« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

2005年5月

種まき2

おばあちゃんのリクエストで、そら豆のあとに、とうもろこしの種を蒔いた。
とうもろこしは、これで2度目。今度もうまく受粉させないとね。

思い立って、種を買いに行ったのだが、畝を作り、種を蒔き、お水をやった、そうすると、丁度いい具合に、雨が降ってきた。

全ては完璧である。

種を蒔くと、雨は嬉しい。
種に十分な水分を与えてくれる。
お水をもらって、種は、発芽の準備をする。
そして、自分よりずっと大きくて、重い土を押しのけ、双葉を広げる。

時々、その双葉の上に、土のかたまりを乗せたままの子がいるが、えらいもんだ。
さしずめ、重量挙げの選手というところかしらん。

双葉ですでに、虫さんに食われている子も。
それもいいもんだ、誰かのためになっている。

ほんとに種まきは、楽しい。

神様、ありがとうございます。

私は今日も幸せです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の夢

昨日ボーっとしていて、思い出したのだが(私のボーは、瞑想である。笑。)
最近見た夢。

何故だか、大手のサロンで、一日だけ働くことになって、そのための面接を、受けている夢。
そこのサロンは、日本のほとんどがそうであるように、手技はサム・ウォーク。
私は最初、サム・ウォークで、リフレクソロジーを覚えたので、大丈夫と思いながら、面接官と話をしている。

「手技は大丈夫?」

「大丈夫です。最初の先生が、ITECでしたから。」

「個人でサロンをやっているの?」

「はい、だから、お客様には、たっぷりと時間を取って、リフレクソロジーは、どういうものかも説明させて頂いて、納得していただくようにしています。」

と、このへんで、面接官の顔が、意地悪になってきた。

「そんなことまだやっている人がいるの。」

「だって、お客様には、メンタルケアも大事ですよ。それに本来、リフレクソロジーってそういうものだと思います。」

「ふんっ、そういう風なことやっているから、儲かんないのよ!淘汰されるわよ!」(面接官吐き捨てるように言う。)
(私、むっとして、)
「セラピストは、パーソナリティーじゃーーーー!」

と、私が叫んだところで夢は終わっている。
(大手のサロンの面接官の方がこれを読んでいたとしたら、ごめんなさい、夢ですから。)

どういう意味を持つ夢なのか?
そのまんまと言うことなのだろうか?
意識していないストレス?
思い出だしてから、なんだったんだろうと、考え込んでしまった。
神様そのうち教えてね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リフレクソロジー

この仕事を始めた時「こんなにいいものは、みんなに知ってもらわなくっちゃ。」だった。
今もそうである。
でも、よく人から、「これだけで食べている人、いないでしょ。」と、言われた。
確かに私も今まで何足ものわらじを履きつつ、ここまで来たが、それでも、「だったら、私が、これだけで食べている第一号になってやる!」と、いう気持ちは変わらない。
おかげさまで、長く通ってくださるお客様は、5年という方もいる。何年かぶりに来てくださる方もいる。ありがたいことである。

もともとマッサージが嫌いだったせいもあるかもしれないけど、なんでもかんでもに、手を出す気にはなれなかったのである。それに、リフレクソロジーが、いいと思って始めたのだ。セラピストのまえに、リフレクソロジストなのだ、私は。
オーラ・ソーマは、メンタルケアの手助けになっているし、もともとは、自分のためである。(それに好き。)

それに、ここまでやってくると、逆に思うのが、まだまだだな、ということ。
人に教えていても、まだまだ、自分も勉強が足らないなと思うことも、しばしば。
受講生の方に教えられることもいっぱいある。
簡単ではあるけれど、奥が深いのは何事も、である。

これだけ、名前が知られてきたリフレクソロジー。
でも、本当の意味でのリフレクソロジーはまだまだ。
(私もまだまだ)
やっぱり、これからも、本当のリフレクソロジーを知っていただく、が、私のミッションなのである。
そして、私の勉強も続くのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

自分を幸せにする

最近は、自分を幸せにすることにしている。

今、如何にしたら、自分が幸せな状態でいられるか?

時間があるときは、読みたい本を読み、月末の家賃の心配はしない。
夜、予約がないときは、おばあちゃんとご飯を食べる。
バレエの自主トレをして、汗をかく。
畑で、みんなの育ち具合を確認し、そら豆は、おばあちゃんと、おいしく頂いた。
ベビーマッサージの講習に思いを馳せ、ベーシックコースで、リフレクソロジーを教えること。etc.

なんだ、自分のしたいことをしているだけじゃないか、と、思うかもしれないけど、それが、大事なのじゃないかな。

自分の心を満たし、幸せの中にいること。
その心で、何かをする、誰かと関わる。
きっと、もっと、幸せになれると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベビーマッサージ

今度、ベビーマッサージの講習を開くのだが、赤ちゃん、大好き!

赤ちゃん、子供、大好き。

楽しみ、たくさんの赤ちゃんが集まること。

子供を生むこと。

みんなに楽しみと喜びを与えてくれること。

私は、生んでないけど、赤ちゃん、集まれ!

