。
そのとき、その幽霊に(細かいところは、記憶が怪しいので、もし、ご存知の方がいて、違う!と思っても、大きな気持ちで受け止めてください。)恨めしい人に、ちゃんと気持ちを伝えたら?というようなアドバイスをするのだ。そして、成仏するようにと。

そしてそれから、何日かたって、やっぱり、一葉のところに「うらめしや~」と、化けて出るのだ。
「どうして?」と聞くと、
いろいろな人のところ化けて出たら、「そのときは、これこれの人が、これこれをしたから」と、言うそうなのだ。
それをたどっていったら、その人が(化けて出ている人ね)死んだ理由の原因になったのが、一葉の言った言葉が回りまわって、原因になっていたらしいのだ。
お芝居自体は、コメディ仕立てになっていて、面白いのだが、このことが一番面白かった。
この仕事に出会う前の話の話なのだが、最近思い出し、違う意味で、面白いなっと。

原因になった人たちの言葉も、出来事も、全て些細なこと。
それがめぐりめぐって、くるのだ。

いいことも、悪いことも、めぐるのね。つながっているということ。
すべては、ひとつ。

もし、機会があったら、見てみてね。

十年位前かな。

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朝起きて

ううう、昨日の私のプリプリも、必然だし、完璧なのね。

朝起きて、そう思った。

今朝は、すごーーーく久しぶりのお友達から、メールも来たし、天気もいいし、プリプリから、脱出だーーー!

全ては、つながっているから、私がプリプリしていると、世界中の人に、影響を与えるのだ。

朗らかに、愛を持って、元気に、健やかに、今日一日を。(でも、無理をせずに)

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なんだか、プリプリ

本題に入る前に、修了生の皆さん、23日(土)アシスタントできる方、お願いします。

今日は、なんだか、プリプリした。

2日に届くはずだった、荷物が、昨日届いたらしく、不在通知が入っていた。(2日には、そのために、一日待っていたのに。)

雨が降っていて、大変なのに、子供バレエのお母さんから、何かわからないものもの、(本人曰く)を、頂いたので、帰りが、しんどかった。(お陰で、自転車のギアが、入って欲しくないところに入って、困った。だって、レッスンバックに、傘、その荷物。晴れの日に、頂けたら・・・)

コンビニに、新しい人が入ったらしく、その人のために、行列ができていても、店の人は、そのまま、その新人に、続けさせた。

今日バレエを休んだ人のことで、体のことを大事にするために、何かしているのかと、聞いて、「時間がないから」と言う事を聞いて、また、プリプリ。(身体を大事にする時間がないなんて!)

いつもなら、気にならないことなのに、(全ては必然だし、全ては、完璧だ。)今日は何故か、プリプリした。

プリプリのプリプリ。

きっと自分の心に余裕がないのだろう。

怒りの元は、自分の中にある。

相手の中にあるのではない。

自分の中の怒り。

久しぶりの怒りが、何かを私に教えてくれる。
怒りは、否定せずに。

感情は、大事なのだ。

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バレエが教えてくれること

35歳で始め、実質3年ぐらいしか習わなかったバレエを人に教えているのもなんだが、これは、自分で始めたわけではなく、人に頼まれて、始めたこと。

習っているときも、先生に頼まれて、子供バレエの代教をしていた。

まあ、あの頃は、この歳で、発表会があるわけでもなく、人に見てもらうわけでもなく、なんでもないのに、自分の気持ちひとつで、週に4回のレッスン、自主トレと、バカみたいにやっていた。
子供の時から始めた人と違って、大人になってから(それも、一昔前なら、中年の歳)始めたわけで、少しでも、休むと、もう身体が言うことを聞かない。
5月は何かと忙しかったのと、怠け癖で、週1も、自主トレをしなかった。
お陰で、おなかは、でっぷり、足は弱り、プリエだけで、泣きそうになった。
「これではいかん!」
と、先週から、週に3回の自主トレを欠かさなくなったのだが、やはり、日々これ丹精なのだ。身体に、軸が戻ってきたし、腹筋も復活してきた。

やればやっただけのことはある。
逆に、やらなければ、気が付かないうちに、たるむと言うこと。(心も身体もね)
やれないことにすら、気が付かない場合も多い。

1度、できるようになると、これからいつでもできるような錯覚に陥るが、心も身体も、ほうっておけば、元に戻ってしまう。

この間読み返した「神との対話」も、頭でわかっていただけで、生活の中には取り入れていなかった。取り入れているつもりでいたのにね。

よいことも、良い考えも、身体を動かすことも、普段の生活の中に、取り入れていって、実践してこそ、本当に自分のものになっていくんだと思う。

毎日繰り返し、繰り返し、忘れたらまた、思い出して。

心のたるみには、なかなか気が付かないけれど、身体のたるみには、ありがたいことに、早く気がつく。
私にとっては、バレエがそのひとつの目安になっているのだ。

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