生んでくれた人、ありがとう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日の出

今朝は、5時過ぎに目が覚めたので、窓から日の出を見た。
ゆっくり昇ってくる太陽。
でっかい線香花火のよう。

月といい、太陽といい、目の錯覚とはいうものの、昇り始めのでかさは、いいね。

地球がまわっていること、宇宙の中のひとつの星ということを感じる。

私たちは、宇宙船地球号の乗組員。

そんな感じ。

大事にしたいね、地球。

だって、自分のお家だもの。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

お月様

今日仕事の帰り、今まさに、お家に着くというとき、道の向こうに、でっかいお月様が。
昇ってきたばかりの月。
一気に月との近さを感じさせた。
このまま、自転車で行けそう。

あまりにも嬉しくなって、自転車を止めてから、もう一度見た。

お月様は、意外なところに、いたりするから好きだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ああ、幸せ。

お天気もいい。
気候もいい。
好きな仕事で、それなりに暮らし、
畑に出てみれば、そら豆は、天から降りてきている。
枇杷も色付いた。
きゅうりは、小さいながらも、この間の雨で、実を太らせ、ニラは茂っている。
小松菜は、夜の煮びたしに。ナスの花は相変わらず美しい。
ねぎもぼんぼりをつけたし、ダメだと思っていたジャガイモは、また、勝手に芽を出した。(2回目)

風が、気持ちよく、玄関のウィンドウチャイムは、よい音を響かせる。

ああ、なんて幸せ!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

歳かしら?歳だよね。

先週末から、夜遅くまで仕事したからか、昨日のバレエは、息も絶え絶え。身体は、ブヨブヨ。
7月にうちで行うベビーマッサージの詳細が決ったので、半日HP更新と案内の作成をしていたのも、原因かも。

心は、自分の最高の時のままなのに、身体は、しっかりと、現実を突きつける。
あんなにきっちりできたバレエのパが、こんなにしんどいとは・・・がっくし、である。
レオタードのサイズは、前のものだから、しっくりはこない。救いは、きっちりと、基本にどおりに子供達に教えるから、バレエシューズは、ぼろぼろになっているということ。(それがどうしていいことなのか、わからん人には、わからんだろうが・・・。)

この仕事は(もちろん他の仕事もだろうけど)体調管理が、第一。
以前も母の店に出入りしていたコーヒー屋さんが、
「いつも、ストレスなさそうでいいね~。」
「ストレスためないのが、仕事です~。」
と、応えた。

ほんとに時々、これでいいの?というぐらい、身体と心が、ゆるんでいる。
だから、おなかもよく空く。だから、食べる。だから、太る。
私の交感神経は、副交感神経の尻に敷かれている状態である。
副交感神経とソファがお友達。だから、太る。(しつこいね。)

最近、自分の無意識の問題点にも気が付いたこともあって、心が晴れやかなのもあるが、このままだと、おばさま体型に突入。
腐っても、バレエを教えている身、なんとかしなくては。
と言いながら、お昼のメニューを考えているのだ。(だー、だめじゃん。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

種まき

今日は、お天気もよくて、気分は最高。
ということで、種まきをした。

最高気温も、25度を超えているので、(超えてどうするって感じだけどね。まだ、5月・・・)
バジルの種を蒔いた。バジル君は、25度を超えないと発芽しないので、これからが蒔きどき。そして、明るくないと、発芽しない。
コリアンダーは、初めてだけど、種の形状からすると、暗くないと、発芽しないタイプと見た。
ルッコラは、種が細かいので、水のやり方に気を付けないと、発芽率が悪くなる。

種にも色々と個性があるのだ。
だから、苗から育てるよりも、種からのほうが、断然おもしろい。

最近元気がない人とか、楽しみがない人は、何かの種を蒔くといいと思う。
発芽までが、とても楽しみだし、成長していく様も、楽しめる。

同じ種でも、ひょうろひょろしてたり、ええっ!と、いうほど早く芽が出たり、逆に、エッ、今ごろ?なんて子もいる。

個人的には、食べられるものがいいかも。
食べる楽しみは捨てがたい。
それに、断然おいしい。

金曜に収穫したそら豆は、子供達と取り合いになった。
やわらかく、瑞々しく、そして、香りがいい。
一つまみの塩と共に、天国の味である。

バジルは簡単だから、お薦め。
トマトサラダには、かかせない。(今年は、フルーツトマトに挑戦。)

ルッコラも、自分で、育てたものは、エネルギーが違うのか、ピリッと辛くて、大人の味。市販のものは、ただの菜っ葉という感じ。

種まき、とっても、楽しいよ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

嬉しいお客様

万博にいらしたついでとはいえ、今日は、千葉からのお客様が。
嬉しい事である。
(こんなところに、万博効果があるなんて。驚き。伺うまで、あなはたも、全国区!?と、思ってしまった。)

そう言えば、以前いらした方は、私の大学時代の友人の友人だった。卒業旅行で行ったロンドンの資料は、その方からのものだったらしい。
他にも、私の小、中学校の同級生のお友達と言う方もいらした。今は付き合いのないその同級生が、無事に(?)結婚して、2時の母であることも教えていただいた。(私の出身は、三重)

世間が狭いのか、ご縁なのか、どちらにしても、なんだか嬉しい。

皆様、我がHPを、ご覧になって来て頂いた方ばかりなので、それもなんだか嬉しい事である。
星の数ある中から、私のところを選んでくださったのだ。ありがたいことである。

これからも、がんばって、精進しなくちゃ、HP作りに・・・。(もちろん仕事もね。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

昨日の続き

昨日書いたように、一人でいると、自分の今まで見えなかった深いところにある感情に気がつくことがある。
今まで、やっていたことの本当の理由とか。
隠された感情に気づく。
ちょっと、驚く。
人からよく見られたかったとか、本当は無理をしているのに、ころころと変わるやつだと思われたくないとか、いろいろ。

特に、よいと思ってやっていることに多かったりする。
よいことをやっているはずなのに、うまくいかない。
良かれと思ってやっているのに、いらだつ。

よく自分を見ていると、本当は怒りを感じていたりするのだ。
そして、その怒りをよく見てみると、本当の自分の感情を押し殺しているところからきている。

本当は、こうしたい、ああしたい、そう思っている、自分に気がつく。
おかげさまで(?)私の場合、一人でいるので(独身という意味です。)自分の生活を変えたり、自営業なので、仕事のやり方を変えたりするのには、自分の意思のみである。
でも、心の変化や、意識の変化は、誰でも、自分の意思だけ、だと思う。

受け入れがたくなった習慣や考えを、人からの目を気にしているだけで、持ち続けるのは難しいし、楽しくない。
自分を楽しく、幸せにできるのは、自分だけ。

楽しい自分は、幸せだし、幸せな自分は、楽しい。

それが、一番。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

1人でいることの効用

文字通り、独り者で、子なし、だけれど、そういう意味ではない。(よ~)

この仕事に出会う時もそうだったが、何か自分が変わらなくてはいけないとき、一人でいる時間が多くなる。
それまでは、一人暮らしのくせに、いつも誰かが家にいるような状況だった。
毎晩のように、休みのたびに、誰かが我が家で、ご飯を食べてるという感じだった。(居候もいたしなぁ)

自分で決めたわけでもなく、一人になることが多くなって、この仕事と出会った。
一人でいることが多くなると、急に、瞑想がしたくなったり、ボーっといろいろなことを反芻することが多くなった、自分のこと、親のこと、かつて付き合った彼のこと等。

最近もまた同じような感じである。
自分から人を遠ざけているわけでもないが、一人でいることが多くなった。
前もそうだったが、だからと言って、孤独は感じない。
本を読み、ボーっとし、いろいろなことに気付く。そんな感じ。

一人でいることが、瞑想のようなものなのだ、私にとっては。
全ての問題を自分の内に見るにはそれがいいのだろう。誰かのせいにはできない。
全ては自分の中に。

そのことに気付くとまた、いろいろな人との出会いが、待っているのだ。

そして、それは、もう、始まっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神との対話

最近時間ができたせいで、以前読んだ本を読み返している。
「神との対話」は、前世紀に読んだ本だが、その時は、あまりピンとはこなかった。

心に感じることが、本を読むと書いてあったりして、前に読んだ時より、心に響く。
読み返したのも偶然ではないと思う。

他にも色々と読み返したが、(シャーリーの本とか)やっぱり、以前読んだ時とは、違う何かを感じる。
そう思いながら、他の本もと、思い、探すのだが見つからない本もある。私は時々、人に貸したり、あげてしまうことがあるので、ないのだろう。(まあ、もう、読まなくてもいい本なのだろうね。)

12,3歳の時に読んだ「風と共に去りぬ」を、30歳位の時に読み返したとき、やっぱり、全然違った。(当たり前だろうけど)

全て自分が変わったということなのだろう。
本は何も変わらない。
その時、受け取るものを受け取って、また、読み返す。そして、その時必要なものをまた受け取る。
自分が変わることで受け取ることも変わる。

人との関係でも同じなのだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

くたびれた

果たして、この話が、「育児」というカテゴリーに入るのだろうか?タイトルと内容がずれることは、しばしば、気にすることもないけど。

今日は、神様がお休みをくれたので、午前中に今度うちで開催する予定のベビーマッサージ用の赤ちゃん人形を求めていざ、赤ちゃん本舗へ。
赤ちゃん本舗なら、あると思ったのだが、意外とないのね。お子様向けの赤ちゃん遊び用の赤ちゃん人形はあるのだけど、すごく付属品がついている。使わないので勿体ないし、なしでいいから、安くしてくれ、ともいえない。
しょうがないので、ふらふらとしていると、「ホンポちゃん人形」というのを発見。きっと、ディスプレイ用だと思っていると、値段がついている。
お洋服つき、2850円(税別)これいいかも。
早速ベビーマッサージの先生ところに画像を送ってみたけど、まだ、お返事来ない。(当たり前だよね、さっきの話だから)

ついでに、久しぶりだから(栄に、トリートメントルームを持って、スクール開いていても、めったには、デパートには行かないのだ。)デパートを覗いた。(赤ちゃん本舗は、デパートのテナント専用のビルに入っている。)
そして何故か、そんなところにも、百均が。
かなり大きくて、こんなものから、あんなものまで、売っている。もしやと思い、赤ちゃん人形を探したが、もちろん無かった・・・。(あるはず無いよね。)

一通り見て回ったが、疲れたのと、これでいいのかと言う思いが、グルグルしてきて、何も買わずに帰ってきた。
私もよくお世話になるので、百均には、足を向けれやしないが、(何でもあるところすごいよね。)あれだけものがあると、どこで、作っているのだろう?とか、原価は?とか、質の悪さが、目に付いてしまった。(全て、消耗品という感じ)
家のものが、半分は、20年前から使っているというものばかりだからかもしれないけど、今日はなんとなく、物に対しての尊厳が、軽くなったような、少し悲しい感じがした。
(と、言いながら、赤ちゃん人形探した私がいるのだが・・・)

とにかく疲れてしまった。今から畑で充電だー!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それでいいの?

確か土曜日だったと思うけど、テレビで、もし、地球が100人の村だったら、をやっていた。
何気なく見ていたのだが、いろいろな国の貧しく、悲惨な生活を送っている子供達のことを取材していた。
ひとつの子供達の話が終わるたびに、「~ちゃんは、まだ、薬を買えずに・・・・」のようなコメントが、出るのだ。

途中まで見て、気分が悪くなって見るのを止めた。
子供達の悲惨さに気分が悪くなったのではなくて、取材した人たちに気分が悪くなったのだ。

確かに、たまたま、取材したした子供達かもしれない、それに、一時手を差し伸べても、何も解決することではないと思う。
だけど、今、目の前に、おなかをすかしたり、赤ちゃんの栄養失調に泣いている13歳のお母さんが、いるのに、何もしてあげなかったのか?ただ、この子供達は悲惨です、でも、頑張って生きています、さて、あなたは、どう思いますか?なのだろうか。それとも、干渉するのはよくない、ということなのだろうか?依存させるから?その子達だけ特別扱いになるから?

子供達は、皆日本の子供たちではない。その子供達がいる国の問題かもしれない。
でも、今日のご飯、今必要な薬を与えることは、できなかったのか。
それは、偽善なのだろうか。

隣の人が困っていたら、手を貸してあげる。取り立てて特別なことではないと思うが、それも、偽善なのだろうか?

私は、通りすがりの人間としてでも、一晩のご飯、今必要な薬を与える人で、ありたい。
それが、自己満足でも、偽善でも。

テレビのコメントが、番組用のものであって、本当は、何かしらの援助をしてきたと思いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

毎日が新しい自分

「毎日が、未知の世界だからね。」

うちのお客様の言葉。この言葉は、私の心に残っていて、何かあるごとに、思い出す。

「経験した明日は、ないからね。」

これも、同じ方の言葉。

歳をとると、今までの自分の経験に縛られることが多い。
人のことを判断する時も、「ああいうタイプは、これこれ。」
自分のことを人に話すときも「私は、こういう人だから。」
何か事が起こったときも、「こういうときは、こうなるに決っている。」などなど。

毎日が未知の自分でもあるのだ。今までとは違う反応をしたり、新しい考えをしている自分に、出会う。経験した明日の自分も、いないのだ。

人には、色々な面がある。
いいところ、悪いところ、今、自分が、見ようとしているところだけが、強調される。
回るミラーボールのように(うう、歳がばれる・・・)光があたっているところだけが、ミラーボールじゃないように、裏にも、横にも、色々な自分がいるはず。

まだまだ、光があたったことがない面が、いっぱいあるはず。
これからも、未だ知らない自分に、出会っていくんだろうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本当の理由

本当の理由、なんて書くと、プロフィールに書いてあるリフレクソロジストになった理由がうそのようであるが、まぁ、どちらかと言うと、詳しい理由である。

リフレクソロジーと出会う前に、どこか田舎でお家でも借りて、民宿をしたいと思っていた。

やっぱり食べることが好きだったので、自家栽培のお野菜のお料理を出して、都会で疲れた人たちの憩いの場を作りたい、と、思っていたのだ。
色々と語りながら、一晩を過ごす、そして、何かに気付いていく、そんな宿。

でも、言葉で語るには、限界がある。人って、本当の自分のことには、気が付いてなかったり、言葉にできなかったり、本当の感情は、隠す傾向にあったりするから。
だから、何かが、欲しかったのだ、言葉以外の手段を。

たまたま、友達が、リフレクソロジーの集中講座に、出たあとだった。習うことは知っていたが、「えー、足のマッサージって、なんじゃそりゃ?」だったのだ。
もともと、マッサージが、あまり好きではなかった。だから、どうして、足のマッサージが、心に作用するのかがわからなかった。(主催者が、ヒーリングを行っている会社だったのだ。それに、今と違って、心と身体が、こんなに密接に関係しているとは、思っていなかったから。)

友達の練習台になること、数回。今までの、足裏マッサージとは、全然違った。
気持ちよく、友達曰く、「メンタルケアに、いいんだって。」

確かに、4,50分、自分の足を丁寧に、トリートメントされているだけで、とても自分が大事にされている気持ちになる。
それからは、身体と心の関係の本を読んだりして、心が身体に影響しているということ、言葉での、アプローチは、難しく、それよりも身体から、アプローチしたほうが、心もゆるむ、ということを知った。私も受けておけばよかったと、少し後悔したのだ。

それから、しばらくして、また、講習を開くという知らせが、届いた。チャンスである。
早速申し込み、参加した。
その先生は、イギリスでアロマの勉強をした方で、ITECは、アロマだけではなくて、選択制でリフレクソロジーも、カリキュラムにあり、まだ、日本ではなじみがなかったのだが、せっかくイギリスまで来たのだからと、ついでに、勉強されたのだ。そして、オーラ・ソーマも、勉強されていた。
そう、この三日間の講習で、本当に心と身体は、ひとつと言うことを学んだのだ。(それに、自分の身体の調子がとてもよくなったのだ。)
それからは、楽しくって、毎日誰かの足を借りて、練習した。(当時5歳だった甥の足も、何度借りたことか。今では、私の足よりでかくなってしまったが。)

そして、今に至るわけなのだが。(途中、かなり、省略)

最近我が家の一坪畑も充実してきて、土もよくなり、それなりに、野菜が取れる。ささやかだが、お客様に、おすそ分けをすることもある。(きゅうり1本とか・・・)
そして、時々思うのである、田舎では、やってないけど、自分がやりたいな、と、思っていたことをやってるじゃん。と。
遠い田舎で、やるよりも、こっちのほうが、ずっといい。

何かをやりたいと思った時、がむしゃらに進まなくとも、方向性さえ決っていれば、それなりに実現するのだろうね。気が付かないうちに。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

全ては完璧

ここのところ、私の中では、「全ては完璧」が、マイブーム。(これも、もう古い?)なんだか、わからないけれど、そういう感じがしていた。

ここ何日か、いろいろと考えさせられることがあって、頭が、ショート寸前。オーラ・ソーマで言う「イエローの人」になっていたのである。(墓穴を掘っているのは自分ということに気が付かないと言うこと)

あんまりわけがわからないので、いつのも、解決策、寝た。

その後、雨が、かなり降ったので、昨日植えたきゅうりが気になって、庭に出た。
心配しなくとも、きゅうりは、健全。その他も大丈夫。

だいぶ大きくなった小松菜は、ところどころ虫食い。だけれど、小松菜には変わりがない。そして、虫に食われようが、新たな新芽を出して、ぐんぐん大きくなっている。

その時、本当の意味の「完璧」がわかったような気がした。
理屈ではなく、「ああ、こういうことね。」

以前書いた「チャンス」ではないけれど、植物は、いろいろなことを、教えてくれる。

とてもシンプルで、わかりやすい。自分に起こったことに対して、あまり細かく、考えないこと。
時期が来れば、芽を出し、花を咲かせ、実がなる。
それには、自分がどうありたいことかを思うこと。

小松菜は、小松菜に。ニラは、ニラに。そら豆は、そら豆に。そして私は、私に、なりたいだけなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

父のこと

たけのこご飯、桜桃の味、つながりで思い出したのが、父のこと。

私の食いしん坊は、父親譲りである。(絶対)
高級なものが好きというわけのわからないグルメとは違って、変なこだわりのある人だった。アンパンはどこどこ、肉じゃがは、母の作った物はいいけど、後はダメ、とか。
うなぎも櫃まぶしは、あそこ、でも、どんぶりは、ここ、とか。
変わったものは、苦手だったが、外国に行っても、そこの土地のものは、必ず(モロッコの鳩パイはだめだったらしいが)食べた。

そんな父親だったが、亡くなる2ヶ月ほど前は、気管支切開を、行っていたし、半分以上意識がなかった。
切開していても、慣れれば、液体のものは、大丈夫と言うことで、時々ジュースは、少し飲んでいたらしい。
亡くなる10日ほど前だったか、私が、病室に行くと、そこには、父の好きなマスクメロンが、お見舞いとして届いていた。周りを見回すと、あるある、ガーゼが。(さすが、病院ね)弟に、アーミーナイフを借りて、メロンを切って、ガーゼでしぼり、久しぶりに意識がある父に、ストローで飲ませた。

「おいしい。」

声こそ出なかったが、顔いっぱいに広がる笑みと口の動きで、わかった。
結局その後、また意識がなくなり、そのまま、逝ってしまった。
その時のメロンが、最後の晩餐になったのだ。
元気でいる間は、対立ばかりしていたけれど、最後に絞りたてのメロンを飲ませてあげることができて、よかった。
それがなっかたら、親孝行の機会がなかったと、もっと、後悔しただろうと思う。(でも、よく考えれば、とんでもないお見舞いだ、本人は食べることができないのに。でも、今は感謝。全ては、必然ね。神様の配慮には、いつも頭が下がる。)

似ているがゆえに、父との仲は、どちらかというと、険悪だったが、相手が何を望んでいるかは、よくわかったのだ。

私が死ぬときは、誰か白桃を、絞って飲ませて欲しい。(ああ、夏にしか死ねないね。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

たけのこご飯

この間、おばあちゃんが、たけのこご飯を食べたいと言うので、姉のところで、私が作ることに。(だってね、たくさん炊いた方がおいしいでしょ)
時間がなかったので、たけのこを茹でるところは、ちょんぼして(古い?)朝茹でました、というたけのこを買ってきた。
油揚げも好きだけれど、子供達も食べるので、鶏肉を入れることにして。

子供の頃は、たけのこが嫌いだった。あのえぐみが子供にはきつかったのだ。
それが今では、あのえぐみの残るたけのこを食べられるのは、今だけ、なんて、大人になってしまったが。

本格的に、料理をするのは、久しぶりだったので、手を抜かずに、きっちりと。
だしも取り、たけのこは下味をつけ、炊き上げた。
出来上がりは、上々。

我が家の木の芽も丁度いい、かげんな塩梅で、硬くもなく、大人のおわんには、一枚。
何でも食べたがる好奇心旺盛な甥は、「僕も」と、一枚。
摘みたての木の芽も香りがよろしい。

お掃除でも、お洗濯でも、もちろん、お料理も含めて、自分の身の回りのことを、きちんと自分が面倒を見るということも、自分を大事にすると言うことなんだろうね。

特に、料理は、それをみんなで囲むことで、楽しい時間と、おいしいものを頂く時間、両方が一度に味わえる。

そういう時、私は、生きる喜びを感じるのだ。(ただの、食いしん坊かもしれない・・)

余談
「桜桃の味」という、映画があったけど、あれも、自殺しようとしている男を思いとどまらせたのは、「もう一度、桜桃を食べたいと思わんかね?」という言葉だった。
きっと、生きるって、そんなものなのだろう、と思った。
でも、やっぱり、きっと、私は、ただの食いしん坊なのだ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

これでいいのか?

コースの時、それがベーシックであっても、ワンデイであっても、つい、リフレクソロジーのことを少しでも多く皆さんに伝えたくて、力が入りすぎる。

ワンデイなのに、ベーシックの範囲まで、教えそうになったり、ベーシックなのに、養成講座の範囲まで、広げそうになったり・・・。

自分の口から言うのもなんだけれど、私はリフレクソロジーが、好き。
そして、この小さなスクールを探し出して、そして選んでくれた方々には、私の全ての知識を伝えたくなってしまう。(と言うほどのものかどうかは、わからんが、一応先生だから、自信を持って言います。)だから、3回のベーシックコースといえども、内容が濃すぎて、消化不良になってしまうのではないかと、ひとり、危惧する。(受講生の方々は、もしかすると、かなり閉口しているかも・・・)

と思っても、止められない、止まらないである。(かっぱ海老せんもそうだが)

受講生の方は、まだいいかも。お客様が実は大変だったりして。
とにかく、トリートメントを受けに来て、最初はリフレクソロジーとはなんぞや?を、聞かされるのだから。リフレクソロジーのことをひとつ聞けば、三つ返ってくる有様。

と、まぁ、言いながら、これも私のいいところ、と、自分を慰める。

そういえば、いつだったか、ネットでお友達になったtorajiさんお薦めの性格占いで、熱い奴、だった。
バレエも教えていて、熱くなりすぎるときがある、そして、落ち込む。
「何子供相手に、熱くなっているの、おびえるだろうが、子供達が。」
で、ある。

少しいい訳。
バレエも好き、リフレクソロジーも好き。
それだけなのだ。

熱くなりすぎていたら、水でもかけてやってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幸せな時間

5月は、私が一番好きな季節である。(去年も書いたけど)

暑すぎず、寒すぎず、木々は、緑に萌えている。

本当は、この時期は、シャワーを浴びた後、夕暮れ時に、物干し場で、ビールを飲むのが好きなのだけど、私のところは、年中無休、ここ何年も、そんな贅沢な時間は、過ごしてなかった。(うーん、物干し場で、ビールで、贅沢な時間・・・安上がりな私。)

昨日は、夕方、仕事も入ってないし、先に、お買い物を済ませ、その後、自主トレをして、シャワーを浴び、ご飯を作ろうと思って、出かけた。

シャワーの後、ビールでも飲もうと、一缶買い、自転車のかごに入れて、おっちらこっちらと(だって、キャベツやら色々買ったら、結構重かったのよ。)帰ってくる途中、何故だか、「シュー」っと、パンクした時のような音がしてくるではないか。でも、自転車には、パンクした時の感じはしない。

どこからくるのこの音は?と、耳を澄ますと、それはなんと、ビールの缶に穴が開いて、買い物袋のなかで、スプレーとなって、噴出している音だった。

「ひえー、なんでーーー!」

と、慌てて、缶の穴を指で塞ぎ、(片手にビール、片手で、自転車だったから、アル中だと思われたかしらん?)急いで、ビールをおうちの流しまで、持っていって、プルリングを開けた。

「と、いうことは、とっとと、飲んでしまわなくては、いけないということ?」

と言いつつ、自主トレもせず、慌ててシャワーを、浴びた。(だって、やっぱり、風呂上りでしょ、ビールは。と言うか、もったいない。)

シャワーを浴びても、時間は、まだ、5時。物干し場で、少しだけ気の抜けたビールを飲んだ。そのおいしさと言ったら!

裏の公園では、子供達がキャッチボールをしている。洗い立ての髪が風にそよいで、気持ちいい。平和な時間。至福の時。心は、南の島である。

神様の粋な計らいで?思いもかけず、贅沢な時間となった。

でも、その時思ったのだ。こういうことが自分を大事にすると言うことなんだろうと。

自分が望む、気持ちのよい時間を過ごすことを、自分に許すこと。

自分の仕事が軌道に乗るまでは、我慢、我慢、と、気が付かないうちに、自分に対して、厳しくなっていたのだ。

自分には、何かをしたから、お褒美をあげると言うのではなくて、何かをするためには、幸せな自分でいることのほうが、大事なんだなぁ、っと。そのことに気が付いた。(かといって、今まで、不幸せだったわけではないが)

昨日は、無意識に自分に厳しくしていたことに、神様が気づかせてくれたのだ、ビールの缶に穴をあけて。

(でも、どうして開いたの?なのだ。だって、ピンホールのような穴だったから。まぁ、だから、神様なのか・・・。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

こっちの方が

皆さんは、よく見るかも。

5月14日(土)、15日(日)、6月11日(土)、6月18日(土)、19日(日)、7月16日(土)修了生の方で、アシスタントお願いできる方ご連絡ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やっぱり魔除けが必要?

昨日(コメントも書いてくれたとらみみさん)から、ローズマリーの小枝の束を頂いた。

今日、友達から頼んであったものが、郵便で届いたのだが、開封する前から、ローズマリーの香りが、広がっていた。荷物が遅くなったお詫びになんと、ローズマリーの精油をおまけしくれたのだ。(ありがとう~♪)

ローズマリー・・・ラテン語で「海のしずく」の意味を持つ、しそ科の植物。沈んだ気持ちを元気にしてくれて、若返りの効果もあるらしい。(ふふっ)そして、古代ギリシャでは、魔除けにも使われたらしい。

そして、姉からもらったペンダントも、どうやら魔除けの効果もあるらしい。(とらみみさん、談。)

私には、今、魔除けが必要なのかしら?

確かに、これからは、もっともっと、自分を大切にするぞ!と、宣言したばかり。

自分の心の中にこそ、魔は潜んでいる。

あれこれ、起こってもいないことを心配したり、人を疑ったり、妬んだり、非難したり、どうせ私は・・・なんて思ったり。

これからは、ばっちり、大丈夫。これだけ周りからも魔除けを頂いている。

またまた、新しい自分に生まれ変わるのだ。

神様、ありがとう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レディ・ナーダ

なんでもない日なのだが、姉から、プレゼントをもらった。

かわいい花柄の夏らしいTシャツと、銀でできたペンダント。

このペンダントは、TOPが、丸くて、中が空洞で、小さな留め金を外せるようになっていてる。その中には、ころころと音のなる金色の玉が入っている。

私が動くたびに、シャリンシャリンと、音がする。

レディ・ナーダ(聖なる音)のようである。

仕事中は、アクセサリーはつけないのだけれど(まぁ、普段もつけないが)これは、つけて仕事をしている。

姉が何を思って、プレゼントをくれたのかはわからないが、またまた、神様が、姉を使って、私にご褒美をくれたのだ。それは、間違いない。

胸元で、このペンダントが鳴るたびに、私は一人ではないと、教えてくれるのである。

お姉さま、神様、ありがとう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

人の存在意義

以前働いていた施設は、重度身体障害者の施設だった。

お話をいただいた時は、気軽な気持ちでO.K.を、出したのだが、よく考えてみると、そこにいらっしゃる方々は、足の感覚がなかったり、首から上しか動かないという方、重度の脳性マヒの方が、ほとんどだったのだ。

「足の感覚がない方に果たして、リフレクソロジーは、どうなのかしら?」あとから、不安がむくむく膨らんできた。

とは言っても、1度受けてしまった仕事、それに、「やらなくていい仕事は回ってこない、だから大丈夫」、と自分にいい聞かせ、初日に臨んだ。(それまでも、個人的には、そこの方からお仕事を頂いていたので、それほど、ドキドキ物でもなかったのだが、その方は、そこの施設でも軽い方だったのだ。)

「案ずるより生むが安し」のとおり、足の感覚がない方でも、トリートメントを受けられると、調子のよくなる方が多くて、一安心。面白いことに足の感覚が無くとも、気持ちがいいらしいのだ。

脳性マヒで、多動のある方でも、何度か続けていると、トリートメントにも慣れられ、私の声と手の感触を覚えていただけたようで、トリートメントを始めると、脚の動きが、止まるようになった。

それにしても、今思うと、すごい仕事だったと思う。

「先生、多動がひどくて、車椅子ごとひっくり返ることがありますから、気を付けてください。」

って、言われても、何を気を付ければ、いいのじゃ?の世界。

「緊張がすごいので、足で蹴りが入ることがありますから、気を付けてください。あごに入ったことがありますから。」

だから、何に気を付ければいいのじゃーーーー?だった。

職員の方達もきっと最初は、その方達の個性をつかむまで大変だったのだろう。頭が下がります。

と言いながらも、3ヶ月ほどで慣れ、(3ヶ月って、そういう時間なのね)最初は嫌がっていた方も、私と顔をあわせると

「先生、私は、今度いつ?」

と、聞いてくださるようにもなり、最終的には、そこの施設の利用者さん全員(なんと、50名。その後60名になった)を、施術するようになり、リフレクソロジストとして、充実した毎日を送っていった。

そこの施設には、目も見えず、耳も聞こえず、もちろん話せないという方が、二人もいらっしゃったのだが、まだ、はじめの頃その方の一人のトリートメントを行っている時、ふと思った、

「この人はどうして、この世に生まれてきたのだろう?暗闇と音の無い世界で、何を思い、感じているのだろうか?」

その時、(もちろん、トリートメント中だったのだが)

「そうか、少なくとも、私のためにいてくれることに間違いはない。だって、リフレクソロジーを通して、お話ができない方とも、1時間近く、向き合えるということを、私に教えてくれているのだから。」

そう思ったとたん、本当に、この世の中に、存在理由のない人は、いないと、心から感じたのだ。そして、その方にも、心から感謝した。(車椅子ごとひっくり返るから、といわれていた方だったのだが、その後は、いつもおとなしく受けていただけたのだ。)

時々、自分は人の役に立っていないと嘆く人がいるが、人の役に立たない人はいない。まして、私たちは、自分の足で歩くことも、話すことも、人の話を聞いて上げられる耳ももっている。それで、人の役に立たないはずがない。自分が勝手に思い込んでいるだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

セラピストの独り言

今日は、バレエのレッスンの日。

子供達も、本人は気がつかないが、上達している。大人のバレエストレッチは、私も、仰天!

平均年齢が、50歳位(もう少し、したかな)なのに、皆さん、上達している。確かに、バレエのほんとの初歩だけれど、ここまで、バレエというものを、わかってくれるとは、思わなかった。(偉そうに言える身分ではないが、でも、私は、先生。誇りを持って、教えよう!失礼のないように。)

何か、やりたいこと、したいことに、年齢も何も関係ないのだ。やりたい時、そう、チャンスは、今!

それを、実感させてくれた方々。(だって、今日でも、もっと、やりたいって。1時間が、あっという間らしい。)

まぁ、そもそもが、私自身、35で、始めたバレエ。それを今教えているなんて、それこそが、人の可能性を教えてくれている。

確かに、一流バレエ団で、踊ることはないだろうけど、それがなんなのだ、踊り、楽しむことが、最高だ。

以前、お客様から聞いた話

80をすぎたおじいちゃんが、孫に尋ねた。

「何になりたい?」

「おじいちゃんは、何になりたいの?」

子供は、偉大な先生だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不思議に思うこと

この仕事を始めてから、よく言われることは、「いつも元気ですね。」

私の場合、元気でいたいから、元気になるようにしているだけなのだけど。

体の不調を感じたら、寝る、休む、心に聞いてみる。もちろん、リフレクソロジーのセルフ・トリートメントだって定期的にする。

だからと言って、健康オタクではない。(酒は飲むは、夜更かしはする、タバコだって吸う。惰眠をむさぼる。)

日々の生活をできるだけ、楽しく過ごしたい。おいしいものは、おいしく頂きたい。お酒はいつでもおいしく、眠りは、爽快に。

心もそうだ。余裕がない心でいることは、自分が辛いだけなので、できるだけイライラせずに(我慢するということではなくて)、ゆったりとするように、心と対話するように心がけている。

感情はいろいろなことを私に教えてくれるので、身体に不調があったときも、感情に、聞いてみる。(一日お通じがなかったりすると、「あなたは、何を(感情)溜め込んでるの?」尾篭な話で申し訳ないです。でも、大事でしょ。)

そのおかげか、この仕事をするようになってから、風邪らしい風邪も引かず、怪我らしい怪我もせず、今に至っている。

毎日夜更かしをして、お酒ばかりを飲み(私のこと?)身体を休めずに、調子が悪くなると、口に、薬を放り込む。遊びに行く時間と、お金はあっても、ボディ・ワークを受け自分の心と身体に向き合う時間と、お金はないといい、身体が弱いと、嘆く。

この仕事を始めてから、そういう人が多いことに気が付いた。

私は、それが、不思議でならない。(非難しているのではなくて)

その人の身体を大事にすることは、その人にしか、できない。そして、その結果を背負うのもその人自身なのだ。

素敵な洋服も、素敵な家も、素敵な老後も、心と身体が健やかであってこそ、価値があると思う。

自分の心と身体は、自分が一番よく知っているはず。もっと、自分の身体と心の訴えを聞くと、いいかも、そう思ってしまうのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

気が付くのが大事

今でもさして変わらないのだが、若い時は、訳知り顔で、よく人のことを批判したり、悪く思ったりした。正義はまさしく私だ、とでも言うように。

この歳になってくると、(満40まであとわずか・・・)いくら経験が乏しいといっても、それなりに経験する。自分が経験すると、人のことが、わかってくる。(ような気がする)

今まで理解できなかった人の行動や、その原因などが、見えてきたりするのだ。

今まで非難していた人のことでさえ、自分が同じような経験をすると「ああ、もしかすると、こんな状況だったのかもしれない。私も、同じようなことをしているじゃん。」と、気が付いて、なんて自分は、心の狭い人間だったのだろうと、愕然とするときがある。どうして、もっと、理解しようとしてやらなかったのかって。誰だって、置かれた状況に対して必死に対処しているだけなのだろうに、と。

でも、やっぱり自分が経験してないと、わからないことはあるのだ。お金のありがたさや、人の親切、そういったことも、、社会に出て、自分でお金を稼ぐようになり、自分も苦労すると、よくわかってくるように、経験しなければ、わからない。そして、その経験の中から、他の人のことも想像していけるのだと思う。(だって、全て人と同じ体験をすることはできないからね。)

何かの経験をするたびに、過去の自分を恥じることが多くなってきた。特に最近。嫌になる。気付くたび、自分の心の狭さを、自分のおろかさを、目の前に突きつけられる。気が付かない方がよかったよーーーと、叫びたいほど。

まぁ、でも、気付かないより、気付いたほうが、いいに決っている。何事も自分を知るということから始まるのだ。少しづつ、心のキャパシティーを、増やしていけばいいんだろうね。(そうできているのか、できてないのかは、定かでないが・・)

経験を通して理解する。きっと、カルマを返すというは、こういうことでもあるんだろうね。

歳をとるということも、悪くないもんだと、少し思えるようになった今日この頃。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »